閑話 25

 ユニバンス王国・王都王城内アルグスタ執務室



「今日の天気が悪いのは貴女のその貧相な顔のせいよ!」


 窓の外を眺めてから捻り出した言葉がそれだった。


 クッションが良く効いた長時間座っても腰に優しい高級椅子にちょこんと座る少女の発言はどう考えてもただの悪口でしかない。流石にそれはダメだと思われる。


「ただ悪口では?」


 静かに放った指摘に少女の上半身が若干傾げる。が、踏ん張った。


「大丈夫。まだ出来る。良し! すぅ~はぁ~……その服はドレスのつもりかしら? 私の知らないお店の物のようね。無知でごめんなさい」

「だから悪口では?」

「ふなぁ~ん!」


 ゴチゴチとまだ幼い少女が使用している机の天板に額を打ち付けだした。


 いつものことだ。この少女は毎日この部屋に来ては、部屋の主の代わりに書類にサインを入れている。そのサインも鉄製の板を刻んで作った判だ。それにインクを付けて迷わず押している。

 内容を確認しているのか疑いたくなるが、その暴挙が問題にならないように手助けするのがこの部屋を代理で管理しているクレアの仕事だ。

 今は書類仕事の手を休め、少女の相手をしているが。


 と言うかクレアからすれば部屋の代理管理人とか意味が分からない。

 知らない間にそうなっていた。


 普通に考えれば部屋の主は上級貴族ドラグナイト家の当主であるアルグスタだ。

 王族の一人であり王位継承権を持つ由緒正しい人だ。そんな人物の代わりが務まるのは伴侶であるノイエぐらいである。

 国の英雄でありドラゴンスレイヤーの称号を持つ女傑だ。彼女であれば誰も文句など言わない。


 もしそれ以外でというのであれば英雄の妹が推薦される。

 元は地方の集落で奴隷のような扱いを受けていたそうだが、それをアルグスタが保護してノイエの義妹となった。名をポーラと言う。またの名を天才メイド少女だ。


 その立場から本来であればドレスを纏い城に登城するのが普通のはずだが、少女は常にメイド服を愛用している。何故なら少女はメイド服を纏い王国最強のメイド長からその技術を伝えられメイドの英才教育を施されているからだ。

 三代目のメイド長はあの子で間違いないと表立って噂されるほどの才能を見せている。


 この国ではそれが普通なのであるが、メイド長という地位は1人しか居ない。後は違う名称で呼ばれている。勝手に名乗ることはできない。そんな恐ろしいことをしたら、その者たちにどんな未来が待っているのか……確実に分かるのは長くは生きられないと言うことぐらいだ。


 故にメイド長の地位は前任者からの指名制である。


 現在はとある貴族の令嬢であった人物が二代目のメイド長を襲名している。

 ただその二代目も『私のメイド長の地位は次世代が育つまでの代理なような物です。三代目を襲名するポーラ……少女が周りから認められたらさっさと譲ろうと思っています』と言っているほどだ。


 どうも二代目メイド長はメイド長の地位を仕方なく名乗っている様子が強い。

 王弟屋敷で働くために周りから認められるまで……とそんな気配が強いのだ。


 ちなみに二代目メイド長はクレアの実の姉である。


 額を何度も打ちつけた少女はそのまま天板に頭を預けて動かなくなった。


「コロネちゃん。今日、この後は?」

「……勉強です」

「勉強は頑張れと言うしかないけど」


 落ち込みが激しい少女にクレアが掛けられる言葉はそれぐらいだ。

 本当にまだ幼いコロネは勉強の類が苦手のようだ。その様子がはっきりと伺える。


 クレアとしては決して勉強は嫌いでは無い。むしろ好きだ。好きだから城に集められた貴族の子供たちに勉強を教えている。姉がしていたことの後を継いだとも言える。

 ただ最近は本業である書類仕事が多忙をきたしていることと、複数の貴族令嬢が教師役を担い勉強を教えるようになったので回数は前と比べれば格段に減ってしまった。


 クレアの本心としてはずっと勉強を教えていたかったが、そこは貴族間の力関係が働きだした。何でも色々と勘ぐってろくでも無いことを考えだす人物が居るのだ。

 こちらに何ら非の無い所を主張するには相手の申し出を受けた方が良い。

 ただ素直には応じない。こちらにも貴族としての矜持がある。


 クレアが出した条件は『勉強会に参加する子供たちの休憩にお菓子を提供すること。そのお菓子代を負担してもらうこと』だ。

 貴族たちはその申し出を小馬鹿にしたように受け入れた。『これだから大貴族の箱入り娘は……』と言いたげに鼻で笑っていた。

 だからこそちゃんと掲示した契約書を確認しなかったのだ。


 提供するお菓子は王都の高級店ブロストアッシュの高級ケーキだ。

 それを毎回人数分となると結構な額になる。その事実を知った馬鹿貴族たちはいっせいに殴りこんで来た。


 クレアとしては軽い意地悪の気持ちだったから文句を言われれば金額を下げた物にする予定だった。予定だったのに……何故かそんな日に限って上司であるアルグスタが部屋に居た。

 朝から部屋から移動せずに仕事をしていた。


 だから迷うことなく頭を突っ込んで来た。口も挟んで来た。

『ウチの店で提供しているお菓子の金額に文句があるの? 喧嘩売ってるの? 死にたいの?』と完全に喧嘩腰でスタートした。


 ブロストアッシュのオーナーは他でもないアルグスタだ。ただ妻に美味しいケーキを食べて欲しいと金額度外視で色々と作らせている。

 完全に赤字店だが彼は気にしない。ただ美味しい物を作れば良いと言って店の者たちを働かせている。


 『不味いモノを作るな! 材料費なんて気にするな! お前たちはただ美味い物を作り続ければ良いのだ! 赤字なんてちょっとドラゴンを狩って来ていくらでも補填してやる! だから限界に挑み続けろ!』


 オーナーの発言とは思えないが、おかげでブロストアッシュは大陸東部で最も美味しいケーキを作る店と言われるようになってきている。

 最近では大陸の西部から来た女性が頭角を現して新作ケーキを作り出しているとか。

 それを迎え撃つ古参の職人たちも触発されて……あの店のケーキのゴールは何処なのか全く分からない状況だ。


 話が脱線したが、妻を喜ばせるためのケーキ店を馬鹿にされたと思ったのか、彼は全力で喧嘩を売った。売りに売った。売りまくって……何故か馬鹿な貴族たちは定価の2割増しでケーキ代を支払うことを約束し、泣きながら帰って行った。


『うっし。売り上げ貢献』などと喜んでいた上司が居たが、彼は基本お金になど気にしない。何せ彼らはこの国一の大金持ちだ。

 高額で売れるドラゴンを狩れるドラゴンスレイヤー夫妻なのだから。


「コロネちゃん」

「……はい」


 額を机に預けたままで少女は返事を寄こした。


「アルグスタ様は優しいけど……たまに変なことをするからね?」

「……」


 現在の被害者がコロネだ。現在進行形で上司のアルグスタの玩具となっている。


「でも本当に優しい人だから、本当に嫌ならちゃんと断れば止めてくれる……はず」


 そのはずだ。


 普段からやる気のない行動や言動が目立つが、彼の爆発的な行動力は恐ろしい時がある。

 妻に暗殺者が差し向けられたという理由だけで隣国の大国に乗り込んで戦争してしまう人でもある。挙句に一方的に襲撃し続けて大国を疲弊させた。


 趣味と道楽で生きている割には……とにかく家族や部下には優しい人だ。


「あの人がコロネちゃんを玩具にしているのは、コロネちゃんを仲間だと思っているから。仲間だと思っているならあの人は絶対に無理をさせない。嫌だって言えば許してくれる」

「……うん」


 ポツリと声が返って来た。

 ゆっくりとコロネは頭を上げる。


「でもまだ平気」

「本当に?」

「うん。それにこの義腕の分は働かないと」


 告げて少女は自分の左手で右腕に触れる。


 ゴツゴツとして何処が禍々しい形をしているが、少女の右腕には国宝級の義腕が取り付けられている。国宝を越えているとも言われているが、ユニバンスには『国宝級』よりも上の存在が無い。

 だからこその国宝級だ。


 大きくて少女の腕には不釣り合いだが、それも少女の成長を計算されて作られているという。

 将来を見越して腕を作るだなんて普通はしない。何よりこんな至宝をメイド見習いに預けることが無い。それをあっさりするのがアルグスタだ。


「わたしはあの人たちに救われたから」

「だからって無理なことは無理って言わないと」


 自分ができないことをクレアは口にしていた。むしろそれはクレアの願望だ。

 無理なことは無理と言いたい。でも……言えない。言って嫌われたくないからだ。


「まああの人なら自分に差し向けられた暗殺者だって心底困っていると気付いたら助けちゃいそうだけどね」

「……」


 クレアの言葉にコロネは何も答えず、また額を机の天板に押し付けた。

 そんな暗殺者だった過去の自分のことを言われた気がして恥ずかしくなったのだ。




~あとがき~


 リハビリ感覚でちょっとコロネの話でも。

 ただクレアとの会話を書いただけで終わるとか予定外なんですけど?


 ですのでもう一話は書きます。

 書ききれれば本編に戻りますが、書ききれなかったら3話目に突入か?




© 2022 甲斐八雲

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