第四章   風神   五

 目が回るほどに忙しい年末を乗り切って、ようやく年明けを迎えた。

 新春の喜びを表現した新作の和菓子がショーケースに並び始めた一月中旬頃のこと。

 この日は、孝一が一人で店番を任されていた。桶川に住んでいる美佐子の姉の長女が結婚式を挙げるので、一通りの段取りを終えた午前十一時には夫婦で揃って出かけていった。

 静かだ。元気のいい美佐子の声が響かない店内は活気も失せ、しんと静まり返っていた。

 年に二回か三回ではあったが、ぱったりと客足が遠のく日がある。

 どうやら今日は、そんな一日になりそうだった。

 レジ奥のイスに腰掛けて頬杖をつき、ぼんやりと冬枯れの庭を眺めていると眠気を催してきた。

 何度かこっくりとしながら浅い眠りを貪っていると、自動ドアの開く音と共に、一気に冷気が吹き込んできた。

 夢心地から途端に身がシャキッと引き締まる。本日最初の来客に「いらっしゃいませ」の声も弾んだ。

 紺の無地のスーツに身を包んだ男は何処か見覚えのある風貌なのだが、今一つはっきり思い出せない。

 身長は180センチを少し欠いたくらいだろうか。背筋はシャンと伸びて、堂々とした印象だった。

 白髪まじりの短くカットされた髪には、ひと昔前に流行ったパンチパーマがあてられていた。

 なだらかなアーチを描いた太眉に二重瞼の大きな目。でんと胡座をかいたような鷲っ鼻に、ぽってりと厚みのある唇。少々せり出したメタボ気味の下腹。

 もしや、富士重工業野球部の確氷監督ではなかろうか。

 いつぞやブログで見た、野球部の集合写真の最前列中央に写っていた人物に違いない。

 全身に鳥肌が立ち、みるみる体が強張っていくのを感じた。

 男はショーケースを覗き込みながら、しばし色とりどりの和菓子を眺めていた。

「見事だね。まさに芸術品だ。これ全部君が作ってるのかい?」少し低めの野太い声だった。

「いえ、自分はまだ修行中の身でして。ここ最近になって、やっと一つ、二つと作らせてもらってます」

 湧き上がる警戒心を、得意のポーカーフェイスで覆い隠した。

「和菓子職人というくらいだからなぁ。きっと厳しい世界なんだろう。どうだい、和菓子作りは楽しいかい?」

 人懐こそうな笑みを浮かべてはいるが、時折ふと鋭い眼光を放つ。勝負師の目だ。

「楽しいというよりも、喜びですかね。自分が丹精込めて作り上げた和菓子がお客様の目を楽しませ、その舌を満足させることができたなら、これ以上の喜びはありません」

 ありきたりの模範解答で対応しながら先方の出方を伺う。

「そうか。君はきっと、いい職人になる。頑張りなさいよ」

 男が握手を求めてショーケース越しに手を差し伸べてきた。

 一瞬、躊躇したが、差し出された右手に恥をかかせるわけにはいかない。

 左手を伸ばすと、男はガッチリと握りしめたまま、なかなか放そうとしなかった。

 ざらりとした感触の、固くて大きな男臭い手だった。

 

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