犬は素直

 ユニバンス王国・王都郊外ドラグナイト邸



「ノイエ。私は自分の部屋に」

「ダメ」

「何でよ?」


 可愛い妹に運ばれやって来たのは彼女の寝室だった。厳密に言えば彼女たちの寝室だ。

 慣れ親しんだ2人の匂いと、花瓶に活けられている花の香りが混ざり合い、何とも言えない空気を作り出している。

 嫌いでは無い匂いだが、ずっと吸っていると胸の奥がキュッとなってしまう。

 彼の寵愛を一身に受けている妹が羨ましくなるのだ。


 抱えられたままベッドに運ばれ、アイルローゼは優しく降ろされた。

 そして妹は迷うことなく抱き着いて来て甘えだす。


「貴女は飲んでないのだから酔ってないでしょ?」

「はい」

「それなのにこれは何?」

「ダメ?」

「ダメではないけれど」


 それでも戸惑ってしまう。

 可愛らしい妹がこんなにも甘えて来るなんて……それはそれで幸せだ。

 きっと魔眼の中に居る者たちは全員羨ましく思っていることだろう。


「本当にノイエは甘えん坊ね」

「はい」


 胸に顔を押し付けて来る妹が本当に可愛らしい。

 そっと手を相手の頭に伸ばし優しく撫でていると、ノイエはその顔を上げてジッと見つめて来た。


「お姉ちゃん」

「何よ」

「……消えたらダメ」

「消えないわよ」

「嘘もダメ」

「本当よ」


 ポロっと涙を落した妹の頬をアイルローゼは指をあてて優しく拭う。


「消える訳じゃない。私はただ……魔眼と言う部屋に戻るだけよ」

「どうして?」

「さあ? それは貴女の妹の中に居るあの性悪に聞いてくれるかしら?」

「……あれ、苦手」


 ノイエにして『あれ』と呼ばれる存在にアイルローゼは何故か微笑んでしまった。

 基本人を嫌わないノイエが避けるなんて……余程のことが無いと起きないからだ。


「お姉ちゃん」

「何かしら?」

「また会える?」

「会えるわよ。ノイエが望むなら」

「はい」


 胸に頬を押し付けて甘える妹が本当に可愛い。

 昔はあんなにもクルクルと表情を変えていたが、今は凍ってしまったかのようにその美しく育った顔を固定している。


「ごめんなさいね。ノイエ」

「なに?」

「私たちが愚かだったから貴女ばかりに苦労を掛けて」

「なに?」

「貴女の笑顔を奪ったのは私たちだから」

「……平気」


 コクンと頷いて妹が真っすぐ見つめて来る。


「アルグ様が言う。笑わせるって。だから私は笑える」

「……信じているの? その言葉を?」

「はい」


 そっと身を起こしノイエは横になる姉の隣に座った。


「アルグ様は約束を守るから」

「そうね」

「絶対に諦めないから」

「そうね」

「だからいつかは赤ちゃん」

「……」


 それはどうかと思ってアイルローゼは沈黙する。

 自分も外に出てから結構な回数を……大丈夫。大丈夫なのか? 大丈夫とはどっちの意味だ?


 悩むアイルローゼの頭の中を色々な言葉が走り回る。


「お姉ちゃんも赤ちゃん」

「ひゃっい!」


 妹の急な言葉に思いもしない声が出た。

 慌てて両手で自分の口を押え、アイルローゼはその視線を彷徨わせる。


「お姉ちゃんの赤ちゃん。きっと綺麗」


 座った姿勢で見つめて来る妹は、娘が生まれると断言しているような言葉を紡いできた。


「だったらノイエの子供の方が綺麗よ」

「はい。でもきっと元気」

「元気はダメなの?」

「……お姉ちゃんに怒られる」


 ピンと弓なりで存在して居るノイエのひと房の髪が、元気を失いへにゃっと下がった。


「その魔剣もだいぶ貴女に馴染んでいるみたいね」

「なに?」

「気にしなくても良いわ」


 施設で作った不完全な魔剣は乏しい材料で仕上げた物だった。

 けれど今妹の髪を触媒とした魔剣は、あの狂った魔法使いが万全の材料で仕上げた逸品。それもノイエの為だけに作った魔剣だからこその馴染みとも言える。

 余りにも馴染み過ぎているのはちょっと気になるので、今度あの化け物を外に出して確認させた方が良いのかもしれない。


 そう判断し、アイルローゼはそっと妹の頬に手を伸ばした。


「ねえノイエ」

「はい」

「私がもし彼の子供を産んだら」

「いつ?」


 食い気味に妹が顔を近づけて来た。

 余りの圧に両手で相手の顔を掴んでアイルローゼは無理矢理に遠ざける。


「……まだよまだ」

「はい」


 強めの言葉で叱るとノイエはシュンとした。


「貴女は辛いと言うか悲しくは無いの?」

「?」


 妹は全力で首を傾げる。


「彼が別の女性と子供を作ることが、その……」


 不貞と言えばそれまでだ。そしてそれをしているのが『姉』と呼ばれ慕われている自分であると言うことに、アイルローゼは言葉を続けられない。


「たくさん欲しい」

「えっ?」

「赤ちゃん。たくさん欲しい」


 まだ首を傾げたままでノイエは言葉を続ける。


「私はお姉ちゃんたちがたくさん居て楽しかった。だからたくさんは楽しい。たくさん居たら笑顔もたくさん」

「ここを前王妃の屋敷のようにしたいの?」

「分からない。でもお姉ちゃんがたくさんは嬉しい。私は嬉しい。だから赤ちゃんも同じが良い」

「彼を寝取られても?」

「アルグ様?」


 余りにも首を傾げるのでバランスを崩したノイエがアイルローゼの胸の上に顔を乗せて来た。


「大丈夫。アルグ様はアルグ様」

「えっと……つまりノイエが独占できなくなっても?」

「平気」

「寂しくないの? 辛くないの?」

「……どうして?」


 胸を枕にして覗き込んでくる妹にアイルローゼは返事に困る。

 どうしてと問われても……それが普通なはずだ。


 彼を愛しているのなら、独占したいと思うはずだ。


「もし彼が私とばかり一緒に寝ていたら?」

「私も一緒に寝る」

「えっと2人でその……ああいう行為をしていたとしたら?」

「私も一緒にする」

「……」

「みんな一緒。家族は一緒」


 ようやく気付いた。と言うよりもようやくアイルローゼは確信した。


「ノイエは私たちが彼と一緒に居ることは嫌じゃないのね?」

「はい」


 迷いのない即答だ。


「みんな家族。みんな一緒」

「なら私たちが妊娠しても」

「お姉ちゃんの好きな人との子供なら嬉しい。家族が増える」

「……そうね。きっとたくさん増えるわ」


 妻であるノイエの許しを得てしまった。

 きっと魔眼の中にも今の言葉は伝わっているはずだ。

 これであの馬鹿弟子は、枯渇するまで吐き出し続ける日々を強要されるだろう。


 ただ『もう死ぬって』とか騒いでいる割にはあの馬鹿は元気だ。

 刻印の魔女から教わった魔法が本当に必要なのかすら疑問に思う元気だ。


 そう言えばあの魔法を使ってみせた宰相代理はどうだったのだろうか? 使用報告の提出が条件だったから報告書が届くはずだが……まだ来ていない。

 明日にでもミネルバに命じて報告書を届けさせよう。


「アルグ様なら頑張れる」

「まあ頑張っているわね」


 気を許せば毎晩だ。何が楽しくて毎晩太ももに頬を擦り付けて……それから先のことを考えアイルローゼは顔を真っ赤にさせた。


「早くたくさん欲しい」

「まだ難しいみたいだけど」

「でもたくさん?」

「そうね」


 妹を撫でてアイルローゼは微笑む。


「いつかはたくさんの子供に囲まれるわよ」


 何だかんだであの馬鹿弟子は絶倫だ。ユニバンス王家の男性は夜に強いと言う噂があったが、あれを見ているとどうやら事実らしい。

 確かに王家の者などは子供を残し子孫繁栄に努めるのが仕事でもあるので間違ってはいない。そうなる様に何かを色々と積み重ねて来たのだろう。


「早くが良い」

「我が儘を言わないの」

「むう」


 拗ねた妹がまた抱き着いて来て甘えだす。


「お姉ちゃんも早く」

「私は……最後で良いわよ」

「どうして?」

「だって……」


 アイルローゼは言葉を濁した。


 産みたいと言う気持ちはあるのだけれどやはり怖いと言う気持ちも先走る。何より話に聞く限り物凄い苦痛だとか。それを聞くと正直腰が引けてしまう。


「私はノイエの後で良いわよ」

「ダメ」

「どうしてよ?」

「妹にならない」

「……そんな我が儘は私が許さないわノイエ」

「違う。妹は大切。妹は楽だから」

「ノイエっ!」

「むう」


 軽く叱ると妹は頬を膨らませて体を起こした。


「お姉ちゃん我が儘」

「どっちがよ」

「分かった。だったらお姉ちゃんなんて知らない」

「……」


 妹の言葉に胸の奥が冷たくなる。

 大丈夫。ノイエは優しすぎるくらい優しい妹だから姉を切り捨てることなど絶対にしない。


「アルグ様に言ってまたわんわんにしてもらう。犬は素直」

「ちょっとノイエ! それをどうして!」

「わんわんになればお姉ちゃんも素直」

「ならないから! あれは……そう言うことだけど色々と違うの!」

「知らない。我が儘なお姉ちゃんなんて知らない」


 ひょいっとベッドを降りたノイエが部屋を出て行く。

 慌てて逃げ出そうとしたアイルローゼだが、酔っているせいで上手く体を動かせない。

 ジタバタと暴れている間に……妹夫婦が寝室へとやって来た。


「アルグ様」

「風呂上がりの拉致は止めて」


 何故か彼の方は準備万端で全裸だ。


「お姉ちゃんをわんわんにして」

「……」


 自分の妻に彼は視線を向ける。


「わんわん」

「良いの?」

「良くないから! ダメだから!」


 必死に声を張り上げるアイルローゼだが、妹はそんな姉を切り捨てた。


「良い。赤ちゃん欲しいから」

「任せろノイエ! 何なら2人纏めて!」

「ちょっと待った~!」


 叫びながら姿を現したのは小柄なメイドだ。


「犬ならこれが必要よね? 大丈夫。お代は勝手に受け取るから!」


 メイドの姿をした邪悪な存在が、赤色と白銀の色をした……犬の耳を模したカチューシャを彼に手渡すのをアイルローゼは絶望的な視線で追い続けた。


 もうダメだ。これは絶対に逃れられない。


「わんわん」

「ノイエの馬鹿~!」


 楽し気な妹に対し姉の絶望的な悲鳴が木霊した。



 その夜ドラグナイト家では2匹の犬が『わんわん』と良く吠えたそうな。




~あとがき~


 わんわんがわんわんしてわんと鳴くw


 ノイエさんは姉たちが好きな人と結ばれて子供が生まれることが嬉しいことです。

 その相手があの馬鹿でも問題無いです。アルグスタのことは大好きですが、姉たちも同じぐらい大好きです。大好きと大好きが大好きになるのは良いことだと思ってます。


 嫉妬はもちろんしますよ。彼が自分にない物を望めば胸の奥がイライラしますから。

 でも基本何でも許してしまうのがノイエなのでしょうね




© 2022 甲斐八雲

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