溶解!

 ユニバンス王国・王都内練兵場



 例え落ち目になろうとも、それを理由に主人を裏切ることは出来ない。見捨てることは出来ない。

 私には分からない。どうして今まで良くしてくれた主人を見捨てることが出来るのだろうか?


 主人はずっと私のような者を雇ってくれた。一般の者よりも多くの物を貰い贅沢をさせてくれた。確かに辛い仕事や汚れ仕事もあった。

 でもそれは主人が私を信用してくれたからこその仕事だ。

 それを完璧にこなせばまた多くの物を得た。


 一番得られて嬉しかった物は主人からの信頼だ。信用だ。

 だからこそ私は頑張れた。主人のお陰で妻も得た。妻との間に子供は恵まれなかったが、主人と妻を幸せにするために頑張れた。


 妻の死は仕事が忙しく看取れなかったが、彼女もそれを理解していた。

 幸せに逝けたからこそ微笑んで眠るように亡くなったと看取った者から聞いた。


 私は幸せだった。幸せだったのだ。

 このまま死ぬまで主人に仕え……充実した死を迎えるはずだったのに。


 憎い。目の前に居るあの若造が憎い。化け物を娶った元王子が憎い。

 権力も財力も何もかもを生まれながらに得ている人物には、主人の苦労など何一つ知らないのだ。

 主人がどれ程苦労を重ねて一族を、領地を、繫栄させようとしていたのかを知らないのだ。


 許せない。許すことなど出ない。


 本当ならあの憎い男に抱き着いている化け物が作った毒を使用するはずだった。

 瓶に入れた毒をあの男に投げ、それで殺すはずだった。


 でも私は考えた。

 ここまで毒を使っていれば相手も警戒しているはずだ。だったら毒など使わない。

 主人を苦しめたあの憎い相手に刃を突き立てて直接殺す。毒はそれが叶わなかった時だ。それに主人に秘密にしていた武器もある。三段構えならどれか一つが届くかもしれない。


 大丈夫です。バッセン様。

 全てはこの愚かな部下の独断ですから……どうか成功しても失敗しても全ての罪を私に押し付けてください。全ての罪を。


 今回の全ては、この愚かな部下が主人の意向をはき違えて実行したのですから。

 そうして下さい。


 貴方様が居たから私は幸せに生きることが出来ました。

 本当です。ですからどうか私を切り捨ててください。見捨ててください。

 賢い貴方ならそれぐらいのことは瞬時に理解できるでしょう。


 お願いします。どうか……どうか!




 様々な悲鳴が辺りに響く。

 バッセンの背後から動いた男性は、地を蹴り一気に距離を詰めた。

 両手で握りしめた短剣に力を込め……突き出した刃は届かなかった。


 寸前で頭部に激しい衝撃を受け、彼は自分の頭を掴む掌を見た。


「何してるの?」


 感情も何もない冷たい声に彼の背筋は凍り付いた。

 ミシミシと音を立てる頭蓋に、掴まれている頭部から激痛が全身を駆け巡る。


 自分は死ぬ。


 それを確信しながら彼は笑った。

 刃が届かないことも想定していた。


 届かなかった短剣を捨てて懐に手を差し入れる。

 指で蓋を外して取り出そうとした腕を掴まれた。


「何してるの?」


 本当に相手は化け物だ。

 毒入りの瓶を掴んだ腕は、その骨はあっさりと握り潰された。

 頭蓋が割られていないのが奇跡に思える。


 これで2つが潰された。

 でも大丈夫。もう1つある。


 問題は目の前に居るのがドラゴンスレイヤーなだけだ。

 けれどこれを渡された時にあの者はこう言っていた。


『これは異世界のドラゴンを呼ぶ魔道具です』と。


 王都からは『宝玉』と呼ばれる魔道具を持っているのであれば提出するようにと命令が来ていた。

 これは違う。玉などではない。箱だ。だから提出しなかった。

 屁理屈と言いたければ言えば良い。それが弱者の知恵だ。


「まだだ。まだ届く」


 潰された腕を必死に動かし瓶を足元に落とす。

 が、黒いドレス姿の化け物が地面に触れる前の瓶を掴んで見せた。


 瓶の口からこぼれた液体が化け物の皮膚に落ち煙を立てるが……それだけだ。傷1つ負っていない。


「死ね……化け物」


 潰れていない腕を懐に押し込み箱の蓋を開いた。

 白い化け物が人形のような顔を向け……そして呟いた。その声が耳に届いた。


「それも届かない」


 そんな訳はない!


 彼は胸の内で叫んだ。

 口を動かせなかったからだ。


 箱から這い出たそれは、男の腹を食い破り肉体の中へと侵入した。

 人を食らい尽くすために……。




 ノイエの奮戦で僕は無事だ。

 まさか直接部下を襲わせるとは思わなかった。思わなかったけど、ノイエが隣に居る状態ならどんな攻撃も大丈夫だと思っていた。


 想定外は襲撃者が血を吐いて全身を痙攣させている。

 口封じで毒でも飲んだのかと思ったが様子が違う。

 口の他にも腹から血を溢れ出し……これって何でしょうか?


「アルグ様」

「はい」


 スッと後退して来たノイエが僕に左手を差し出してくる。

 手の甲を上にして……とりあえず彼女の手を取り甲にキスしておく。


「違う」


 違った。ノイエの場合ご褒美だったら唇だよね?


「あの変なヤツ」

「変な……ああ。祝福か」


 僕の対ドラゴン必殺技はノイエの中では『変なヤツ』扱いなのね。


 言われるがままに祝福をノイエの左手に与える。

 左手に祝福を宿したノイエはそれを握りしめて一瞬で移動した。

 目にも止まらない速さで襲撃者にアッパーカットだ。顎を潰して上空に吹き飛んだそれは……落ちて来ない?


 上空に浮かんで全身を震わせている。

 どんなトリックだ? ガラスの板でも置いてますか?


「アルグ様」

「はい?」


 何故かノイエが不満っぽい雰囲気を漂わせている。


「変なヤツは?」

「しました。ちゃんと」

「むう」


 僕の主張を無視してノイエが膨れた。

 そう言われてもちゃんと祝福を……あっ。


「ノイエ」

「はい」

「あれってドラゴンなの?」

「はい」


 指をさして質問すると、ノイエは軽く頷いた。

 どうやらあれは残念なことにドラゴンらしい。

 改めて視線を向けると……上空で浮かぶ人だった者は、全身を痙攣させて体のあちこちから流血させて血の雨を降らせている。


 野次馬さんたちは全員回避していた。逃げ足の速い人たちだ。

 と言うかウチのパパンたちも結構遠くに移動している。残っているのは僕らとブルーグ家の爺ぐらいだ。僕らが逃げても追って来ることだろう。


「さあ困ったぞ」

「なに?」

「僕の祝福の弱点だ」


 そうこれは弱点だ。

 あれがドラゴンなのは良い。問題は人の皮を被っているのだ。


 僕の祝福はドラゴンを直接攻撃しないと効果が現れない。

 つまり人の皮と言うか皮膚を挟まれると通じない。意外と不便な能力である。


「あの中からドラゴンを引きずり出さないと……待ちなさいノイエ」

「なに?」


 早速と飛び立とうとしているお嫁さんを僕は制した。


「あれって本当にドラゴンなの?」

「臭いはそう」

「……」

「なに?」

「ちょっと待ってね」


 実に厄介である。

 ノイエがそう判断しているなら間違いなくドラゴンだろう。


 ただノイエがそれを捕まえて中身を引きずり出すと言うのは……この衆人環視の中で実行するのは彼女の悪名が増えてしまう。それは大変宜しくない。


「ノイエの腕力を使わないで中身を引きずり出す方法か~」


 思わず呟いてため息を吐く。

 そんな方法ある訳が……チュッチュッと左頬にキスされた。


「お兄ちゃん。あれを融かせば良いの?」

「……」


 ファナッテがとんでもなく恐ろしいことを言い出した。

 そのフレーズは先生以外の口からあまり聞きたくない。これ以上人を融かす存在が増えないで欲しい。


「出来るの?」

「うん。強い毒を掛ければ人は焼けて溶けるから」


 澄んだ笑みを浮かべて左腕に抱き着くファナッテがそんな恐ろしいことを。


 あ~。硫酸とかそんな感じ? 感じで言っているから良く分からないけど、硫酸って毒だっけ?


「サクッとあれを融かしてくれる?」

「うん!」


 めっちゃ笑顔でファナッテが左手を上空の存在に向けた。


『焼けろ焼けろ焼けろ。我が毒を用いてその全ての存在を焼いて爛れさせろ』


 魔法語の内容が痛々しいんですけど?


「溶解!」




~あとがき~


 忠臣である彼は最後まで主人の為に…他人から見れば愚かな生き方かもしれなくてもそれを実行する。何故ならそれが彼にしてみれば正しいことだから。


 先生の腐海は腐らせて融かすタイプです。

 ファナッテの溶解は強い毒を振りかけて融かすタイプです。


 腐海の方が全てを融かせますが、ファナッテの溶解は融かせない物も存在しています。

 どちらも強力な攻撃魔法で厄介なんですけどね。


 あと腐海の方が攻撃範囲が広いのですが、溶解の範囲は狭めです。

 ファナッテは溶解以外にも強力な毒魔法をあと数個持っています。


 だから出したくないのよ!

 対人魔法だとアイルローゼ並みに厄介な存在だから!




© 2022 甲斐八雲

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