食人鬼

 小雨の降る中……彼はその荷物を待っていた。

 宿屋の軒先に立って雨をしのぎながら見上げる空は、灰色の雨雲だ。


 確か"彼"と出会ったのもこんな日だった。


 援軍を送って貰えず、仲間たちが一人一人と倒れていく中で……彼はそれでも必死に生き残ろうと足掻き続けた。

 戦闘は生まれつき才能が無かった。魔法も自慢できる程の魔力を持っていなかった。

 だから学問を学び文官となる道を選んだ。それしかないと思ったからだ。


 必死に学び、必死に働き、必死に務めた。


 結果は……敗戦濃厚の前線都市への派遣だった。

 どんなに頑張っても覆せないものがあった。

 家柄だ。

 下級も下級……ギリギリ貴族と名乗れた彼の家では、目立った役職に就くなど無理だったのだ。


 そう。だからあの日……彼は自分の人生に絶望して、最後の時を軒先で雲を見上げて過ごして居た。


『何をしている?』

『死ぬ時を待っています』

『何故死を急ぐ?』

『死んで……次はもう少し良い家柄の子として生まれたいと願って』

『そうか。ならばお前に"死"をくれてやろう』


 剛剣が頭上を過ぎて背を預けていた家の壁を割いた。


『これでお前は死んだ。だからこれより死者として俺に仕えよ』

『……貴方は?』

『俺の名はキシャーラ。兄と共にこの世界を征服せんとする者だ』


 力強い笑みに……彼はついて行こうと決めた。

 たった1人で100人の兵が守る都市を陥落させた相手に。




 ゴトゴトゴトと迫り来る馬車の音に彼は目を覚ました。

 空を見上げているうちに転寝をしてしまったらしい。


(最近忙しかったからですかね……それとももう歳ですかね)


 嫌だ嫌だと首を軽く揉み、目の前に止まった馬車の荷台に目を向ける。


「ずいぶんと遅いお着きで」

「ん? もう着いたのか?」


 ムクッと荷が動く。

 寝ていた荷が起き上がり……彼は首の角度を空を見上げていた時と同じくらいにした。


 その身長3m以上の大女。全ての部位がどれも大きくて逞しい。全身を筋肉で覆われているのはその裸にも近い衣服の様子からうかがえる。


「もう少し着る服を選んでください」

「はんっ! 服なんて着る必要もないね。アタシのこの体に傷を付けられる者がどこに居る?」

「……少なくともこの国に居るドラゴンスレイヤーならあるいは」


 彼の言葉に大女はその口を剥いて嗤う。

 そして立派な犬歯の様にも見える牙を覗かせ、その口を大きく開いた。


「速くアタシにその小娘と戦わせな。あんな蛇ともトカゲとも知らない小物ばかりで飽き飽きなんだよ」

「流石は帝国一のドラゴンスレイヤーですな」

「はんっ! あんな小物……"アタシの居た世界"ならドラゴンと呼ばないよ。ただの雑魚だ」

「……声が大き過ぎますトリスシア」

「はっ! まあ良い。とりあえず飯を寄こしな……こっちとらずっとの移動で空腹なんだ」

「はいはい。全く……とりあえずこの中に」

「また窮屈な場所か? 本当嫌になるね」


 彼女の為に作りを大きくしたのだが、それでも身を小さくしてどうにか潜って建物の中に入る。

『小さいんだよ。だから人の家は嫌いなんだっ!』と不満を言いながらも彼女は大人しく従ってくれた。


 きっと自分が本気を出せる相手が居ると知り楽しみで仕方が無いのだろう。

 子供の様な性格を持っているが……彼女の本質は"化け物"だ。

食人鬼オーガと呼ばれる異なる世界の生き物……それが彼女の正体だ。


(あんな化け物と戦うユニバンスのお嬢さんに同情しますね。でも)


 彼……ヤージュは空を見上げて思う。

 いつの世も弱き者は強き者に蹂躙されてその人生を弄ばれるのだと。


(強いと言うことはそれだけでも"罪"なのですよ。本当に)


 クククと笑い彼も建物の中へと入る。

 彼女の食事はいつも注文が多くて困る。本当にあの"肉食"は……選り好みが過ぎるのだ。




「ハーフレンの馬鹿者め」


 チラチラと聞こえてくる噂話に国王は眉を潜めた。

 何も殴る必要はない。自分の時は……蹴っただけだ。


 戻って来てから詳しい話を聞く必要はありそうだが……今はそれどころではない。

 何事も最初が肝心と国王は指を立てた。


「国王様の入札で始まりです」


 やはり値が上がる。人気の作品だから仕方がないが……ちと痛い。

 値動きに気を配りながら、耳打ちしてきた家臣の話にまた眉を潜める。


「赤子の行方不明事件だと?」

「はっ。陛下」

「犯人の目星は?」

「それが全く。恐ろしいほど手際が良いのか、今だ尻尾も掴めておりません」

「うむ」


 顎髭をひとしきり撫で、ユニバンス国王は右手の人差し指を立てた。


「ここで陛下が金貨1枚を乗せて来た。さあ皆さまどうします? この『シャイアナの裸婦』は二度とお目に掛かれないかもしれません! おっとクロストパージュ様がまさかの2本っ! 2本です!」


 チッと舌打ちをして国王は話に戻る。


「ハーフレンが戻って来てからでは遅いかもしれんが……内偵の長は現在あれだ。儂が動いてはようやく出来上がった組織に歪が出るやもしれん」

「……ですが陛下。北西の街ではその噂に溢れており住人が皆、特に子を持つ母親が恐怖しております」

「皆まで言うな。分かっておる」

「……噂に聞きし『猟犬』は使えませんのですか?」


 家臣は顔を寄せ僅かな声を発した。


「あれは儂の部下ではない。ハーフレンの手駒だ。儂ですら正体を知らんのだ」

「ぬお~っとここで陛下が1本乗せて来た! さあどうするクロストパージュ様? 本日は上下関係など無用のお祭りだ! 流石はクロストパージュ様! 狙った女は逃がさない男っ! 1本ですっ! 乗せて来た~っ!」

「ぬぬぬっ! クロストパージュめっ! 彼奴も尻の良さを理解し始めたかっ!」

「……陛下? 余り熱くなり過ぎては?」

「負けられんのじゃっ! 『シャイアナの裸婦』をこよなく愛する儂としては決して負けられんのじゃっ! 誰ぞ! この会場の隅で寝ているであろうアルグスタを連れて参れ!」

「陛下?」


 腕まくりをして本気を見せる彼に、古くからの家臣が腰を引く。


「国王の本気を見せてくれようぞ! 金ならドラグナイト家と言う金庫がある!」

「……誰か陛下に水を。それと至急シュニット様をここに」

「ぬははははっ! どうだクロストパージュの馬鹿者め! お前にこれが出来るかっ! んんっ? どうじゃ!」

「うおっと! ここで陛下が5本! 5本です! 正気かあの人は!」

「これが儂の力だ!」



 しばらくして……跡継ぎにしこたま怒られる国王の姿を多くの貴族が目撃した。




(c) 甲斐八雲

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