第二章   雷神    三

「わかったわ。おじさんが言ってた雷神さんの正体が。武尊は力の使い方を間違ってるのよ。湧き上がってくる怒りのエネルギーに翻弄されるがままなのよ。正しい方向へ向ければ、きっと大きな力になって、助けてくれる。負けちゃ駄目よ!」

 真琴の祈りにも似た想いが、武尊に伝わって欲しいと願わずにはいられなかった。

「俺の中にだって雷神さんが棲んでる。厄介な神様に振り回されっぱなしだ。武尊は覚えてるか? 俺とお前でバッテリーを組んで、高校までずっと野球やってきてさ。お前は最高のパートナーだった」

 改めて自分の手をまじまじと見る。

 武尊とは対照的で節が太く、やたらと長い指。この手で、投げ抜いてきた。

「マウンドに立っていると、時にとても孤独を感じるんだ。怖くて逃げたしたくなる。俺の中で雷神さんが暴れまわって、万事休すだ。でも、お前が出してくるサインで、俺は正気に戻れた。お前がいてくれたから、ピンチを乗り切れた」

 キャッチボールの相手は、いつも武尊だつた。言葉にできない想いを泥まみれのボールに込めて投げれば、きちんと受け止めてくれた。

 ユニフォームの裾で何度も丁寧にボールを拭いたあと、二度、三度とミットを叩いてから、笑顔で返してくれた。

 そんなやり取りを繰り返すうちに、最後はもう『小っちぇえ、小っちえぇ』ことになっていた。

 今、武尊の中で暴れ太鼓を打ち鳴らす雷神さんを、諫められるだろうか。

 かつて俺にしてくれたように。

「おじさんは弟子を欲しがっていたけど、誰でもいいって訳じゃないのよ。初めて武尊に会ったとき、同じ匂いを感じたんですって。だから放っておけなかったって」

 悲しいかな。雷神様は容易に聞き入れては下さらない。

「嘘だ。俺は師匠に見放されたんだ。お前の書いた達磨さんは縁起達磨じゃない。こんな似非達磨を、人様に売るわけにはいかないとさ。暇をやるから、頭を冷やしてこいって、追い出されちまって。そのままさ」

 空になってしまった徳利に舌打ちをする雷神は、なんとも哀れで小さく見えた。

「どうして師匠の気持ちが分からないかな。疑心暗鬼の淵で溺れている武尊に、おじさんは、ずっと手を差し伸べているのよ。這い上がって来いって」

 武尊は呼び鈴を乱暴に押し鳴らすと、駆け付けた店員に「遅せぇんだよ!」と、くだを巻いた。

 真琴は申し訳なさそうに両手を合わせ「徳利あと二本お願いね」と、付け加えた。

「どうしたら雷神さんを鎮められるのか、見当もつかねぇんだよ。あ〜、わかんねぇ」

 どうにもならないジレンマに頭を掻き毟る武尊の眉間には、うっすら縦皺が刻まれていた。

 元来が真面目な男だ。はまり込んだ迷路にもがき苦しんでいたに違いない。

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