魂すら残さずに消す
ハーフレンが作戦の立案を進める最中……1人だけ話を聞いていない者が居た。
ノイエだ。
砕けた右手を左手で覆い、座った姿勢のまま身動き1つしない。
誰もが治療に徹しているのだと思い込ませる体勢だったのも良くないが、ノイエが足元に置かれている食料に手を伸ばしていないことに気づくべきでもあった。
「……」
繰り返し繰り返し言葉を発するノイエの声は、とても小さくて誰の耳にも届かない。
だが彼女は蹲ってからずっと声を発し続けていた。
『倒せなかった。倒せなかった。倒せなかった……』と繰り返しだ。
もし彼女の心の内を覗ける者が居れば気づけただろう。ノイエは震えていた。
『ドラゴンを退治できない者は生きる価値など無い。死ね』
そう言われ、実際に仲間たちが殺されて来た施設で育った彼女にとって……倒せないドラゴンは絶望の象徴なのだ。
彼女の心の中は荒れていた。
故に彼女の中に居る者たちは、慌てて対策に奔走していた。
「アイルローゼが出て倒せば良いでしょ!」
慌てた様子で叫ぶ女性の言葉に答える者は居ない。
緊急事態だと全員が理解している。だが不用意に集まれないのだ。
「ノイエの魔力と彼女の魔法があれば、あんなドラゴンぐらい簡単でしょう!」
腕を振り力説する女性に、距離を測り囲む仲間たちが複雑な視線を向ける。
彼女もまたノイエを妹のように可愛がっていた女性の一人だ。名前はスハと言う。
「……出来ないのよ。スハ」
「どうして! さっき魔法を使ってたじゃないの!」
「ええ。だから使えるわよ。でも今は無理なのよ」
面倒臭そうに手櫛で髪を梳きながら歩いて来る女性……ホリーだ。
静かに碧い目を騒ぐ彼女に向けて、ホリーは息を吐いた。
「前回の時、誰が引っ張られたか覚えている?」
「ファシーでしょ」
「そうよ。なら今回は?」
「……」
慌ててスハは辺りを見渡した。
これほどの仲間が集まり距離を保ちつつもこちらを伺っているのに、ノイエを溺愛していた2人が居ない。
「グローディアとアイルローゼは?」
「グローディアはまだ動くゴミよ。アイルローゼはシュシュとミャンの2人が必死に押さえつけてるわ」
「……」
封印の魔法と拘束の魔法を使わせれば、右に出る者は居ないと呼ばれる2人が……協力してどうにか抑え込んでいる状況だった。
それほど状況は切迫していて、悲観的なのだ。
ホリーはつまらなそうに息を吐いて辺りを見渡した。
自分たちを見つめている仲間たちもようやくそれを理解し、顔を引き攣らせている。
「今回引っ張られているのはアイルローゼよ。前回のファシーと違い、もしあれが感情のままに暴れてみなさい。それもノイエの力を使って」
その場に居る全員が背筋を凍らせた。
「この大陸は生物が住めない……住むことの出来ない場所になるわよ」
言い切ってホリーは台になっている場所に腰を下ろす。
そう言ってもこればかりは運を天に任せるしかない。
「ノイエの感情が爆発するか、それとも奇跡が起こるか……全員で"神"にでも祈ってみる?」
クスクスと笑いホリーはその目を外に向けた。
自分の膝を見つめているノイエは震えている。
恐怖でもない。絶望でもない。ただ1つの感情に突き動かされて。
「本当にノイエは負けず嫌いだから……」
クスリと笑い、ホリーはこの場に留まることに決めた。最後まで見ようと。
最悪は世界の終わりを見ることになるかもしれないが……それでも最後まで見ようと。
「窮地に陥って生じた感情が"怒り"だなんて……一体誰の育て方が悪かったのかしらね?」
「たぶんホリーじゃな~い?」
「レニーラ。後で刻むわ」
「にょわわわわ~」
踊るように逃げて行く馬鹿に、ホリーは肩を竦めてため息を吐いた。
最初に気づいたのはトリスシアだった。
さっき見た時と何も変わっていない……そう思って違和感を得た。
「おい。王子さんよ」
「あん?」
「小娘が何も食ってないよ」
「っ!」
両手に食べ物を抱えて向かって来るミシュを眺めていたハーフレンは、その声に驚いた。
確かに蹲ったままのノイエは何も食べた形跡がない。
と、慌てた様子でオーガの太い腕が、ノイエの喉を掴み片手で持ち上げた。
「忘れてたよ! この馬鹿娘がっ!」
「何をっ」
「黙ってな!」
声を張り上げるオーガの目に恐怖の感情を見つけ、ハーフレンは彼女の暴挙を止める為に伸ばし掛けた手を止めた。
一歩踏み込み確りとノイエの首を掴んだトリスシアは、言葉を重ねる。
「こんな厄介な時にお前が壊れるのまで相手なんてしてられないんだよ! もしまたあの時みたいに壊れたいって言うなら余所でやりな!」
放り投げるようにノイエを投げる。
ゴロゴロと地面を転がった彼女は……寝そべったまま動かない。
チッと舌打ちをして、トリスシアがまたノイエを捕まえに行く。
「王子! あっちのドラゴンを見てな! 動き出すまでにこれが壊れるようなら作戦変更だ!」
「何がだ!」
声を荒げ質問するハーフレンに、またノイエの喉を掴み持ち上げたトリスシアが視線を向けた。
「何だい? あっちの王子から報告は無かったのかい? この小娘は前回アタシとやった時に、突然壊れて笑い出して辺りを切り刻み出したんだよ! 魔法の刃でね!」
ゾクッ!
突然生じた背筋すら凍らせる殺意に、ハーフレンたちはドラゴンに目を向けた。
だが灰色の中型ドラゴンは、ヨロヨロと身を震わせてようやく立ち上がろうとしている所だった。
トリスシアは直接向けられていたからこそ気づいていた。
信じられないほどの殺意……それを放っていたのは自分が掴んでいる白い小娘だった。
不思議な模様が浮かぶ栗色の瞳が、ジロリとトリスシアを睨んだ。
「……それ以上言えば消す。魂すら残さずに消す」
囁くように発せられた言葉に、トリスシアは血の気を失いつつも軽く顎を引いて頷くことで返事とした。
オーガの頷きを見て、掴んでいる相手から気配が消えた。
「……何だ今のは?」
「知らないわよ」
ハーフレンと術の準備を進めているフレアが辺りを見渡す。
食料を投げ捨てて回避に徹したミシュが物陰から顔を出して辺りを伺い、鎧を脱ぐことで瓦礫から這い出して来たルッテが力尽きた感じにも見える姿勢で気絶していた。
「それでノイエがどうしたって?」
「……この馬鹿は恐怖に震えだすと暴走するんだよ。ただそれだけさね」
もう持っていたくないとばかりにとノイエを地面に降ろし、トリスシアはその存在を無視してドラゴンに意識を向けることにした。
正直……天地がひっくり返っても、今出て来た者に勝てる気がしなかったのだ。
(c) 甲斐八雲
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