私は消えないから

 重く感じる足を動かして私は階段を昇る。

 決して高くはないけれど……それでも十分な高さはある。

 たった13段の高さでも、首に縄を巻いて落ちれば死ねるのだから。


 あの人はどうして……あの時、私にあんな無理を言ったのだろう?


 出来る訳が無い。あの人は私に愛情をくれた人なのだから。

 だから躊躇した。躊躇して……異形へと姿を変えるあの人を殺せずに傍にいた。


 忘れもしない。あの声は何だったんだろう?


 甘く甘く囁いた声は、私の中に響いて心を覗いて消え去った。


 あれは何だったんだろう?


 あれは……確かに告げた。『……』と。


 昇り終えた台の上、私の首には縄が纏わり……そして底が抜けた。




「……んっ」


 ユサユサと震わせる何かに気づいて彼女は目を覚ました。

 閉じられた木戸から差し込む日の光はまだ無い。なら夜が明けていないのだろう。


 それを認めて視線を目巡らせれば……綺麗な金髪と鮮やかな碧眼の少女が覗き込んで来た。


「おはようノイエ」

「んっ」

「まだ早いわよ」

「うん」


 覗き込んだままの状態から甘えん坊が抱き付いて来る。


 優しく抱き返して彼女……カミューはそれに気づいた。自身の全身から不快に感じるほどの汗を。

『ああ。またか』と内心で呆れながら、甘えん坊の頭を撫でてやる。


「ありがとうノイエ。もう大丈夫よ」

「本当に?」

「ええ」


 笑いかけ引き剥がした"妹"の顔を見る。

 心配そうにその目を潤ませた少女は、今にも泣き出しそうな"表情"を見せた。


「もう本当にノイエは」


 優し過ぎて甘えん坊な妹の頭を撫でて、カミューはそっと立ち上がった。


 着ている服を濡らす汗の感触が気持ち悪い。

 軽く体を拭いて着替えようと思ったが……どうも簡単にはいかない。


 今度は足に抱き付いた妹が離れないのだ。


「大丈夫よノイエ。軽く汗を拭いて着替えるだけ」

「……本当に?」

「ええ」


 柔らかく微笑みかけ、カミューはまた少女の頭を撫でた。


「大丈夫よ。私は消えたりしないから」

「はい」

「だからここに居なさい」

「……」


 手を離し寝床としている藁の上に座った少女に今一度微笑みかける。


「大丈夫よノイエ」


 分かっている。彼女が何を恐れているのかを。


「私は消えないから」

「本当に?」

「ええ」


 何度も繰り返して来たこのやり取りは、ノイエの姉で居るためには必要なのだ。


「私は消えない」


 告げてカミューは歩き出した。まずは井戸に向かうのが先だ。


《貴女の姉と違って》


 少女が失ってしまったモノを知るカミューは自身に誓ったのだ。

 ノイエの亡き姉に代わり自分が彼女の姉となると。




 最初の出会いはつまらないものだった。


 奴隷商に買われやって来たらしい少女は……この施設では最年少だ。

 周りを年上の犯罪者ばかりに囲まれた監獄のような場所に放り込まれた少女は、行く宛も無くただ隅で震えていた。

 ブルブルブルブルと震えている少女をカミューは何となく眺めていた。


 随分と小さくて細く見えた。

 監視の話では外はドラゴンの襲来で大変らしく、たぶんその関係で痩せたのだろうと推測出来た。


 だからって甘やかされる場所でもない。幼いからって震えているだけでは誰も救ってはくれない。

 ここに居るのは絶望のどん底に叩きこまれた者たちばかりなのだから。


 それでも"あの場所"に居たせいで、カミューは少女から目が離せなかった。

 きっとあの人ならば、今のあの少女を見つけるなり駆け寄って抱き寄せて背中をポンポンとしているだろう。

 優しくて暖かな人だ。だから誰もが『母さん』と甘えていたのだから。


 ブルブルと震えていた少女が何やら不思議な動きを見せる。

 体をクネクネと動かしたと思った……傍から見ていて『ああ。やったな』と思える安堵の表情を見せた。

 少女の細い足と足元が濡れた様子に、カミューは立ち上がるとため息交じりで歩み寄った。


「……ごめんなっ」

「良いから」


 咄嗟に自分の頭を庇る少女に、何か分かった気がした。

 殴られると思ったのだろう。そうでなければ頭を庇う必要はない。


 頭上で交差している少女の手を掴みカミューは井戸に向かって歩き出す。


 こちらを見ている視線はどれも『物好きだな』と言いたげなモノばかりだ。

 ただ普段の自分も大差ない目をしていることを思い出し、カミューも鼻で笑う。


 井戸へと来てカミューは木桶を落として水を汲む。


「これで洗いな」

「……」

「どうした?」

「ありがとう」


 俯いて告げて来る少女に、一瞬笑いかけて息を吐く。

 クシャクシャと頭を撫でてその場を離れるために足を動かす。


《今のはただの気紛れだ》


 そう思いカミューは自身の頭を掻いた。


 この場を支配している者たちの方針が変わったのか、最近は殺伐とした鍛錬が増えだした。

 怪我人も増え、何より確実で命を失ったであろう者たちが運び出される日もある。

 そんな自分が人助けだなんて酷い笑い話だ。


 カミューは苦笑し自分の過去を振り返る。


 確かに自分は他の者たちと違い、"あの日"に殺したのは1人だ。

 自分とは違い狂ってしまった少女を1人殺めた。

 ただその後で自分は迷い……暗殺未遂で捕らえられて処刑されただけだ。


 殺そうとした相手がこの国の王妃だっただけで、何より殺す気など無かった。出来る訳が無かった。

 あの人はどん底に居た自分を、暗殺者だった自分を、人の領域まで引き上げてくれた人なのだから。


 それでも"犯人"は必要だった。

 王妃を、彼女を……あんな姿に変えてしまった犯人が。


 だから自分が手を挙げた。


 必死にあの人から『ころして』と懇願されても、ナイフを手にして震え続けて殺せずに居た自分が、周りからすれば犯人に見えたはずだからだ。


 だから手を挙げた。全てを認めた。

 ユニバンス王国の王妃殺害未遂の罪を全て。


 静かに頭を振ってカミューは止まった足を動かそうとして、何となく肩越しに振り返った。


 振り返り物凄い物を見た。

 先の少女が木桶の中に頭から突っ込む姿をだ。


「……何あれ?」


 呆れつつも笑いが込み上がって来た。


「はは……しょうがないな」


 クルリと進行方向を変え、カミューは来た道を戻る。


 少女を助け出し、ついでにもう一杯水を汲んで頭から掛ける。

 フルフルと犬のように体を震わせる少女にカミューは尋ねた。


「名前は?」

「……」

「名前よ」


 自分に聞かれているのだと気付いた少女が慌てて口を開いた。


「ノイエ」




~あとがき~


 施設編の1話目と言える話ですが…何度も『ここか?』と悩んだ話です。

 ノイエが出て来る後編の1話目でも良いような…と悩みましたがあえてここに。

 だって後編でノイエ合流から描くと話数が大変なことに! 仕方なかったんやw




(c) 甲斐八雲

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