どうぞご安心を

 ユニバンス王国東部ハルムント領(旧王弟領)内、領主屋敷



 コツコツと足音を響かせ、それは見るも無残な屋敷を見渡しながら歩いていた。

 行き先は決まっている。彼はいつもそこに居たからだ。

 案の定……夫である彼はそこに居た。


「ここも随分と辛気臭い場所になってしまいましたね」

「……ああ」

「これだから貴方1人を置いて行くのは抵抗があったのですよ」


 椅子に腰かけワインボトルを眺めていた彼……ウイルアムは、ゆっくりと視線を巡らせる。

 静かに部屋に入って来たのは、ユニバンス王国が誇る最強の護衛……メイド長スィークだった。


「速かったな」

「はい。取り柄の多いわたくしが最も誇っているのが移動速度ですから」

「……そうだったな」


『瞬足』


 そう呼ばれる力を持つ彼女も、また何かしらの存在から力を得て部類の化け物だ。

 隠してはいない彼女の力を良く知るウイルアムは、小さく頷きゆっくりと息を吐いた。


「兄上は?」

「はい。クロストパージュ領に辿り着きました。ただわたくしが王都を出る時点までの情報では『瀕死』と」

「そうか」


 目を閉じて彼は深く息を吐く。

 ゆっくりと歩んで来たメイド長は、彼の隣で立ち止まった。


「最後の晩餐にしては細やかにございますね」

「もう自分しか居ないのだ。これでも贅沢だろう」

「左様ですか」


 テーブルの上にはワインと木の実だけだ。


 ふと相手の顔色を見たメイド長は納得した。

 全体的に黒ずんで見える肌の色が彼の余命を語っている。


「いつからご病気に?」

「知ったのは去年だよ」

「妻に対して報告がございませんが?」

「……忙しいお前に負担を掛けたくなかった」

「左様ですか」


 冷ややかな声を放って、スィークはゆっくりと辺りを見渡す。

 彼が必死にやったのであろう家中の傷は、それらしく見える。


「後はご自分を殺すだけですか?」

「ああ」

「それでご子息に害が及ばないと?」


 静かに目を閉じ彼は呟く。


「……賭けではあるがな。何よりお前が居れば多少の無理はしよう?」

「買い被りにございます」


 ふんわりと一礼をし、メイド長は手を伸ばしワイングラスを掴み取る。それを夫である彼に渡す。


「なあスィークよ」

「はい」

「私は愚かな男だ。本当に」

「ええ存じています」


 あっさりとそう言う妻にウイルアムは目を向けた。


「男性の大半は愚かな生き物です。

 王都では種馬王と言う存在が顕著でしたが、最近はその次子も中々の愚か者っぷりで……毎日無様に転がりまくる様子を見つめ、面白おかしく過ごさせていただいております」

「……楽しんでいるのか?」

「はい」


 柔らかくメイド長は笑う。


「一度しかない人生ですから……存分に苦しみ、そして楽しまないのは勿体無いです」

「そうか。そうだな」


 苦笑しウイルアムは相手の言葉を噛み締めた。


 自分はいつの頃から人生を楽しむと言うことを忘れたのだろうか?

 家族を失う前から……もしかしたら忘れていたのかもしれないと気付かされた。


「なあスィークよ」

「はい」

「イールアムを頼む」

「ええ」


 ワインボトルを掴んだメイド長は、夫である彼が持つグラスにワインを注ぐ。

 ゆっくりとグラスを回した彼は、それを口にして飲んだ。


「最後に妻に酌をして終える人生が来るとは……思いもしなかった」

「そうにございますか」

「ああ。嬉しい物だな」


 笑い彼は懐から手紙を取りだした。

 もしかしたら『来るかもしれない』と思い準備しておいた物だ。


「これは?」

「私がした悪事の全てだ。それをどうするのかはお前に一任する」

「左様ですか」


 妻である彼女があっさりと受け取り、懐にしまうのを見てウイルアムは苦笑する。


「お前は本当に動じない女だな」

「ええ。そうすることがわたくしには必要でしたから」

「そうか」


 数多くの人を殺し、『最強』の頂点に立った相手の言葉は本当に重かった。


「スィークよ」

「はい」

「もし叶うのであればで良い」


 一度言葉を切り、ウイルアムはゆっくりと妻を見た。

 書類上の関係であるが、間違いなく彼女は彼の妻である。

 目つきの鋭さが玉に瑕ではあるが、その顔立ちは決して悪くは無い。きつい感じのする美人なのだ。


「次があるなら……今度はお前と本当の夫婦として過ごしてみたいものだな」

「左様にございますか」


 やんわりと一礼をし、スィークは彼からグラスを受け取る。


「ならばしばらくお待ちください。いずれわたくしも貴方が落ちるであろう場所に向かいますので」

「そうか」

「ええ。その場で良ければ夫婦として過ごすのも悪く無いかと」

「ああ。悪く無いな」


 目を閉じ、一粒涙を溢したウイルアムは……その人生を終えた。

 相手に苦痛すら与えず一振りで首を刎ねたメイド長は、数度夫の体を切り刻み……そして事前に準備されていた物に火を点ける。

 これで屋敷は何者かの襲撃を受けて皆殺しに遭ったように見えるはずだ。


 燃える屋敷の中を進み……メイド長は一度だけ立ち止まると、振り返り亡き夫に向かい一礼した。


「我が夫の罪は……妻であるわたくしめが償いましょう。ですのでどうぞご安心を」


 王弟ウイルアムと呼ばれた者は、燃え盛る屋敷と共にその生涯を終えた。




「急げっ! 急いで王都にっ!」


 怯える馬は走らない。

 騎士の1人が馬を捨て駆けるのを見つめ、残った彼らは剣を握って馬を降りた。


 迫りくる化け物は巨躯の巨人。

 死したはずの彼が何故動いているのか……その理由を騎士は知らない。

 それでも動き武器を振るう化け物の存在を王都に伝える。その任務が残っているのだ。


 彼らは連絡の無い前王ウイルモットの後を追い、王都から王弟領と呼ばれた現ハルムント領に向かっていた。しかし途中に化け物の襲撃に遭い、仲間の大半が一撃で殺された。


 化け物が放つ気配に軍馬が怯え……それでも生き残った彼らは職務を全うしようとする。

 緊急時の取り決め通りに若く身軽な騎士が馬を捨てて走っている。

 後は時間を稼ぐだけのはずだった。相手が化け物でなければ……出来たかもしれないが。


 二度ほど振られた戦斧で騎士たちは肉塊となり、その肉塊を掴んで化け物が投擲をする。

 走っていた騎士は直撃を受けて動きを止めた。

 余りの衝撃で、肉塊と混ざり合い絶命した彼の死体は見るも無残だった。


「……」


 巨躯の化け物はただ歩き続ける。王都に向かい。

 邪魔する者を全て殺して。




~あとがき~


 ウイルアムとスィークの永遠の別れ。再会場所は冥府魔道を指定して。そして巨人は出会う者全てを殺しながら王都へと向かう




(c) 甲斐八雲

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