影のように従いその全てを見よ

「お前たちには迷惑をかけてばかりだな」

「何を言いますか我が主よ」


 荷車の上に横たわる相手に対し、隣で歩く彼は優しげな声を掛けた。

 状況が状況なだけに敬語は不要と言われているが、長いこと主に仕える彼はどうしても敬ってしまう。


 横たわる主の体には包帯が巻かれ、白い生地が血の色に滲んでいる。

 囚われる時に部下を庇い負傷し、それ以降の幽閉からの逃亡と……彼の傷が癒える暇がない。

 悪化しないように手当てをし続けているだけで、本来ならば何処か1か所に留まり治療に専念したかった。


「我が主よ」

「何だ。ヤージュ」

「はい。此度は自分の下策を」

「良い」


 血の気の無い顔を部下に向け、ブロイドワン帝国で『敵無し』と言われた大将軍だった男が口を開く。


「元を正せば俺がやり過ぎたのだ。兄の性格は痛いほど知っていたが……あれは皇帝になってから増々狂った。子供染みた面が強くなり癇癪ばかりだ」

「……」


 部下から視線を空へと向け、元大将軍……キシャーラは息を吐く。


「事実、そんな兄を謀殺して俺を次の皇帝にと考えていた者も多かったらしい。そのような者たちは今回の1件でことごとく殺されているだろうがな」

「そう……思います」


 答えヤージュも息を吐く。

 そのような馬鹿共が裏で勝手に悪巧みを進めた結果、皇帝陛下の弟に対する不信が募りこのような事態になったのだ。迷惑この上ない話だ。


「それでヤージュよ」

「はい」

「これからどうする?」

「はい」


 専門は諜報や暗殺ではあるが、それらを行うために身に付けた知識や経験がある。

 故に彼は今回の策を念のために準備し、いつでも実行できるように仕込んでおいたのだ。


「共和国のウシェルツェン派は我慢が出来ずに早々と動きました。それほど財政や人望が危ないのでしょう。こちらも仕込んでおいたドラゴンたちを誘導しユニバンスへ向けて放ちました」

「最初に戦端を切るのは?」

「ユニバンス北東部パーシャル砦付近かと」


 答え彼は頭を振る。

 自分たちの都合であの国を巻き込む……それがどれ程の痛手となって帰って来るか分からない。

 部下の心中を察してキシャーラは口を開いた。


「『小国小国』と帝国や共和国はあの国を蔑み自分たちの下に置いている。だがそうしなければならない理由がある」

「はい。純粋にあの国は強いのです」

「ああそうだ。国民の気質もあるだろうが、あの国は大きく力で殴られても鋭い一刺しで殴り返して来る。だから決して負けない。本当に良い国だと俺も思う」


 苦笑してキシャーラは顔を顰めた。


「ご無理はしないで下さい」

「分かってはいる。だが……自分の身が動かせない現状、とても怖くてな」

「貴方様は無敗の帝国大将軍でしょう」

「元だ」


 息を吐いてキシャーラは空から舞い落ちる物を目にした。


「雪か。早すぎるな」

「ええ」


 ヤージュは手を伸ばし雪を捕まえる。

 白いそれは手の平の熱で溶けただの滴となった。


「早い雪は混乱を呼ぶとか……そんな言い伝えを聞いたことがあります」

「そうか。ならばこれからその混乱に突き進む俺たちにどんな未来が待っているのか……ヤージュよ」

「はい」

「影のように従いその全てを見よ」

「畏まりました」


 歩きながら一礼し、彼は顔を上げてそれを見た。

 隊列を離れてどこかに消えていたトリスシアが戻って来たのだ。肩に成人男性ほどの熊を担いで。


「アタシの晩飯だ。手を出したら殺すよ」


 言って主が寝ている荷車の横に並ぶよう置き始める。


「トリスシア! 何を!」

「あん? 寝かせておくんだよ」

「だからって何故主の横に!」


 真面目な男が慌てて吠える。


「決まっているだろう? 大の男が野郎共に囲まれて寝てるだなんて寂しいじゃないか。アタシなりの優しさだよ」

「貴女と言う人は……」


 頭を抱えて苦悩するヤージュをよそに、大女と揶揄される彼女は荷車で寝ている主を見た。


「まだ生きてるのかい?」

「生憎とな」

「ならその熊でも抱きしめてな」


 軽く身を震わせ彼女は自分の太い二の腕を撫でる。

 雪が降るほどの気温だ。必要最低限の部分しか隠していない彼女からすればいささか寒すぎる。


「少しは温まるだろうよ」

「そうだな」

「だからって興奮して突っ込むんじゃないよ」

「トリスシアっ!」


 顔を赤くして怒鳴る同僚を鼻で笑い、彼女はバンバンと熊を叩いた。


「まあこれは立派な雄だから突っ込んだら大変なことになりそうだけど」

「だから貴女はもう少し慎ましくですね!」

「煩いよヤージュ」


 片手で耳を覆って彼女は『何も聞きたくありません』とばかりに肩を竦める。


「でも確か雄の熊のあれは薬になるとか聞いたことがあるね。突っ込まずに咥え込んだらその傷も治るんじゃないのかい?」

「いい加減にしなさい!」

「へいへい。本当にヤージュは真面目だね」


 2人のやり取りを見て周りに居る残り少ない部下たちが隠すことも無く笑い声をあげる。


 そんな声を聴きながらキシャーラはゆっくりと目を閉じた。

 確かに熊のお陰で多少暖かくなったが……獣臭さで鼻が曲がりそうだった。

 でもこうしてゆっくりと気心の知れた者たちに囲まれ、その笑い声を聞いて居られる環境など……思い出そうとしても全く思い出せない。


(俺は戦場で楽しむことばかりを考え、別の楽しみを見つけられずに居たと言うことか)


 苦笑して彼は自問する。

 もしこのまま事が上手く行ったら……その時はどんな"未来"を目指すべきなのかと。




(c) 甲斐八雲

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