もっと私に胸躍る不幸を

 ユニバンス王国・王都郊外ドラグナイト邸



「お兄ちゃん。お兄ちゃん。お兄ちゃん……」

「だから落ち着け! そして抱き着くな! 足を絡めるな!」

「お兄ちゃん。お兄ちゃん。お兄ちゃん……」

「僕の顔を見て話しを聞こうか?」

「うん」

「だから顔を見たら何をしても良いということでは無いからね。落ち着こうか?」


 どれ程抵抗をしてもファナッテの抱き着き攻撃が止まらない。

 絶対にこの子の前世は蛇か蛸か烏賊だ。毒を持っているからやはり蛇か?


「お兄ちゃん。んっ。お兄ちゃん。んっ。お兄ちゃん。んっ……」

「キス攻撃が加わったか。だが僕は学んだ。同じ間違いは」

「んっ。んっ。んっ。んっ。んっ。んっ……」

「流れるような動作でキス一択を選択するな!」


 顔を近づけて来てファナッテが頬にキスして来る。

 もう止まらない。全力で頬に……はて?


「ファナッテ?」

「んっ。んっ。んっ。んっ。んっ。んっ……」


 抵抗するのを止めて相手の行動を観察する。


 全身を使ってこれでもかと密着して来る。これはたぶん普段誰にも触れられない余波だろう。

 触れられることが嬉しくて、だからノイエの体でそんな場所を擦り付けて来ちゃダメ~!

 まあそれは良い。嬉しい攻撃ではある。主に僕の下半身が元気になってしまう類だ。


 後は甘えが凄い。

 僕を『お兄ちゃん』と呼んで甘えて来る。悪い気はしない。


 次いでキスが止まらない。ただ顔は頬や額までだ。それ以上は何故かしてこない。

 あっ今、鼻先にもされた。それは良い。何故唇にはして来ない?


 たぶんファナッテは頭の中がお子様なのである。お子様だからアダルトの知識がない。

 頬や額にキスの類は……絵本か何かで得た知識だろう。

 つまり相手の知識の上を行けばショートして沈黙するかもしれない。


「ファナッテ」

「んっ。んっ……」

「ん」

「んっ!」


 相手の動きに合わせて顔を動かし迎え撃つ。正面から彼女の唇を奪ってみた。

 全身を硬直させてファナッテが動きを止めた。計算通りだ。


 暫くキスしながら見つめ合っていたら、ゆっくりとファナッテが自分から離れた。


「お兄ちゃん……」

「はい?」


 顔を真っ赤にしながらモジモジと彼女は全力で恥じらいだす。


「うん。良いよ」

「はい?」


 ファナッテの中で何かが完結したような気配を感じた。


 悪い予感を抱いていると乙女チックに口元に手を運んだファナッテがこちらの様子を伺ってくる。チラチラと……恥ずかしがりながらだ。


「お兄ちゃんが望むなら」

「はい?」


 あっこれヤバいヤツだ。


「私、喜んでお兄ちゃんのお嫁さんになるね」


 宣言してファナッテが僕の首に腕を回すとキスして来た。


 うん。どうやら僕はちょっとしたミスから地雷を踏み抜いたらしい。




「シャー!」


 全員の気持ちを代弁して猫が吠えた。泣きながら吠えた。


「あらあらアルグスタ様ったら……本当に」


 笑顔の歌姫の口調はとても冷ややかだ。


「……」


 まだ死体のホリーに至っては、外に居る両者に対しての呪いの言葉が止まらない。

『全てよ呪われよ』と言いたげに呪っている。


『ん~。こっちは……何をしてるの?』


 脳に直接届く言葉に歌姫はハッとした。

 自分の力でも感知できない特別な存在。その人物の声に驚いたのだ。


「珍しいわね。ライナラ」


『うん。とっても美味しそうな気配がしたから散歩しに来た』


 盲目である歌姫の目は何も映さない。その優れた耳ですら相手の気配は捕らえられない。けれど確実に相手はこの魔眼の中枢に居るはずだ。


『猫が居る』


「にゃ?」


『ん~? あれ~? この猫って血みどろ?』


 脳に響く声にセシリーンは苦笑し口を開いた。


「ええ。最近は猫になって幸せに暮らしているの」


『そっか~。知らなかった』


 相手の気配は感じ取れないが、代わりに目が見えるファシーが警戒し動き出した。

 その動きを追うことでセシリーンは相手が居るであろう場所を特定する。中枢の出入り口付近だ。


『物凄く警戒してるね』


「きっと初めてその姿の貴女を見たのよ」


『そっかそっか』


 ヘラヘラと笑う感じで相手が声を寄こす。


「それでライナラ」


『なに?』


「何しにここに?」


 歌姫は本題を口にした。


 こんな時に限ってホリーが沈黙している。たぶん先ほど激しく外の2人を罵っていたから、死んでしまったのだろう。少し放置しておけば蘇生するが、本当に間の悪い殺人鬼だ。


『うん。美味しそうな気配がしたから』


「ミジュリのことね」


『うん。だから散歩のついでにね』


「そう」


 ならば問題は無い。ミジュリとてこのライナラの厄介さは知っているはずだ。

 他人の不幸が大好物の……そう考えると、ミジュリが傍に居ればライナラは満足し続けるかもしれない。


「それで最近はどんな夢を見ているの?」


 世間話でもする感じでセシリーンは気軽に声をかける。


『うん』


 明るく澄んだ返事が頭の中に届いた。


『やっぱり復讐物が一番だよね。もう頭の中で世界が100回は滅びるぐらいのドロドロな愛憎劇を繰り広げているよ。

 今は貴族の娘が最終的に自分をゴミのように捨てた王子様に復讐する物語を見てる。良いよね~。命乞いをする相手を踏みつけてナイフを突き立てるところとか……見てて興奮しか覚えない』


「にゃん」


 何故か愛らしい猫がライナラの発言に同意する。

 それを受け流しセシリーンは口を開いた。


「貴女らしいわね。それでその次の物語は決まっているの?」


『うん。次は姉妹が王子様を求め、互いに敵対して足を引っ張り合って最終的に殺し合うのが良いかな~って』


「にゃうん」


 何故か愛らしい猫が深々と頷いている。

 ファシーの場合物語の内容ではなく『殺し合う』の部分に反応しているのだと歌姫は気づいているが、それを口にするのは……避けたかった。


『で、とっても美味しそうな気配がしたから』


「そうなのね」


 だから“夢幻”が出歩いて来たのだとセシリーンは理解した。


『私としてはもっと過激な復讐劇を期待してるんだけど~』


「貴女の場合は最終的に殺し合いでしょう?」


『それが良いんだよ』


 小躍りしそうな明るい声をライナラが送って来る。


『白いドレスを真っ赤な血で濡らす場面なんて最高でしょ?』


「にゃあん」


『兄妹や姉妹が最終的に殺し合ったり、偽装結婚からの復讐劇なんて本当に最高よね。もちろん最後は命乞いをする相手にこれでもかとナイフを突き立てて』


「なぁん」


『……良く分からないけど、この猫とは美味しいお酒が飲めそうな気がする』


「なふん」


 実体を持たないライナラと猫が、固い握手を交わしていそうな気配を歌姫は感じ受け流した。

 自分ではこの空気を対処しきれない。外の彼ならあっさりと捌いてくれそうだけれども。


『復讐には血が、血液の花が必要なのよ』


「なおん」


『それなのにミジュリだっけ? 毒はダメ。毒は中盤で相手を嵌める時に使う道具だから、それを最後に持って来ちゃダメよ。読者が引くわ』


「なぁ~」


 ライナラの言葉に何故か猫が同意している。

 確かにこの猫は毒などに頼ったりしない。最後は自身の手に不可視の刃を纏わせて殴り殺す方を選ぶ。さぞ綺麗な血の花が咲くことだろう。


 現実逃避をしたセシリーンは意識を戻した。


「貴女の趣味にあれこれ言う気は無いのだけど」


『なに?』


「私は貴女が書き始めた頃の作品が好きよ」


『あれは……燃やして捨てたい過去だわ』


「そうかしら?」


 本当に素晴らしい作品だとセシリーンは思っている。


「小さな女の子が夢見て頑張って成長して王子様と結ばれる話なんて、」


『ダメよ。不幸が無い。あの頃の私は不幸の素晴らしさを知らなかったの』


「……」


『不幸と復讐と血液は大切なの。大切なのよ!』


「なふん」


『……この猫貰っても良いかな?』


「ダメよ。それは私のモノだから」


『そうか』


 本当に残念そうな声をライナラは発した。


『ああ。不幸……もっと私に胸躍る不幸を』


 段々と声が遠ざかりそして消えていく。

 深く息を吐いたセシリーンは、何となく猫を呼んだ。


「だ、れ?」

「ライナラよ。知らないの?」

「は、い」


 頷いてくるファシーにセシリーンは苦笑した。


「知ってるはずよ。魔眼の中でいつもずっと目を閉じて、たまにニヤニヤ笑っている女性」

「……知って、る」

「彼女がライナラよ」


 呆れつつセシリーンは我が子に説明する。


 作家であり魔法使いのライナラは、普段ずっと床に座り込んで自分の世界に埋没している。

 頭の中で物語を描き、その物語の世界に入り込んでその世界を見続けているからだ。


 故に普段の彼女が動き回ることはない。

 無いのだが時折魔法を使いああして動き回ることがある。


 その姿は薄くぼんやりとした人型らしく、ついた別名が“夢幻”だ。


 不幸と復讐を好む彼女は、他者に不幸を押し付けると言われている。

 その姿を見たら不幸になるので、出会ったら出来るだけ姿を見るなと言うのが、魔眼の中のちょっとした共通認識だ。


「見た、よ」

「ええ。だからしばらくファシーは大人しくしてなさい」

「かあさん、は?」

「私はこの目に何も映らないから平気なのよ」

「……ズル、い」


 ライナラのことを知らずはっきりとその姿を見てしまったファシーは、拗ねてセシリーンの胸を叩いた。

 我が子の癇癪をセシリーンは素直に受け入れた。




~あとがき~


“夢幻”ことライナラさんは、ユニバンスの王都近郊の街に住んでいた魔法使い兼作家さんでした。

 最初は普通の作品を書いていましたが、途中から復讐物に偏りだして…中堅くらいの作家に。


 普段は座り込んで大好物の復讐物の物語を思い浮かべて自分の世界(妄想)に浸っていますが、好物を察知すると魔法を使い魔眼の中を出歩きます。

 その姿はぶっちゃけ幽霊にしか見えないとか。


 で、ミジュリが焦っていたのは…出歩いている彼女の姿を見ると『不幸』になるという噂が。

 嘘か本当か分かりませんが…あのレニーラが踊りでミスったり、カミーラが負けたりとそんなことが起こり信じられています。


 だからミジュリは焦ります。自分にどんな不幸が起こるのか、と?




© 2022 甲斐八雲

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る