恐怖は人の何かを狂わせるのですね
ユニバンス王国・王都郊外北側ゲート区
「あら?」
汚らしい野郎の悲鳴……もとい救いを求める男性の声に、箒を手に後始末をしていたフレアは地面に向けていた顔を上げた。
師から貰い受けた魔道具の唯一にして最大の問題が存在する。砂鉄だ。
丸めてスカートに収納している黒い布も砂鉄を介して操っているし、砂鉄その物を操ることもできる。
何が問題なのかと言えば、やはり砂鉄だ。
一度の使用で結構の量を自分の周囲に撒くこととなる。
結果として掃除と回収が必要になるのだ。
だから黙々と地面の上を掃いては砂を集め、魔道具を使用して専用の袋へ集めていく。
地道にその作業を繰り返していた矢先に響き渡った悲鳴だ。
「何ごとですか?」
「はい」
呼びかければ若いメイドの1人が姿を現し事情を説明してくれた。
何でも王都の方から1人だけ這う這うの体で逃げ出して来た者がいるらしい。
フレアは一瞬自分の“主人”が居るであろう北門からかと想像したが違った。もっと奥からだと言う。
確か王都内には元帝国のオーガとミシュが居るはずだ。
あれらは主人が打ち漏らした者たちを狩るために配置されていたはずだ。
それか北門が抜かれた時のために、
「王都から逃げて来たと?」
「はい」
掃除を一時停止し、フレアは騒ぎになっているゲートの方へと向かい歩き出す。
敵の捕縛も終わり運用を止めていたゲートの再開に準備を進めていたら襲撃されたと言う。
たった1人で良く逃げて来たものだとフレアは感心すらした。
「あれですか」
「あれです」
十重二十重と包囲しているメイドたちの後ろからフレアも覗き込む。
ハルムントの精鋭メイドたちが包囲をして攻撃しないのは不思議に思ったが、ゲートの前を見て何故か自然と納得した。
囚われているのはゲートの運用関係者だろう。
もさもさとした顎髭や腕毛が特徴的な……酒場で出会ったら声をかけられる前に逃げたくなるタイプの人物だった。
あれは間違いなく卑猥な言葉をかけて来る。
酒を奢って来て酔いつぶれたら間違いなく宿に運んで襲い掛かって来る。
勝手な印象だがフレアの目にはそう映ってしまった。
そんな全体的にもさっとした男性が首にナイフを当てられて悲鳴を上げているのだ。
聞くに堪えない野太く地面を震わせる悲鳴だ。何故か救ってやりたいと言う気持ちが微塵も湧かなくなる。色々な意味で凄さだけが見え隠れしている。
「あの囚われている者は?」
「はい。ゲートの警備担当で……」
聞けば囚われの男は常にゲートに居て警備を担当している者らしい。
その風貌からは精神を疑ってしまうほど優しい人物らしく、子供の客などにお菓子を手渡しているのだとか。
だったら怖がられないように髭や毛を剃れとフレア的には言いたくもなるが、常にゲートには腕利きの警備員が居る訳ではない。
何よりこの様な場所で騒ぎを起こすのはユニバンスを知らない外国の者か……まあそういった類の何かに浮かれて周りの空気を読めない馬鹿者が多いのだ。
そんな時には実力よりも見た目が効果を発揮することが多い。
つまり強面の男が凄みながら武器を手に近づいて来るだけでお祭り気分だった者は肝を冷やして押し黙るのだ。
「つまりあの風貌も仕事の一環ですか」
そういう理由を聞けばフレアとしても相手の評価を変化させる。
仕事に徹した素晴らしい御仁だ。決して近寄りたくは無いが……と言うか生理的に無理だ。
何かが自分の中で拒絶する。
「それでフレア様」
「何か?」
控えていたメイドが顔を上げ“上官”に告げる。
「私たちは今回影役なので、後をお任せしても宜しでしょうか?」
「……」
言いようのない何かにフレアは小さく首を傾げた。
まさか目の前のこの若いメイドは自分にあれの対処をしろとそう言っているのだろうか?
「分かりました」
「分かっていただけますか?」
「ええ」
ニコリと笑い、フレアは刃傷沙汰よりも自分の方を見ているメイドたちに笑いかけた。
「今から後輩のルッテに命じて、この中に居るメイドを1人狙い撃ちさせます。矢が当たった者があれを鎮圧してください。上官命令なのでしょう?」
「「……」」
静かに口を閉じメイドたちはいっせいに蜘蛛の子を散らすが如く逃亡した。
《あと少し……もう少し……》
脇腹の激痛に眉を顰めながら、セネヒは人質を盾にゲートへと近づいていた。
この場の制圧と王城への攻撃を引き受けたはずの魔法使いたちが居ないことに疑問はあったが、この国の強さを理解した今なら納得も出来る。鎮圧されたのだろう。
今となればそんなことは些細なことだ。彼としてはすることは1つなのだ。
本国に帰り前宮廷魔術師にことと次第を報告する。
聡い友人であればきっと自分がもたらすであろう情報から気づくはずなのだ。
それを信じゲート前へとセネヒは声を上げた。
「ゲートを使わせろ」
捕らえている男の首にナイフを近づける。
人質を無視して攻撃されればそれまでだが、もうこのような方法しか残っていない。
捕えている男が少しでも地位のある者であることを願うばかりだ。
また野太い悲鳴が辺りに木霊し、何故か黒い……伝説に聞きし黒い衣装を纏った女性たちがこちらなど気にせず走って逃げた。
そう逃げたのだ。意味が分からない。
「ゲートの使わせろ」
「……理由を伺っても?」
静々と1人の女性が前へと出て来た。
ひと目見てセネヒは思う。『これは決して勝てない化け物だ』と。
黒い衣装を纏った女性は前へと出て来て軽く一礼した。
「お初にお目にかかります。私は本日この場を任されている者です」
「そうか」
隙が無い。こちらが攻撃を仕掛ければ一瞬で命が潰えてしまいそうだ。
「どのような目的でゲートを?」
「……」
返事に困るがセネヒは覚悟を決めた。
「本国に帰させてもらう」
事実を告げた。
「この戦いはやるべきでは無かった。本国はこの国のことを何も知らず、ただ『東部の小国』と言うことだけで動いた。結果はどうだ? 我々は負けた。完全に負けたんだ」
起きてしまったことは変えられない。神聖国が負けた事実は変えられないのだ。
「だから逃げ帰る。上に報告をしてもう2度とこんな国を攻めないように進言する」
「貴方にそのような権限が御有りで?」
「一応な」
素直に答えたセネヒに対し、フレアはただ冷ややかな視線を向けていた。というよりも彼にではない。人質となっている人物にだが。
だが事実を知らないセネヒは途中から変化させた自分の言葉に気づかれたのかと不安になっていた。
もし相手が気づいているのであれば……この場から逃れることが難しい。
「分かりました」
フレアは小さく頷いた。
「私の権限ではそこまでの便宜は図れません。出来ることは人質を救出し、貴方の逃走を見なかったことにするぐらいですが宜しいでしょうか?」
「構わない」
「ならどうぞ。あっと、その人質は最後に開放を」
感謝の気持ちで人質を解放しようとしたセネヒは、相手の言葉に戸惑う。
だがフレアは顔色一つ変えずに口を開いた。
「出来ればゲートが開くまで拘束を」
「何故?」
「私の射殺好きな馬鹿な後輩が好機だと判断して貴方の頭を狙い撃つ可能性がありますので、出来れば人質を抱きしめ……そう。そんな感じで力強く抱きしめていてください。
そしてゲートに入る時は人質を横に。間違ってもこちらに向かい解放しないように」
淡々としているが有無を言わせない相手の言葉にセネヒは従う。
事前に膨大な魔力が注がれていたのかゲートはあっさりと開いた。
「感謝する」
約束通り人質を横に投げ彼はゲートを潜った。
「宜しいのですか?」
戻って来た若いメイドがフレアにそう声をかける。だがフレアはもうゲートを見ていない。背中を向けその場から離れるよう速足で移動を始めていた。
「構いません」
現メイド長を追いかける若いメイドはその声を聴いた。
「私が約束したのはこの場で彼を見なかったことにすると言うことです」
「ですが?」
「それに」
ニコリと笑い2代目メイド長は追いついた若いメイドの足に影を放った。
「人は嘘を吐く生き物です。そして私は裏切りを忘れない女です」
「フレア様~!」
膝まで砂鉄で拘束されたメイドはその場から動けなくなる。
ドタドタと響いてくる足音に軽く悲鳴を上げながらメイドは肩越しに振り返り……彼女はその顔から血の気を完全に引かせた。
人質だった男が感極まって走って来る。はっきり言って恐怖と絶望しか感じない。
「貴女に命じます。ハルムント家のメイドを代表し、彼からの感謝の意を一身に受ける役目を譲りましょう。さあどうぞ」
「ふれあさまぁ~!」
「私は掃除が忙しいので」
あっさりと若いメイドを見捨ててフレアは逃げ出した。
そして逃れることの出来なかった若いメイドはフレアの代わりに彼に抱きしめられ、感極まった相手からの熱い抱擁と口づけを受ける名誉を賜ったと言う。
後日このメイドと男性が付き合いだしたと聞いたフレアは、遠くを見つめてひと言こう漏らしたと言う。
『恐怖は人の何かを狂わせるのですね』と。
~あとがき~
王都から逃げて来たセネヒは人質を取りゲートを潜る。
ぶっちゃけそのことよりも人質の方が気になるフレアたちって…流石ユニバンスだなw
あと少しでユニ襲撃編も終わりだ。終わるのか? 終わりたい
© 2022 甲斐八雲
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