第六章   龍神   三

 三菱重工戦では手痛い洗礼を受けた。昨年の都市対抗、逆転サヨナラ負けで涙を呑んだ三菱重工。

『二度も同じ相手に負けられない‼︎』

 試合前日の公式ブログに書き込まれていた見出し文字は屈辱を晴らすとばかり、意気込みに燃えていた。

 因縁の対決はホームグラウンドで、十三時きっかりに始まった。

 スタンドを埋め尽くすのは熱心な地元関西のファン。三菱重工のつまらないミスも大袈裟な野次に変わっていく。

 勝負には流れがある。正念場は流れが変わり始めるときであり、いち早く気づき、流れの方向性を見極めた側に軍配が上がる。

 キャッチャーは投手を支え、チームを指揮する司令塔。野球を最も知る男たちだ。

 磯部のデータ収集能力と記憶力、ゲームの流れを敏感に察知し、素早い決断力をもって積極的に勝負に打って出る姿勢は天性のセンスが感じられた。

『北九州一の名捕手』と讃えられるのも頷けた。

 磯部のサインに全てを委ねて挑んだ住金広畑戦は、見事に勝利を収めた。しかし、今日の試合では悉く手の内を読まれていた。

「畜生、完全にサインば見破られてる! 打者はどこでタイミングば取ってるんだろう」

 初回に二点を先制し、僅かなリードを守り続けるも、苦しい試合展開を強いられていた。

 相手によく知られている分、思い通りの運びにならない苛々が募っていった。

 あらゆるテクニックを駆使しても、全く通用しない。

 新人のアンダースローなど赤子の手を捻るが如く、万全の対策をもって挑んできた。

 互いの配給を読み合う心理戦が続いていく。

 富士重打線は完璧に抑え込まれ、凡打の山が築かれていく。四イニングで三点を返されゲームがひっくり返ると、流れは完全に三菱重工へと傾き始めた。

 さすがの磯部もお手上げ状態だった。

「なんぼ考えても分からんけん。いったい、どうなってるんやろう」

 ベンチで頭を抱え込む磯部を見下ろしながら、孝一は妙に引っかかる点を口にしてみた。

「大和、打者の目線が怪しい。どの打者もスイングに移る一瞬、目線が下を向いていたのが気になる」

「もしかして……」急に頭をもたげた磯部は、何か心当たりがある顔つきで孝一を見た。

 ややあってから「そうか……」沼田が腕組みしたまま上半身を左右に揺らし、ぶつぶつと呟き始めた。

「投手がどんな投げ方をしても、足に地をつけてから球を離すまでのタイミングは変わらない。打者の目線が下を向いていたのは、孝一の足元を見ていたんだ。孝一が足を上げると、打者も足を上げる。そこでタイミングを取っていたのかもしれんな」

 どうやら腑に落ちたのか、磯部は何度も大きく頷いた。

「なるほど、そうゆうことやったのか。相手の方が一枚上手やけん。なら、りゅう兄ぃが足ば降ろす瞬間にタメば作るモーションにしてタイミング外せばよか!」

 読みは的中して、五イニングは三者三振に打ち取った。

 六イニングからは、リリーフの佐波がマウンドに上がった。しかし投球データはガッチリと握られていた。

 一アウト一、二塁のピンチに追い込まれ、八番、九番に連続適時打を浴びる。

 打順が戻ったところで見事なセーフティ・スクイズを決められ、更に三点を加点。

 三菱重工の勢いは止まらない。

 七イニングの途中から、沼田は再びピッチャー交代を命じた。

 駒沢大学で不動のエースと呼ばれた話題のルーキー水上で勝負を懸ける。

 物怖じしない堂々たる投げっぷりで勢いを封じ、九イニングまで得点を許さなかった。

 富士重打線は八イニングに守備の乱れに助けられ、三点を追加したものの力及ばず。

 結果は五対六で完敗。

 三菱重工の意地とプライドを懸けた戦いは宣言通り、二度の敗北を許さなかった。


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