こんな不味い物を食らうオーガなど全て滅びれば良い
ここではないどこか
「トリスシアさま」
「何だよ?」
そっと彼女は手を伸ばし、赤黒く腫れている場所にそれを押し付けた。
鈍い痛みを脇腹に感じ一瞬眉間に皺を寄せたオーガは、それでも止めずに何かをグイグイと押し付けてくる人の子を見つめる。
「何をしている?」
「くすりです。だぼくにききます」
「はん。人の薬がオーガに効くのか?」
「ひともオーガもおなじいきものです」
「そうか……そうだな」
この数年で大きくなった人のこの言葉にオーガは苦笑する。
確かに気のせいかズキズキと痛んでいた腫れが落ち着いてきた感じもする。
「どうしてこんなけがを?」
「はん。バイツの馬鹿が文句を言ってきたから軽く撫でてやったんだ。そうしたらあの馬鹿が本気で殴って来たな……仕返しに両腕の骨を折ってやったよ」
「そうですか」
薬を押し付けるのを止め、人の子は布を抱えてくるとそれをオーガの腹に巻きだす。
「こうしていればはれもひきます」
「そうか」
軽く頭を掻いてトリスシアはゴロンと横になった。
最近はこうして生傷ばかり増えている。
理由は簡単だ。一族の決まりを破っているからだ。
前に人の子に言われてからずっと気になっていた。何故オーガ同士での争いが禁止なのか?
一族内での争いを禁じているならば何となく分かる。けれど全てのオーガとなるとやはり何かが引っかかる。その引っ掛かりを解消しようと聞いて回った結果が今だ。
『若い者は上からの命令を聞いていればいい』から始まり、昨日殴り飛ばしたバイツなどは『女は弱いんだから子を孕んで育てればいい』とぬかした。故に迷うことなくあの馬鹿者をトリスシアは殴り飛ばし、ついでに左右の腕を踏んづけて黙らせた。
また後で族長である父親から呼び出しを受けることになるだろうが知ったことではない。
「トリスシアさま」
「何だい? 鬱陶しい」
「……」
軽く怒鳴ると人の子は直ぐに沈黙する。
面倒臭そうにため息を吐いてトリスシアはゴロリと転がり相手を見た。
捕まえて来た時よりもだいぶ大きくなっていた。ここに来て4.5年は経過している。
この洞穴の外に出れば、他のオーガに見つかればすぐにでも食われることを知っているからなのか基本この人の子は洞穴から外に出ない。出るとしたら早朝や夕方の短い時間ぐらいだ。
「何だい?」
「はい」
そっと座っていた人の子が立ち上がった。
人とすれば“大人”と呼ばれる部類にまで成長している。ようやくここまで育った。
「わたしをたべないのですか?」
「……喰われたいのか?」
思いもしていなかった返事に、人のこの口がキュッと閉まる。
頭を掻きながら体を起こしたトリスシアは改めて人の子を見た。
ボロボロの布の服を纏い、白く長い髪を腰の後ろで一つに束ねている。
一族の者に聞けば、何でも白い髪の人は極上の味なのだとか……嘘か本当かは食わなければ分からないが。
「わたしはたべられるためにここに」
「そうだったね」
ボリボリと脇を掻いてトリスシアは軽く笑った。
「ただお前を食うと誰がここの掃除をする? アタシはやりたくない。それだけだ」
「なら?」
「もうしばらく食わないでおくよ。分かったか……この人の子が」
「はい」
と、久しぶりにそれを見た。
トリスシアは何とも言えずに自然と口を閉じて人の子を見た。
人の子は……ポロポロと涙をこぼし泣き出したのだ。
「何で泣く?」
「わかりません。でもうれしいから」
「はん。痛くても嬉しくても泣くなんて面倒な生き物だね。この人の子は」
どう対処したらいいのか分からず、悪態をついてトリスシアは横になった。と、
「スーです」
「ん?」
「わたしのなまえはスーです」
「はん。オーガのアタシが人のこの名前なんて覚えるわけないだろう?」
「そうですね」
明るく弾んだ声を聴きながら……トリスシアは相手に背を向け目を閉じた。
何故か自然と頬が緩んで笑みが込みあがって来た理由は良く分からなかったが。
「トリスシアめっ」
「散々だったな? バイツ?」
「うるせえよ!」
親しいオーガに慰められること自体、バイツと呼ばれるオーガには耐えられない屈辱だった。
彼は他のオーガより若干体が大きい。ただあくまで若干でありそこまでの違いはない。一般的なオーガの体型だ。
そんな彼は終始憤っていた。
族長の娘だからって少し手を抜けば調子に乗って……怒りで腸が煮えくり返りそうな激情を抱え、バイツは先日折られてまだ疼く両腕を擦っているのだ。
「今度会ったらあの雌……散々殴り飛ばして犯してやる!」
「止めとけよ。そんなことを前に言って返り討ちにあった馬鹿も居るぞ?」
「はん。その馬鹿は弱かっただけだろう?」
あくまで自分の方が優れていると言いたげに虚勢を張るバイツに、周りに居るオーガたちは肩を竦めた。
確かに一族の決まり事を破るトリスシアだがその実力は本物だ。一族内で最も強いとすら言われている。
「ああ。トリスシアだ」
「どうかしたのか?」
「アイツいつも人の臭いがするから変だと思ったら……どうも住んでる洞穴で人を飼っているらしいぞ?」
「本当か?」
バイツはその言葉に興味を覚えた。
もしかしたら自分が負けたのはトリスシアより人を食っていないからかもしれない……そう思ったのだ。
「そうか。アイツの強さは決まりを破って人を腹いっぱい食っているからに違いない」
「それは違うだろう? 人を食っても強さなんてっ」
殴られ軽口を叩いていたオーガの顎が割れた。
振るった拳を見つめ、バイツは周りに居るオーガを睨みつける。
「そうに決まっている。そうじゃなければ俺があれに負けるわけがない」
「「……」」
もう好きにしろと言いたげに他のオーガたちは殴られて顎を割った者の手当てを始める。
一人残されたバイツはギュッと拳を握りしめて……そして笑った。
今トリスシアは先日自分の腕を折ったことで族長に呼ばれている。
つまりアイツの洞穴には人の子しかいないはずだと。
「俺が強くなれば……人をもっと食らえば……勝てるんだ。勝てるんだよ」
ブツブツと呟きながら、バイツはその場を離れ歩き出した。
「ったく」
ボリボリと頭を掻いてトリスシアは山道を歩いていた。
族長に呼ばれ説教を受け、最後は殴り合いの喧嘩で終わる。いつも通りだ。
ただ相手は父親だから手加減はする。殴り殺さないように注意は払った。
それに今日は別の物も手に入れた。布だ。
人が作り貢いで来る物の1つであり、それを使いオーガは適当に服を作る。
今回その布を手に入れたのには理由がある。自分の服がボロボロなのだ。
だからこれで服を作り、余った布はあの人の子に押し付ければ良い。あれの服もボロボロなのだから。
何故か頬が緩んでいることに気づき、トリスシアは軽く咳払いをした。
最近こんなことが多い気がする。
と、彼女の足が止まった。
もう少しで自分の住処である洞穴の手前でだ。
スンスンと鼻を動かせば漂っている臭いを感じる。
血の臭いだ。オーガではなく人の血だ。
急いで足を動かし、トリスシアは洞穴の中に飛び込んだ。
「スー! 何処だ! スー!」
初めて自分の口から発した名前は、すんなりと流れ出た。ただし返事はない。
その理由を夜目の利く目が教えてくれた。彼女は……頭だけ残し床に転がっていたのだ。
「スー」
手を伸ばし小さな頭を両手で持つ。
目を見開いて血を流している存在は、間違いなくスーだった。
『けんかしないではやくかえってくださいね』と見送ってくれた人の子だった。
「スー」
震えゆっくりと包み込むように手を閉じる。
大切な存在を汚され……トリスシアは初めてその感情を胸に宿した。
『怒り』だ。
荒れ狂う激情に彼女はニタリと笑う。
「そうだよなスー」
手を開き頭だけとなった存在を……トリスシアを口に入れた。
噛んで、噛み砕いて……その全てを自分の中に取り込んだ。
「不味いな。ああ。不味い」
立ち上がりトリスシアは嗤う。
「こんな不味い物を食らうオーガなど全て滅びれば良い」
自分たちは最強だと謳い、互いに攻撃し合わない最弱の存在にトリスシアは歯向かうことにした。今のオーガはただ弱い物をいじめている存在にしか思えなくなったからだ。
だったら滅びれば良い。
歩き最初にたどり着いたのは若い雄たちが酒を飲む場所だった。
トリスシアの余りの様子に何かを察した個体が視線を巡らせる。バイツを見たのだ。
「お前か……バイツ?」
「ん? 何だトリスシアか」
酒を手に笑う存在が上機嫌に口を開く。
「そうだ俺だよ。お前が隠していた人の子を食ったのは、このっ!」
それ以上の言葉は発せられなくなった。
一瞬で接近したトリスシアが彼の頭を蹴り砕いたからだ。
同族殺しの大罪を……族長の娘がやってのけた。
けれどトリスシアは嗤うのみ。泣きながら笑い続ける。
それはオーガという種が自分以外居なくなるまで続けられた。
~あとがき~
ずっと傍に居る人の子は…居ることが当然となっていた。
だからトリスシアはそのままを望んだ。それが当然だったから。
何も言わなくなった彼女の頭部だけを見つめ、それを取り込みトリスシアは誓う。
全てのオーガを、自分以外のオーガを駆逐すると。
そして彼女は独りぼっちのオーガとなった
(C) 2021 甲斐八雲
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