生まれてもいないけれど

 ユニバンス王国・王都王場内アルグスタ執務室



「酷いのよアルグちゃん」

「良し良し」


 ここは全力で慰めた方が良い。触らぬ神に……と言う奴だ。

 慰めて発情しても、もう少しでホリーは帰る時間だ。問題は無い。


 本日分の書類仕事をしてのんびり過ごしていたら、ホリーが駆けて戻って来た。

 背後のノイエはそのままだ。ピタリと張り付いてホリーの胸を支えている。


 慰める僕の膝に顔を押し付けているホリーの首元からピンク色のブラ紐が見える。どうやらブラを装着しているようだ。けどノイエは支えている。


 ノイエさん。触れてても巨乳は得られないんだよ? 気持ち良いの?

 その感触の良さは知っているけど、ホリーが怒らないならそのまま揉んでなさい。


 泣きながら甘えて来るホリーの言葉を纏めると、犯人はブラらしい。

 違った。ブラを持って来た人物だ。ミネルバさんとコリーさんだ。


 会議場で他者をなじり無能呼ばわりしていたホリーの背後に立ったコリーさんは、彼女を殴り飛ばして説教を始めようとした。

 陛下の仲裁でホリーは僅かな時間を与えられ、大急ぎで話し合いを済ませると……そのまま実の姉に運ばれて行ったらしい。誰も居ない空き部屋に。


「ブラは届いたんだね」

「……うん」


 甘えるホリーが可愛らしく頷く。


 良し良しと彼女の頭を撫でて、手を貸して起き上がらせる。

 ノイエさん。少しだけ手を放して貰えますか? ホリーが終わったら次はノイエに同じことをするから。本当にノイエは良い子ですね。


 ホリーを足の上に座らせて軽く抱きしめてあげる。


「ホリーがいつものように振る舞うからコリーさんが怒るんだよ」

「でも」

「仕方ないでしょ? ホリーだってノイエが悪いことをしてたら叱るでしょ? それがお姉ちゃんなんだよ」

「……うん」


 スンスンと鼻を鳴らしてホリーが抱き着いて来た。


 現在この執務室には僕らしかいない。ポーラはまだ商会の人たち相手に喧嘩中だ。

 子供メイドだからと舐めてかかる商会の人たちを相手にそろそろ印籠……ドラグナイト家の紋章を見せているかもしれない。ドラグナイト家の人間がメイド服を着て話し合いの場に出向いて来るとは思わないだろう。物凄い嫌がらせだよな。ただの虐めだ。

 仮に暴力に訴えかけでもしたら合流したミネルバさんが無双するはずだ。故に何も心配は要らない。王城の傍らに存在する建物で暴力を振るう馬鹿は居ないと思うけどね。


 しばらくホリーの頭を撫でていたら、彼女は目を閉じてうとうとと舟を漕いでいた。

 こうしているとホリーって本当に美人でスタイルの良い女性でしかないんだけどね。暴走すると手の付けられない恐ろしい殺人鬼に変貌もするけどさ。


「ノイエ」

「はい」


 小声で声をかけるとお嫁さんもまた小声で返事を寄こし、無音で隣に移動して来た。


「ホリーの寝顔……どう?」

「お姉ちゃんはいつも綺麗」

「ノイエの自慢のお姉ちゃんだもんね」

「はい」


 フリフリとアホ毛を揺らしてホリーを見つめるノイエが目を細めた。


「昔と違う」

「ん?」

「お姉ちゃん」


 アホ毛のフリフリが止まらない。


「昔はいつも怒ってた」

「ホリーだもんね」

「馬鹿ってたくさん言われた」

「ホリーだしね」

「はい」


 アホ毛のフリフリが止まってノイエは真っ直ぐホリーを見つめる。


「でも好き」

「うん」

「大好き」

「お姉ちゃんだから?」

「はい」


 そっと手を伸ばそうとしたノイエが動きを止める。

 ホリーがゆっくりと目を開いたからだ。


「私も好きよノイエ」

「……」


 普段聞かせないほど優しい声をホリーが綴る。


「家族ではない人を初めて好きになった。それがノイエ。私の自慢の妹よ」

「はい」


 弧にしならせたアホ毛をノイエは柔らかく揺らす。


「ねえノイエ」

「はい」

「私はちゃんと貴女のお姉ちゃんができているかしら?」


 ホリーの声にふわりとアホ毛が動いた。


「ホーお姉ちゃんは大切な人」

「「……」」


 僕とホリーの動きが止まった。今ノイエさんは何と言った?

 抱きしめているホリーが全身を震わせる。驚愕とはこのことか?


「ノイエ。今っ」


 伸ばし掛けた手と言葉と一緒にホリーが消えた。そして僕の足の上には宝玉が残った。

 本日は会議もあって帰りが遅くなったのもある。おかげで時間切れになったらしい。


「ノイエさん」

「はい」

「……君って本当にお姉ちゃんを魅了する天才だね」


 アホ毛を綺麗な『?』にしてノイエが首を傾げた。

 気づかずに実行しているのだからノイエは天才なのだろうな。


 妹属性の……姉殺しの天才だ。




「外に出る~!」


 戻って来たホリーが余りにも騒ぐのでセシリーンは両手で耳を塞いだ。

 それでも煩い。外聞も忘れ子供のように寝っ転がって駄々をこねている。

 魔眼の中で最も優秀な知恵者とは思えない。ただの子供だ。


「外に出して~! ノイエが私の名前を呼んだの~!」

「気のせいじゃない?」

「だぞ~」

「……あん?」


 無礼な言葉にホリーが身を起こす。

 中枢の入口にレニーラとシュシュが居た。


「息継ぎのタイミングとかでそう聞こえたんだと思うよ」

「だぞ~」

「……そう」


 ゆっくりと立ち上がったホリーは、2人の敵に目を向けた。

 その様子にセシリーンは自分を枕にしているファシーとリグを抱き寄せ今から始まる暴力に備えた。


「ノイエに名前を呼ばれたからって拗ねないで欲しいわね」

「「あん?」」


 ホリーの安い挑発に2人は乗った。

 自然と距離を詰める3人に対し、この場に居る人物たちでは誰も止められない。


 ギュッと2人を守るようにセシリーンは抱きしめきつく目を閉じた。


「……馬鹿ばっかね。本当に」


 静かに響いた声は、伝説の人物の物だった。

 セシリーンは自分の耳に意識を傾け……その存在を確認する。

 間違いなく刻印の魔女だ。


 彼女が争おうとしていた3人を制圧していた。

 床に伏している3人は、気絶しているような感じがする。呼吸はしている。死んではいない。


「貴女たちって名前1つで殺し合うとか本当に馬鹿なの?」

「それは……」


 魔女に問われたセシリーンは、小さく息を吐いた。


「ノイエに名前を呼ばれるのは私たちにとって名誉なのよ」

「だからって殺し合うほどのことなの?」

「仕方ないのよ。愚かだとは分かっているのだけど」


 こればかりは感情も関わって来る。


「そう」


 呆れながら刻印の魔女は床に転がっている馬鹿共を適当に飛ばした。

 ランダム転移だ。魔眼の中でしか使えない魔女の魔法だ。


「それで歌姫」

「何かしら?」

「魔女は何処に」


 魔女に魔女の存在を問われセシリーンは微かに苦笑する。

 ゆっくりと意識を魔眼の中に広げ微かな音を拾い集めた。


「王女様を虐めているわ」

「また?」

「ええ。何だかんだでアイルは王女様の突飛も無い思考が好きなようだから」

「まあ……あの王女様は天才と言うか紙一重の存在だからね」


 苦笑し魔女はポリポリと頬を掻いた。


「まあ良いわ。どっち?」

「出て左。まっすぐ進んで3つ目を右でたどり着くわ」

「ありがとう」


 ヒラヒラと手を振って魔女は歩いていく。


「そうそう歌姫」

「何かしら?」


 足を止めて魔女は我が子のように2人の人物を抱きしめている彼女に目を向けた。


 同年代の2人を抱きしめている彼女の優しさに気づいていないのか……2人は熟睡したままだった。逆にここまで爆睡していることの方が凄い。


「貴女のお腹の子供なのだけど……何の能力も引き継いでいないみたいなの。どうする?」

「どうとは?」


 歌姫は小さく首を傾げた。

 別に何の能力も継いでいなくとも、彼との間に得た子供だ。それだけで愛おしい。


 だが歌姫は聞いた。魔女が微かに笑う声をだ。


「ただの子供なんて育てるだけ無駄でしょう? だったら今のうちに」

「なっ!」


 凛と響いた声に魔女は上半身を激しく振るわせた。

 片膝をついてその目を歌姫に向ける。


「効いた~。今のが貴女の武器ね?」

「……」


 セシリーンは何も答えない。

 咄嗟に放ってしまったが、また声を武器にしてしまった。でも、


「無能でも構わない。私がちゃんと育てるから」

「そう」


 立ち上がった魔女はクスクスと笑う。


「ならどんな子供であってもちゃんと育ててみせなさい。まだ生まれてもいないけれど」




~あとがき~


 ミネルバさんはホリーの扱いを知っていました。

 実姉の襲撃に…女帝ホリーもただの妹にw


 ノイエに名前を呼ばれると殺し合いになるのが魔眼の中です。

 ただ色々と面倒なので刻印さんが仲裁という名の鎮圧を実行しました




© 2022 甲斐八雲

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