第七章   登龍門   三

 強風が運んできた雨雲から、今にもひと雨ありそうな空模様になってきた。 

 相も変わらず風は気まぐれなダンスを踊り、マウンドに立つ内山を誘うように、小さな砂煙を上げた。

「万場さん、ワン、ツー、スリーっすよ」

 打席に向かう背中に、磯部が小声で耳打ちした。

 俺も磯部も、内山の一挙手一投足をつぶさに見つめていた。

「左腕のグラブの開きが早い。球の出所は見やすいっすね。それ、ワン、ツー、スリー!」

 磯部の掛け声に合わせたように、万場がバットを振った。

 タイミングはバッチリと合っていた。だが外角高めのカットボールに、サードゴロでアウト。

「内山のカットボール、やばいぞ。急に横に曲がったぜ」と、万場が興奮気味に語った。

 直球に近い球速で小さく鋭く変化するカットボールは、超速スライダーの異名を持つ。

 打者からは直球との区別がつきにくく、巧妙にバットの芯を外して、凡打に打ち取る。

 打者の手前で横に曲がったり、斜めに縦に落ちたりと、速球はまっすぐに進まず、常時変化する魔球だった。

 キレの良いカミソリのような直球は、強風に煽られてさえ、なお、コンスタントに一四〇キロ台の後半を叩き出していた。

「最近カットボールを覚えたという噂はチラリと聞いていたが、まいったな」

 沼田が尖った顎の輪郭を何度も指でなぞりながら、泣き出しそうな空を見つめていた。

 七番の藤岡も内角カットボールに右中間のライトフライで呆気なく打ち取られた。

 タイミングは合わせられるものの、バットは芯を捉えられず。

「風のご機嫌によっては、思い通りの軌道ばかりは描けないはず。甘い球は必ず来る」

 誰に話しかけるでもなく呟きを残して、磯部が打席に立った。

 初球を見送ったあと、再び構え直しながら内山を見据え、待つ。

 しかし威力のある内角シュートにバットをへし折られ、奇しくもショート左へのゴロに終わった。

「畜生め! こん借りは倍にして返すぜ。りゅう兄ぃ、こん風では縦スライダーは使えんけん、スローカーブを入れながらテンポよくいきましょう。待ってろよ、富士重のサブマリンが、深海に引きずり込んでやるぜ」

 バットを折られたのがよほど悔しかったのか、磯部にしては珍しく息が荒い。

「そうだな。もっとテンポアップしながら緩急をつけて、打者のタイミングを外していこう」

 宥めるように磯部の肩を軽く叩き、飴色のグローブに右手を滑り込ませた。

 マウンドにスパイクの刃を突き立てれば、ほのかに漂う泥臭い土の香り。

 湿り気を帯びた風が背後から強く吹きつけ、雨が降り出すのも時間の問題かと思われた。

 


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