第五章   風立ちぬ   六

「二人とも頑張るなぁ。大和、お相手ご苦労さん。お前たちは本当の兄弟のように仲がいいな。孝一、可愛い弟ができてよかったんべ」

 聞き覚えのある野太い声が響き渡った。いつの間にか、フェンス越しに確氷と沼田が顔を覗かせていた。

「感じは掴めてきたようだな。あとは落ちた球がストライクゾーンに入れば言うことなしだ。スクリューは打者の距離感を狂わせる。タイミングを崩された打者は内野ゴロに打ち取られる」

 順調な進み具合に沼田は満足そうに目を細めた。

 寮に戻ってからも、部屋の姿見に自分の投球フォームを写しながら、じっくりとフォームのチェックを行った。

 長めのフェイスタオルの先端を団子結びにしたものをボールに見立てて行うシャドー・ピッチングだ。

 人差し指と中指の間から余ったタオルを出して、ゆったりと大きなフォームを心がけながら投げる。

 シャドー・ピッチングはフォームを固めるのにもってこいの練習法である。体重移動や腕、肘の使い方を慎重に確認しながら、孝一は毎晩百球近い投げ込みを行った。

 スナップが効いていると、投げ終わりのときにタオルがパンッと小気味良い音を立てた。

八月末に行われた日本選手権の関東予選は、日本ウェルネス相手に一対五と、初戦こそ突破したものの翌日の代表決定戦では日本通運に五対二で完敗。敗者復活戦に望みを懸けるも、東芝に一対0で惜敗の結果に終わった。

 日本選手権に於いて、富士重は過去に二度の優勝旗を手にしていた。

 不甲斐ない結果に終わった都市対抗。富士重上層部の期待度も大きかった。

 大会での成績は、企業の経常利益にも少なからず影響が及ぶ。

 まさかの予選敗退に大層ご立腹だったようで、来年度以降の成績によっては休部も辞さない、との意向が言い渡された。

 冗談じゃない、まだまだこれからじゃないか。誰にも邪魔はさせない。

「畜生め、上層部の奴らは皆んな腰砕けだ。結果だけ見て、やれ休部だ、やれ経費削減だと大袈裟にわめきやがって。景気回復と同じで、そんな簡単にいくもんじゃねぇや」

 現状打開に奔走する確氷は、まんざら冗談ともつかぬ悪態をつきながら内心は穏やかでないようだった。

 何はともあれ、突き付けられた現実を真摯に受け止めるしかなかった。結果を残さないことには、休部を免れる術はない。

 結局、十一月初旬に京セラドーム大阪で行われた決勝では、JXーENEOSがJR東日本を征し、二十一年振り二度目の優勝旗を手にした。

 今シーズン向かうところ敵なしのJXーENEOSは。史上二チーム目となる、都市対抗と合わせた二冠達成の快挙を成し遂げた。

翌日のスポーツ新聞に、写真付きで掲載されたインタビュー記事に目を留めた。

 見覚えのある顔は、かつて立教大学で武尊に捕手の座を奪われた男だった。

 何故だろう、胸が騒ぐ。しつこく纏わりついて離れぬ得体の知れない不安を振り払い、孝一は読みかけの新聞を閉じて、仲間の待つグラウンドに向かった。


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