第八章   ZEROになる勇気   四

 先攻は富士重。西濃運輸の先発は一昨日に引き続きエースの佐伯尚治がマウンドに立った。

 トップアマの社会人の猛者たちを、わずか百三十キロ足らずの球速で牛耳る男。

 メンバー表を見れば、社会人を含め若手選手の起用に積極的な西濃。若さが生み出す勢いに、チームのムードも一段と高まりを見せていた。

 若手の多用は、勝負勘が問われる社会人野球において諸刃の剣。そこを補うのが、実践経験の豊かな投手陣だった。

 入社八年目の佐伯、プロ経験もある三〇歳の前田功、三十四歳の神田義明ら、盤石に近い布陣が整い、瑞々しい野手陣を頼もしく引っ張る。

 俺も磯部も、佐伯の投球には興味をそそられた。

 球質も抜群にキレがあるわけでもなし、変化球に見せ場があるわけでもないのだが、飄々と猛者たちを押さえ込む。

 佐伯尚治。一八二センチ、八〇キロの右サイドハンド。

 二〇〇九年のベーブルース杯では、一軍経験のある選手ばかりが揃った中日ドラゴンズ・ファームを相手に一失点完投勝利と、黄金の右腕を披露して周囲を驚かせた。

「彼の厄介な点は、球持ちの良さやね。それに加えて、サイドよりも更に下がった腕の軌道。打者としてみれば、なかなかお目にかかれない球筋が飛んでくる。どこに投げると打者がファールし、カウントが稼げるのかをよくわかっている。怖いピッチャーやね」

 一三〇キロ前後の直球と外角への変化球を有効に使い、富士重打線を手玉に取る。

 横の揺さぶりや緩急を使い、狙い球を絞らせない。右打者にはスライダーとのコンビネーションが光り、左打者に対してはシンカーとのコンビネーションと、変幻自在に球を操った。

 軸足の股関節にしっかりと体重を乗せて、一度ゆっくり地面に着きそうな所まで足を降ろし、そこからぐっと前に足を逃して着地の時間を遅らせる。

 テイクバックも独特のスタイルで、ボールを上手く隠す。球持ちも良く、それが打ち損じの要因となっていた。

 球持ちの良さは、着地と並ぶ投球動作の核。なかなかタイミングの掴めぬ上位打線は悪戦苦闘していた。

 切り込み隊長の名に懸けて、松井田がセンター前ヒットで塁に出ると、上野が送りバントを決め、一死二塁と駒を進めてチャンスを作る。

 しかし佐伯マジックを目の当たりにして、どうにも後が続かない。

 坂上、四万を三振に打ち取ると、涼しい顔でマウンドを降りていった。

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