第一章 なごり雪 七
目覚めた時に最初に飛び込んできた光景は、見覚えのある煤けた天井だった。
流れるような木目を、ゆっくりと目でなぞりながら、大きく一つ欠伸をする。
武尊の住んでいた古アパートの、六畳一間の部屋に違いなかった。
「また、ここに来ちまったのか」
淡いオレンジ色のカーテンの隙間から差し込んでくる光は柔らかく、もう昼近い時間帯なのだと思った。
孝一はまだ渋い目を擦りながら、テレビの上の置き時計を見た。
時計の針は十二時を少し回っていた。
どうやら炬燵でうたた寝したらしい。
たまらなく喉が渇いていることに気づき、ふらふらと立ち上がる。
我ながら酒臭い息。こめかみのあたりがズキズキと脈打つように痛む。
薄暗い台所の狭い流し台の前に立ち、水道の蛇口を捻った。
暫く使われていなかったため、赤茶けて少し濁った生臭い水が流れ落ちてきた。
とても飲めたものではない。
割れそうに痛む頭を抱え込むと、昨夜の夢がフラッシュバックしてくる。
渡良瀬橋の色とおなじ朱色のバス。謎めいた美しい車掌。渡良瀬橋での梅吉との再会。満開の枝垂れ桜。香ばしい湯気の立ちのぼる焼きそば。梅吉の壮絶な最後の瞬間。
どのシーンも、とうてい夢と呼ぶには、あまりに生々しい現実感を伴っていた。
そういえば、こっそりポケットに忍ばせた、割り箸の赤い包み紙があるはず。
孝一は、慌ててズボンのポケットをまさぐった。やはり何も出てこなかった。
絶望感と安堵感の入り混じった吐息が漏れる。武尊のアパートに辿り着くまでの記憶のほうが、なんとも曖昧で頼りなかった。
武尊がアパートから忽然と姿を消してから、二年の月日が経とうとしていた。
身寄りのない武尊が、いつ帰ってきてもいいようにと、孝一の名義で借り換え、今日にまで至っている。
部屋の中は手つかずのままに、主人の帰りを待ち侘びていた。
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