第六章   龍神   六

「監督、あなたを約束を破る男になど、断固させません。私が……私が監督の花道を飾ります。必ずや、黒獅子旗を奪還します。命を救ってくれた監督に恩返しをさせてください」

 碓氷のやせ細った手が、おもむろに孝一の腕を掴んだ。

「この青二才が! よくぞ言ってくれた。それでこそ洋平の息子だ。男に二言はないぞ、いいな」

 思った以上に力強く握り締める手に戸惑いながらも、もう後には引けなかった。

「男同士の約束です。監督の花道は、私の花道へとつながっているのですから」

「そうか、そうきたか。一本取られたな。だが、光一。『龍』にはくれぐれも気を付けろよ。あいつは虎視眈々と睨みをきかせ、わずかな隙を狙い、あの手この手で孝一を潰しにかかるだろう。非常に狡猾なやり方で、情け容赦なく痛いところを突いてくる」

 ここ最近はすっかり鳴りをひそめ、不気味な沈黙を守っていた、あいつ。心のほころびを食い破り、血祭りに上げる。

「龍の餌食になるな、龍を手懐ける男になれと、監督はおっしゃいましたね。私には、わからない。あいつが暴れ出したら、もうお手上げです」

 暗闇の牢獄で、とぐろを巻くあいつが薄目を開けて首を擡げる姿が目に浮かんだ。

「孝一だけじゃない。私の中にも龍はいる。全ての人が、厄介な龍に手をこまねいている。そいつをどうやって手懐けるかは、当の本人にしか解らない。なぜなら、自らの心の闇が生み出した化身だからだ。『抗うなかれ』私からアドバイスできるのは、これだけだ』

 傍若無人に振る舞うあいつを、黙って見ていろと言うのか。為す術は無いと言うのか。

「抗うなと言われても、待ったなしの真剣勝負では、何とかせねばと焦りますよ」

 龍が暴れ出したら万事休す。もう手が付けられない。

「それでは、龍の思う壺に嵌るだけだ。焦り、苛立ち、不安、恐怖、妬み、恨みなど、どれも奴の腹を肥えさせるに十分だ。だが、これらを生み出す源はどこにあるのか、考えてみた事はあるか?」

 言われて愕然とした。源は……

「源は……自分自身の心?」

 認めたくはなかったが、認めざるを得なかった。

「それ以外、どこにあると言うのか」

 確かに碓氷の言う通り、同じ体験をしても人それぞれに受け止め方が違う。

 だとすれば、龍の飢えを満たす諸々の有り難くない感情たちは、己が生み出した幻想に過ぎないのか。

 己の闇が産み落とした『龍』は、欲望のままに餌を食う。

 わがまま放題の振る舞いには、ほとほと手を焼いていた。

 蟻地獄にはまるが如く、もがけばもがくほど流砂の勢いは増し、深みに飲み込まれていく。負の連鎖を止める手立ては、ないのか。

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