もう絶対に離さないんだから
ユニバンス王国・王都郊外ドラグナイト邸
「もうお許し下さい。ポーラ様」
「だめです。にいさまのめいれいです」
「ですが!」
寝間着に着替えさせた先輩メイドに抱き着き、ポーラは軽く頬を上気させて相手を見つめる。
熟れたトマトの様に顔を真っ赤にさせたミネルバは、両手で顔を覆って隠そうとするが意味をなさない。もう全身が顔と同じように真っ赤だからだ。
「せんぱい」
「……ポーラ様はとても聡明で愛くるしくて」
「それはもうききました」
「どうかもうお許しを」
「だめです」
笑顔で相手に甘えるポーラは終わることを許さない。
これが我が儘なのだと理解しつつ、ただこんなにも気持ちの良い物ならずっと味わっていたいとも思う。
普段あんなにも真面目な先輩がここまで本心を晒してくれているのだ。それはやはり嬉しい。何よりどれ程自分のことを愛してくれているのか知れるのは嬉しいことだ。
「せんぱい」
「お許しを」
「だめです。もっとです」
甘えた声を出してポーラは増々ミネルバに我が儘を言う。
こんなにも楽しい時間が長く続けばと思いながら。
「おや?」
触って揉んでと存分に確認していたノイエに変化が。色が変化した。
髪の色が金髪に。そして瞳の色は碧眼に。
一瞬僕の天敵かとも思ったが、どこか全体的に色が薄く感じる。
「お~い?」
「……えっ?」
ゆっくりとこっちを見たノイエが、慌てて逃げ出す。
転がるようにベッドから落ち、その際に巻き込んだシーツに包まって蓑虫になった。
ただ顔と言うか目元だけはシーツの中に隠さず、ジッとこっちを見つめている。
警戒されていますか?
「あの~。誰でしょうか?」
「……誰?」
質問を質問で返されました。
「僕はノイエの夫でアルグスタと言います」
「……ノイエの? あの子はどこ?」
どうやら本気で言ってるみたいだ。
ゆっくりとベッドを降りて部屋の壁際に置かれている手鏡を手に取る。
「これで見える?」
そっと鏡の面を相手に向けると、大きくその目が見開かれた。
「私?」
「と言うかノイエだね」
「……私は?」
「ノイエの体を使っているね」
「……本当だったんだ」
どうやら話には聞いていたけど信用していない様子でした。
改めて蓑虫さんはシーツの中から自分の手足を出して観察し始める。マイペースか?
「で、改めて聞いても良い?」
「……」
もう良いかなって思って質問したら、また警戒された。
「君は誰?」
「……ファナッテ」
「はい?」
「ファナッテ」
僕の記憶が確かなら、この蓑虫さんがあの毒の息吹ですか?
「毒魔法の?」
「……」
返事はない。伏せ目がちな瞳でこっちを見ている。
「そっか。初めまして」
とりあえず挨拶は大切です。
「床の上に座って居るのもあれだから、そっちの椅子かベッドに座ったら? ソファーもあるよ?」
「いい。ここでいい」
どうも信用されていないっぽい。警戒が半端ない。
「ならファナッテはどうして外に?」
「……歌姫に誘われた」
何をしているんだセシリーンよ。後でお仕置きか? ただ彼女は僕の子を妊娠しているらしいから……出産後にお仕置きだな。
対ホリー用の魔道具を使ってイジメてやる。アンアンと鳴かせてやる。
「それで歌姫になんと?」
「……ブルーグ家に復讐したいなら貴方に会えって」
「ふむふむ」
「以上です」
以上かよ。それってほぼ丸投げだぞ?
「それで君は復讐したいの?」
「……分からない。でも手伝わないと、手伝わないと」
言いながらファナッテがガタガタと震えだした。
「全部私が悪いから。全部私のせいだから。私が生まれて来たのが悪いから。だから手伝わないとダメなの。言われたままにしないとダメなの。拒否なんてしちゃダメなの。絶対にやらないと」
「はいはい落ち着いて」
パンパンと手を叩いて彼女の視線をこっちに向ける。
何なのこのプレッシャーに押し潰されたカエルのような危ないメンタルは?
軽く相手に近づいてその場でしゃがんで目線を相手と合わせる。
「それって君がしたいことじゃないよね? 君がやらなきゃいけないと思っていることだし、あと贖罪だしね。僕が聞きたいのは君の気持ちかな?」
「きもち?」
「そう。君は復讐がしたいの?」
「……分からない」
その目を左右に彷徨わせながらファナッテは怯える。
「分からない。でもしないと」
「うん。でもそれって君の望み?」
「分からない」
うん。これは完全に心が死んでいらっしゃる。自我が無いやん。
「ねえファナッテ」
「……なに?」
「君の好きな事とか物とか食べ物とかはある?」
「好きな?」
「そう。好きな」
僕の問いに彼女はしばらく考え込んだ。
「お菓子が好き」
「焼き菓子ならあっちの棚にたくさんあるから好きに食べてね」
グンッと凄い勢いで彼女の頭が動いたよ。
「……後で食べる」
「うんうん。それと他には?」
「ご本が好き」
「うんうん」
「お話が好き」
「なるほどね」
子供だ。前にレニーラがファナッテのことを『体は大人。心は子供』みたいに言っていたけど納得だ。その通りだ。
「甘い物が好き」
「女の子はみんな好きだね」
「お花も好き。触ると枯れるけど」
「それは頑張れ」
「人形も好き」
「ウチにはポーラの部屋にしかないんだよな」
「それから……」
ポツリポツリと言葉を続ける彼女の『好き』は本当に子供じみている。
たぶん子供の時から時間が止まっているのか、その頃に心が死んでしまったのか。
「……もう無い」
「本当に? 最後に何か無い?」
僕の問いかけにファナッテはしばらく首を捻り続ける。
その隙を見てじわじわと相手との距離を詰めた。
考えことに夢中で僕との距離が近くなっていることに気づいている様子は無い。これで捕まえられる。
「……ノイエが好き」
「どんな感じで?」
「あの子は……」
ポッとファナッテの頬が赤く染まった。
「撫でてくれた。私の頭を」
「こんな感じ?」
「えっ?」
不意を突いてファナッテの頭を撫でてあげる。
シーツ越しだけど問題は無い。
「はい。自分の好きを言えたファナッテは偉いですね」
「……」
見る見る彼女の表情が強張った。
「ダメッ」
「のほっ」
ドンと突き飛ばされて床の上を転がった。
回転を止めて相手を見ると、ファナッテはきつくシーツを自分に巻き付けて震えていた。
「近づいちゃダメ。触っちゃダメ」
「どうして?」
「私の毒で」
「毒?」
そう言われるとファナッテって自動毒製造機みたいな存在だったんだよな。
まさか僕ももう彼女の毒に侵されていますか?
「私に触ると皮膚が爛れて」
「爛れる?」
確認してみるがファナッテに触れた手は無事です。
「シーツ越しだから大丈夫だったみたい」
「そんなことない。シーツ越しでも、」
「ほら」
疑う相手に触れた掌を見せる。握って伸ばしてとおまけ付きでだ。
「うそ……」
震えながらファナッテは膝立ちで近づいて来た。
恐る恐る手を伸ばし僕の手が無事なのを確認すると、またその手をシーツの中へと戻す。
「直接触れたから今度は」
「……大丈夫そうだね」
「うそ」
ファナッテに触れられた掌は無事です。何の違和感も異常もありません。
「もっとガッツリ触ってみるか」
「ダメ。もし万が一っ!」
相手の言葉を聞かず彼女の肩を掴んでシーツの中に手を入れる。
触り慣れているノイエの体だけど、触れる度に新しい反応をされると……仕方ないやん。僕は健全な男の子だもん。色々と悪戯をしたくなるのさ。
「大丈夫そうだね」
「……」
ベタベタと各所の肌に触れてみたけど僕の掌に異常はない。
異常があるとすれば、ファナッテが真っ赤になっているぐらいだ。
「ダメって言った……」
「でも大丈夫だよ?」
「違う」
モジモジとしがら上目遣いでこっちの様子を伺うファナッテの様子が、ちょっとどころでは無くて可愛い。
「男性に触られたのは初めて」
「おおう。それは失礼しました」
そんな理由でしたか。いつも通りつい触ってしまったよ。
「でも嬉しい」
「はい?」
スルッとシーツを解いてファナッテがその身を晒す。ノイエの体ですけどね。
「貴方は毒に侵されない?」
「良く分からないけどそんな感じ?」
「なら」
飛び掛かって来た。
そのまま床の上に押し倒されて……相手が全力で抱き着いて来るんですけど!
「ちょっとファナッテ」
「なに? お兄ちゃん」
「お兄ちゃんって……はい?」
抵抗しつつ相手の顔を見つめたら何かに気づいた。瞳が一瞬ハートマークに見えたような?
「お兄ちゃん」
「おおう。そんな所をグリグリと」
「お兄ちゃん」
密着度が半端無いんですけど?
「ねえお兄ちゃん」
「はい?」
甘えた声を出してファナッテが僕を見つめて来る。
「頭を撫でてお兄ちゃん」
「それぐらいでしたら」
良し良しと頭を撫でてあげる。
暫くそうしていたら彼女は満足したのか……僕の胸に顔を押し付けて来た。
「お兄ちゃん」
「はい?」
またファナッテが僕を見つめて来る。さっきのハートマークとは違い蛇のような目で。
「もう絶対に離さないんだから」
「……」
背筋に冷たい何かが全力で走り抜けた。
これってたぶんヤバい子な気がする。間違いなく。
~あとがき~
ノイエの体を使い外に出たファナッテは、初めて自分の毒が通じない相手と出会いました。
ぶっちゃけホリーの掌の上でコロコロされているだけなんですけどね。計算通りです。
何も知らないアルグスタは、怯えている相手に優しく接します。基本お人好しですし。
ただホリーもアルグスタもファナッテの本質を知りません。
彼女の本性は…粘着系甘えん坊気質なんです。ヤマアラシのジレンマ的な女の子なんです
© 2022 甲斐八雲
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