第七章 登龍門 九

 俄かに騒めき出したスタンド席。一塁側ベンチを陣取ったJR東海は、愛知県名古屋市に本拠地を置く。

 チーム史は一九二一年に『名古屋鉄道局』として発足したところまで遡る。

 一九一九年に結成された『雄飛倶楽部』(富士重野球部の前身)と共に、社会人野球界でも最古参チームの一つに数えられていた。

 その後『名古屋鉄道管理局』から『国鉄名古屋』と改称され、一九八七年の民営化に伴い、現在の名称に至った。

 歴史は古いが、全国大会制覇の経験は無い。強豪ぞろいの東海地区で、全国大会の出場も少なくなっていた。

 だが、二〇〇四年に八年ぶりの都市対抗出場を果たし、一勝を挙げている。

 近年、チーム力の向上が目ざましいチームの一つに数えられていた。

 ちなみに日本で野球が行われるようになったのは一八七二年頃である。

 最初の本格的チームは新橋鉄道局の鉄道関係者で組織されていた『新橋アスレチック倶楽部』と言われている。

 創部は一八七八年で、品川にてグラウンドを造り、これが日本最初の野球場であった。

 霞みがかった春晴れの空の下、JR東海のコーポレート・カラーである鮮やかなオレンジ色のユニフォームがひときわ映えていた。

 胸元には黒字で太く英語表記されたCentral Japanの文字が並ぶ。

「横文字は好かん! ダメだんべぇ〜」

 出陣直前のベンチ内、いつだったか確氷が放った言葉を、上野が真似てみせた。

 張り詰めた空気が一瞬、フッと緩む。

「病床で吉報を待つ確氷監督のもとに、手ぶらで帰るわけにはいかないぞ。優勝が手土産だ」

 銀縁眼鏡の奥で、勝負師の鋭い眼光が放たれ、一気に場を引き締めていく。

「よし! 行くべぇ‼︎」

 上野の合図で、一斉にグラウンドに駆け出していく富士重ナイン。

 午後二時三十一分。試合開始を告げる声がグラウンドに響き渡った。

 静岡の地で、上州からっ風旋風を巻き起こせるか。

 決勝を決める舞台の幕は上がった。



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