第六章   龍神   六

「はっきりとは読み取れないが、ボールのあちこちに寄せ書きがしてあるだろう」

 言われるがまま、孝一は手のひらの硬球に目を凝らした。判読の困難な文字の羅列から敢えて読み取れた言の葉。

『只 一筋に往く 雄飛の同志よ 桜咲く九段で会う日を待つ』 第72振武隊 白根尊

「このボールは雄飛倶楽部のピッチャーだった白根さんに特攻の出撃命令が下り、家族に最後の別れをするため帰省した際、知らせを聞き駆けつけた雄飛の部員たちが即行で寄せ書きしたそうだ」

 孝一は抗うことのできぬ運命を辞世の句にしたためた若者の胸の内を慮った。

「白根さんは桐生市で和菓子店を営むご両親のもとに生まれ、非常に優秀な飛行機乗りだったらしい。和菓子屋の息子でピッチャーで。縁は異なもの味なもの、って言うだろ」

「監督、その諺は男女間で使うのですよ。でも、本当に凄い偶然ですね」

 単なる偶然だけでは済まされない、この不思議な縁を『絆』という言葉に置き換えるのは聊か傲慢だろうか。

 時空を超えた想いが伝えようとしている『なにか』を汲み取ろうと、孝一の心は揺れ動く。

「白根さんは帰省した五日後に鹿児島の万世飛行場を飛び立ち、やがて十五本目の桜となった。沖縄本島中部に広がる金武湾沖で、アメリカ海軍の駆逐艦ブレインに突入し、大破炎上させて見事に大命を果たしたそうだ」

 我々は本当の戦争を知らない。狭い机の上に広げた教科書の中で、同じ過ちを繰り返す悲しい歴史の一ページとして、知識を詰め込んだだけであった。

 愛する祖国を守るため、愛する人を守るため、己の命を擲って逝った戦士たち。

 彼らが残された者たちに託していった未来を今、我々は生きている。

 多くの犠牲を伴って築かれた平和の礎の上に胡座を掻いた我々は、生と隣り合わの死に目を背けてはいないか。

 有り余る時間を持て余し、未来に希望を見出せず。生きているのか、死んでいるのか分からない人生を歩んではいないか。

 栄えある日本の未来を信じて託された命のリレー。

 その尊い遺志を、踏み躙ってはいないか。

    

 

 

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