第四章   風神   六

 すっかり葉の抜け落ちた枝垂れ桜の並木道の向こうに、午後の柔らかな日差しを受けて煌めく川面が見えた。

「少し寄り道していこう。もっと近くで、あの川を見たい」

 碓氷と同じことを考えていた。少々混乱気味の頭を川颪で冷やしたかった。

「その先の十字路を右に曲がって下さい」

 ウィンカーが右に点滅してしばらく進むと、川沿いの小高い土手が見えてきた。

 綺麗に整備された遊歩道の起点にある、狭い駐車場に車を止めて外に出る。

 穏やかな午後の日差しに目を細め、碓氷が大きく伸びをした。

「この土手を上がります」

 コンクリートの階段をのぼりきると途端に視界が開け、緩やかな曲線を描きながら穏やかに流れる渡良世川が見渡せた。

 真冬の川は水量も減り、白く乾いた川底の石が所々で剥き出しになっていた。

「これが渡良世川か。実にいい眺めだ。この川のしなやかにうねる様は、まさに白龍の如くだ。伝説が生まれるのも納得がいくね」

 太陽の光に反射してきらきらと光る川面は、龍のウロコのようにも見えた。

「不徳を積むもの、丑三の刻に渡良世橋を渡るべからず。さもなくば、いにしえの彼方より渡良世川を守りし神の遣い、純白の龍、出ずるであろう。確かこんなくだりで始まる伝説です」

 ふと足元に目をやれば、形の良い丸石がぽつんと一つ。

 腰をかがめ手に取ると、なんとも収まりが良く、気づけば川に向かって思い切り放っていた。

 大きな弧を描いた先で、小さな水飛沫が上がった。

「なるほどね。それは子供たちも震え上がるよなぁ。俺のガキの頃なんて、悪さするんが仕事だったからね。この町に生まれてたら、命がいくつあっても足らんわなぁ」

 碓氷は苦笑いしながら、さり気なくコートの襟を立てた。

「美里町は北部の山沿いですからね。寒さも一段と厳しいのです」

 西の空から流れてきた雪雲が、徐々に榛名山頂にもかかり始めていた。今夜は本降りになるかもしれない。

「なぁに。吹く風の冷たさなんぞ、太田市とさほど変わらんよ。空っ風は群馬の冬の風物詩だからね。県内どこに行ったって、大した違いはない。風神さまからは逃れられんよ」

 突然、背中を丸めた碓氷は、口元に手を当て、二度三度と痰が絡んだような妙な咳をした。

「大丈夫ですか? 酷い咳だ」

 再び軽く咳払いをしながら、心配無用と軽く右手を挙げてみせた。

「昨年末に肺炎を患ってね。二週間ほど入院していたんだよ。元気だけが取り柄の不良親父も歳には勝てないね」

 息が漏れていくよなうな、妙な呼吸音が気になった。

「車に戻りましょう。冷たい風は、病み上がりの体に応えますよ」

 川上から吹き下ろす風は、肌を差すような痛みさえ感じるほどだった。

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