トラウマ

「アルグ様」

「ん?」

「……」


 何も言わずにノイエが右腕に抱き付いて来る。

 案ずるな。もうそのちっぱいの存在に狼狽える僕ではない。


「どうしたのノイエ」

「……」


 何だかノイエが甘えん坊モードだ。


 遅れて来たルッテがかけ湯をしてから離れた位置で湯に浸かる。

 体はバッチリ布で隠した……混浴本来のスタイルだ。


「不思議ですね~」

「何が?」

「地面からお湯が出るって」

「そうだね」


 メカニズムを知ってても普通に考えると不思議だ。


「うわっ! しょっぱい」

「海が近いから水自体が海水なのかもね」

「へ~」


 湯口に手を伸ばし『あちち』と言いながらルッテは湯を舐めている。

 ノイエは僕の右腕に抱き付いたままだ。たぶんこれは……今夜は離れないな。




「あっ……くぅ!」


 ベッドの上で何度か寝返りを打っている。


 うなされ続ける相手の様子に気づいた少女は、そっと相手の頭を抱きしめた。

 知っている。自分が『嫌なもの』を見ている時など、彼がこうして抱き締めてくれているのを。そしてずっと頭を撫でてくれることを。


 それをされていると……胸の奥がポカポカして来る。嫌なことを忘れられる。

 だから少女は目が覚めていてもずっと目を閉じていた。


 でも今は違う。彼が怪我をしてからたまにこんな風になるようになった。

 嫌なのを見ているに違いないと分かる。

 自分が何をするべきか……ノイエは知っている。


「大丈夫」


 そっと抱きしめた相手の頭を優しく撫でる。


「大丈夫。アルグ様」


 自分されているのと同じことを相手にもする。

 それしか出来ないから。




「あ~」


 枕が変わったせいか良く寝れなかった。

 折角温泉に浸かってリラックスしたのに……今度からは枕持参だな。

 時間があったらもう一度温泉に浸かるとして、まずは朝から大型ドラゴンが出て来るのを待たないと。


「あれ? ノイ……えっ?」


 どうして僕のお嫁さんがそんな全裸よりも艶めかしい姿で!

 半裸ってすっごく危険だと思う訳です。それもこんな青い果実がっ!


 いそいそと彼女の寝間着を直していると、パチッとノイエの瞼が開いた。


「アルグ様。おはようございます」

「……おはよう」

「……する?」


 違うから~! そんな邪な気持ちは、ちょっとあるけど心の奥にしまっているから~!

 着せようとしていた寝間着を脱ごうとする彼女を止めるのに物凄い時間を費やした。




「……釣りとかしたくなるね」

「そうですか?」

「磯で釣りとか憧れない?」

「わたし……山育ちなので」


 椅子に座って海を眺めている。隣にはルッテがたまにお菓子をパクッとするくらいで平和だ。

 周りにはコンスーロさんが指揮する近衛の新兵さんたちが警護しているんだけど、時折練習染みた掛け声が聞こえて来るから……そう言うことなんだろう。


「ねえ。そろそろ飽きた」

「我が儘言わないで下さいよ~」

「って、大型のドラゴンってどこよ!」

「知りませんよ~。わたしの目にも映らないですし~」


 間の抜けた声を発しながらルッテも椅子の上でだらけて居る。

 唯一真面目なのはノイエだ。波際まで進んでジッと海を見ている。

 たまに小型のドラゴンを襲い掛かってきているが、牙を向けた相手が悪すぎる。


「何かどこに行ってもドラゴンが居るんだね」

「そうですね~。でもこっちは数が少ないですよ。隊長が立っててもまだ3匹しか来てないですし~」

「そうなの?」

「王都の近くであれをやったら次から次へと小型がやって来ますよ」

「ノイエ的にはそっちの方が嬉しいのかもね」

「ですね~」


 見ていても飽きる。

 何かこう良い方法は……ガタッと椅子を鳴らしてルッテが沖を見た。


「出ました。大きいのです」

「どれどれ?」

「えっと隊長がここに居るから……右の方に顔を向けてください」


 右? 言われた通り顔を動かすと、確かに海面が泡立っている。

 潜水していた何かが出て来る様な……って大型のドラゴンって初めて見る気がする。


 ギィャォォォオオオオオッ!


 咆哮を上げて出て来た頭は二つ。

 映画で見たことがある。キング何とかのような双頭のドラゴンだ。でもサイズがデカい。確かに大型だ。


 怪獣のアトラクション感覚で見てるけど、ここって実は危なくない?

 まあノイエがちょこっと行って殴って終わりだろうけど。って……あれ? ノイエ?


「ノイエ?」


 呟くとクルッと体ごとこっちを向いた彼女が走って来る。その顔色は良く無い。


「どうしたのノイエ?」

「アルグ様」

「うん」

「……水は嫌」

「……」


 まさかの問題発言に正直腰が引けた。

 隣に居るルッテは椅子から転げ落ちた。


「海が怖いの?」

「はい」


 僕の傍に来た彼女は右腕に抱き付いて来る。確かに微かに震えている。


「ノイエ。海に入るのが嫌?」

「はい」


 ブルブル震えて彼女が肯定する。

 でもノイエは普段お風呂とか入っているから水が怖い訳じゃない。川も……あっ。


「ノイエ。川も怖い?」

「大きいの」

「納得」


 普段あれほど体を振り回しているノイエが乗り物酔いとか変だと思ったんだよ。

 つまり彼女は大量の水が怖いんだな。でもどうして?


 ちょっと頭を捻ったら……音を立てて答えが出て来た。


「ごめんねノイエ。気づくのが遅くなって」

「……?」


 軽く首を傾げる彼女は気付いていない。でも僕は知っている。


 彼女は口減らしに合って川の中に頭を押し込まれたんだ。たぶん父親か何かに後頭部を押されて……その時に受けたショックがトラウマになって残っているんだ。


 ならここは夫である僕が頑張らないとダメな場面だ。

 どうやってあれを陸に上げるかが問題だけど。




(c) 甲斐八雲

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