あの日が来た
ユニバンス王国・北東部街道沿い
「酷い目に遭いました」
「……申し訳ない」
服を脱いで下着姿で戻って来たエレイーナに対し、濡れたローブを巻きつけ顔を隠したイーリナが頭を下げる。
「座るのが面倒だからと荷物と一緒に寝たイーリナが悪いのです」
「……人は横になって寝れるのだから寝た方が良い。そんな手記を残した魔法使いも居る」
「誰ですか? その怠惰な生物は?」
「良くは知らない。魔法学院にそんな手記があった」
ため息交じりだが、表情を変えずにレイザは焚火に薪を追加し火力を強める。
呆れつつも行動が先んずるのは日々のメイドとしての習性からだろう。
全身を濡らして戻って来た2人は、焚火の前に陣取り暖を取る。
日が沈み深夜となれば乾期でも肌寒く感じる夜もある。今夜は比較的暖かな部類ではあるが、濡れた肌が乾くのを待つにはいささか辛い。
「君たちの荷物はこの鞄で良いのか?」
「ごめんなさい。ありがとうございます」
「……済まない」
鞄を2つ持って馬車から戻って来たリディに2人は深々と頭を下げる。
ちなみに御者を務めるバニッセは、女性たちの肌を見ないよう物陰に隠れ仮眠を取っていた。
こういった配慮の出来る人物だから御者を命じられたのであろうとリディはそう判断する。
「やはりイーリナも馬車の中で座った方が?」
「……私は常に寝ていたい」
迷いのない返事にリディは苦笑するしかない。
最初彼女は馬車の中で寝ていた。向かい合う形で存在する座席の中央……足の置き場と化す場所で膝を抱いてゴロンと横になっていたのだ。
ただ流石はユニバンスのメイドか、レイザがそんなイーリナを見て『邪魔です』と言い切り窓から外に捨てようとした。必死にそれを制したのは常識ある騎士のリディだった。
で、馬車の中で話し合いがもたれ……結果としてイーリナは馬車の上に存在する荷物置き場で横になった。
「揺れて気持ち悪くなったの?」
「それもある」
焚火の傍に鍋を移し中身をかき混ぜ直すレイザに、イーリナはまずフード付きのローブを着こんでいた。
エレイーナは馬車の方を気にしながらも下着を脱いで全身を乾いた布で拭いている。
「臭いだ」
「食べ物の?」
「それと他にも色々な臭いが混ざって、吸っていたらどんどん気持ち悪く……」
「なら口で息をしなさい」
「……気になる」
「気にしないの」
子供に言い聞かせるように言葉を発するレイザにリディは目を向けた。
フードの中で体を……顔を隠して着替えているイーリナと本当に仲が良さそうに見えたからだ。
「1つ聞いても良いか?」
「私に答えられるのでしたら」
気になるとつい質問をしてしまう癖を治さないと……と思いながら、リディは改めて口を開く。
「2人は近衛の同期と聞いたが、近衛という場所はそんなにも仲が良くなる場所なのか?」
どうも友人の少なそうなリディの声に、レイザは生温かな感情を胸の内に宿した。
「友人を得る場所として考えるのでしたら近衛も国軍も変わらないと思います。私たちの場合、秘密やその関係性から普通よりも仲が良いといった感じです」
皿にスープを盛りながらレイザはその人形の顔で言葉を続ける。
「私がイーリナと初めて出会ったのは、この体を調べる時にです。魔道具の解析でしたらイーリナはこの国1番……最近2番に転落しましたけど、それほどの腕の持ち主なので」
「そうか」
納得しリディも焚火の前に腰を落ち着ける。
スープを受け取ったエレイーナが恐縮しながら隅っこで気配を消して食べているのは、何でも前回の任務で心に傷を負ったせいだと御者から聞いている。
余りにも傷が深いから追及はしないで欲しいとも言われた。
「ただ私の場合はこの体を奪われますと身動きが取れません」
若干棘の感じる声でレイザは言葉を続ける。
「イーリナは研究馬鹿で日常生活が破綻しているので、私への配慮なんて微塵も存在せず……そこに偶然ネルネが彼女に仕事を押し付けようとやって来ました」
「それでか」
「はい。ついでにその時、イーリナを一発殴ってくれたので私の溜飲も下がりましたし」
「……」
余程酷い扱いをしたのだろうとリディは察した。
イーリナの分のスープを盛ったレイザは、黙ってその皿を地面の上に置く。まるで犬猫に餌でも与えるような感じに見えたのは……リディは黙ってその気持ちを押し潰した。
問題はそれを気にしないイーリナだ。拾い上げて食べ始める。
「まあただネルネはあの性格なので、それからは色々と苦労させられましたが」
「何となく分かる」
「基本良い人なのですよ。基本は」
ただ異性にも同性にも性に対してオープン過ぎるだけだ。
「彼女はどうしてあんな風に?」
「それは私が聞いても答えてくれません」
自然と向けられた視線にイーリナはフードを深く被り直した。
「……見ないで欲しい」
「気のせいです」
「食べられない」
「気にせずどうぞ」
「見ているよね?」
「人形がです」
「……」
頭を抱えて苦悩するイーリナにレイザは容赦しない。
過去のことを思い出し腹でも立てているのかとリディは思う。
エレイーナはさっさと食事を終わらせ、自分の荷物である鞄を抱いて馬車へと逃げ出した。
「……ネルネには言わないで欲しい」
長い葛藤を終えイーリナが口を開いた。
「私たちは『あの日』と呼ばれた日に酷い目に遭った」
ポツリと吐き出された言葉に一瞬レイザの気配が変わった。
「それは?」
だが彼女は精神を揺るがすことなく質問する。
「……ニキーナだ。私たちはあの化け物の前に居た」
「そうですか」
頷きレイザは息を吐く。
「済まない。ニキーナとは?」
ただ1人、あの日のことに疎いリディには分からなかった。
故に素直に質問をする。
「『穴穿ち』と呼ばれる悪名高き魔法使いです」
レイザが静かな口調で語り出す。
「彼女は魔法使いとしては特殊……魔法がでは無くてその考えが特殊でした」
「特殊とは?」
「はい。自身のことを『求道者』と称し、痛みとはどれほどのモノなのだろうと……それを追及していたのです」
「痛みの追及?」
聞いてるリディには全く理解できない言葉だ。
「仮にリディ様の手に針を刺します」
相手が理解していないと感じ、レイザは例文を口にする。
「その痛みを知るのはリディ様だけです」
「そうだ」
自分に刺さる針の痛みを知る者は自分だけだ。
「ニキーナはその痛みを知りたいのです。どれほど痛いのか知りたいのです」
「ああ」
「ですから自分の手にも針を刺すのです」
「……」
「そうすれば相手の痛みを理解できます。自分も同じ痛みを知っているのですから」
呆れた果てた感じでレイザはそう言葉を纏めた。
「でも……彼女の魔法は武器にするには適していた」
イーリナがまた口を開いた。
説明を終えたレイザからバトンを受け取る形でだ。
ニキーナは『異端』の魔法使いとして要注意人物に指定されていた。ただその魔法は強力であり殺傷能力も高かった。だからこそ彼女は軟禁されていたのだ。
その軟禁先が他でもない……ネルネの実家だった。
「ニキーナは離れの一室を与えられそこで暮らしていた。一室と言っても小さな家だ。石造りの確りとした物だった」
呟くイーリナは、ギュッとスプーンを握りしめた。
「私たちはニキーナと話をすることをちょっとした楽しみにしていた。
何より私たちとの仲が深まり懐柔出来ればと……そう考えていた大人たちも私たちの行動を制しなかった。だから毎日のように遊びに行っていた。
彼女の考え方が特殊なこともあり、普通では聞けない話がたくさん聞けた。だから物語を聞かせて貰うような感じで……彼女が軟禁されている場所に出向いては、鉄格子のはまった窓越しに話をしていた。
たぶん仲は良かったと思う。彼女は大人びて見えたけれど私たちと年齢が近かったから」
一度言葉を止めてイーリナは呼吸を整えた。
「あの日が来た」
静かに響いた声にレイザもリディも唾を飲み込んだ。
~あとがき~
ゲロロンしてからイーリナも合流です。
今回のポイントは…ニキーナかな?
ただしここはテストに出ないかもしれないので覚えてなくても良いですw
ネルネがあんな風になってしまったのは…ニキーナのせいだと言う。
あの日、イーリナとネルネの身に何があったのか?
(C) 2021 甲斐八雲
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