第五章 風立ちぬ 十
込み上げてくる万感の想いに圧倒されそうになる。孝一は折り込みチラシの裏面にびっしりと並んだ癖文字を、何度も繰り返し目で追っていた。
武尊が抱いていた劣等感を知り、孝一は胸が痛んだ。
(武尊よ、お前は俺との何を比較して苦しんでいたというのか)
暗雲を吹き飛ばす、とびきりの笑顔。気の利いたジョーク、カッターで器用に鉛筆を削る姿。夕暮れのグラウンドで、全てを優しく受け止めてくれたキャッチボール。
(俺だってお前に敵わないさ)
「りゅう兄ぃ、この写真……」
殺風景な部屋にかけられた一枚の写真を指差し、磯部がじっと見つめていた。
「大学時代の写真さ。俺が早稲田大学で、武尊が立教大学。この写真は二年生のときだ。春季リーグで対戦した際に、地元の上毛新聞の記者が撮ってくれた一枚だよ。スポーツ欄に大きく掲載されたんだぜ」
小さなフレームの中に納まっている二人の若者は、互いに肩を組み、屈託のない笑みでカメラのファインダーを覗き込んでいた。
「ほんまに、よか笑顔たい」
磯部は切れ長の細い目をさらに細めながら、しみじみと言った。
「俺も武尊もレギュラーの座を掴んで間もなくの頃だからな。一番輝いていた時だった。ところが、三年の秋季リーグで武尊は左足に大怪我を負って。それからは、まともに歩く事さえままならず、野球を辞めざるを得なかった」
壁掛け時計の秒針が時を刻む音が割って入る。
「神様は、どうしてこうも残酷な仕打ちばするんやろうとよ。武尊兄ちゃんが何か悪い事したかね。あんまりやけん」
独り言みたく呟いた磯部の声は微かに震えていた。
「時期を同じくして、俺もアクシデントに見舞われた。秋季大会を控え、肘の故障をなんとかしようと焦ったのがいけなかった。投球の際に左手が震えるようになり、無様な姿を晒すのが怖かった俺は、逃げるようにマウンドを降りた」
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