とても胸が痛い

 仕事が終わったノイエは歩いて帰る。

 小隊の待機所となっている場所から全速力で城下の門へと移動し、そこからは普通に歩く。


 最初……この王都に来た頃、何も分からず全力で宿舎まで走っていたら、馬車を撥ねて大騒ぎになった。

 それ以降、出かける時は門を過ぎてから走る。戻る時は門を過ぎてから歩くを実践している。


 ドラゴン退治をしている時は鎧姿な彼女だが、普段城下を歩く時は私服だ。袖のあるワンピースの様な服を良く着ている。

 一人で脱いだり着たりするのが楽だからだ。


 ただ今日は珍しく、彼女が自分の腰の後ろで腕を組んで歩いていた。

 通りを行き交う人たちはその姿に足を止める。

 普段ならシャカシャカと歩き、近寄りがたい雰囲気を漂わせているのに……今日は全くそんな気配がない。


 それもそのはず。ノイエは全く急いでいなかった。

 急いで帰ってもベッドの上で座って待っているだけだと学習したのだ。


 護りたい人は、今日も仕事で帰りは日が沈み出してからだ。

 それまでずっと座って待っているのは……胸の奥がツンとして嫌だ。なら急いで帰らない。こうしてゆっくり歩いて行けば良いと学んだのだ。


 前に日が沈むまで仕事をしたことがあるが、副隊長から何から総出で怒られた。


『片付けとかあるんでそこまで頑張らないで下さいっ! お願いします隊長っ!』とうっすい子が泣きながら言って来たので、それ以来していない。

 ただ皆で怒らなくても良いとは思った。


 通りには露店が並び、良い匂いを漂わせている。


 ふと、今日の休憩時に余り食べられなかったことを思い出す。

 普段なら問題無く食べられるのに、今日に限って少ししか食べられなかった。たまにこんな日がある。


 意識したらお腹の空腹が気になって気になって……


「ノッ……ノイエ様っ」

「……」


 呼び止められた。

 たぶん初めてなことに、ノイエはクルッと体ごと振り返る。

 後ろに居たのは何やら荷物を抱いた女性だ。


「あの……この子を抱いて頂けないでしょうか?」

「……」


 この子?

 女性が抱いている荷物が子供だとそこでようやく気付いた。


「お願いします。どうか」

「はい」

「……えっ?」

「はい」


 あっさりとした返事にお願いしている方が驚く。

 この国の英雄たる彼女がこんな願いを聞いてくれるなんて……正直思いもしていなかった。


「あっなら」

「……」


 丁寧に渡された"それ"をノイエは抱きかかえた。

 何だかとっても頭がグラグラとしている。


「ノイエ様。出来たらそうじゃ無くて……ここをこうして。そうです」

「……」


 手直しを受けたら頭が動かなくなった。

 人を抱きかかえるのは難しいらしい。


 ただ抱きかかえるノイエは、微動だにしないで子供の顔を見る。

 全体的に小さくてとても弱そうだ。


「ありがとうございます。きっとその子も元気に育ちます」

「……」


 全てが小さいのに確りと動いている。

 表情も豊かだ。『あ~』としか喋らない口は、口元が、柔らかく笑っている。


「あの……ノイエ様?」

「……」


 良く分からないけれど胸の奥がキュンとして痛い。

 子供を抱いているだけなのに、とても胸が痛い。


「ノイエ様?」

「!」


 呼ばれていることに気づきノイエは顔上げた。


「本当にありがとうございました」

「……はい」


 そうだ。返さないと……と、思うと同時に返したくない気持ちもある。

 後ろ髪を引かれる思いでどうにか相手に手渡すと、今まで腕や胸に感じた暖かさが一気に冷めて行く。


 冷たい。


「ありがとうございます。本当に……」


 ペコペコと頭を下げ続ける母親の元に、何が起きたのか事情を聴こうと人々が殺到する。


 ノイエはお城を見て歩き出す。

 何か大切なことを忘れている気がする。


 と、その場に居る全員がその音を聞いた。

 ぐるるるるる~と鳴り響いた腹の虫だ。


 発生源は……


「無理」


 足を踏み出した状態で……ノイエは真っ直ぐ前のめりに石畳へと倒れ込んだ。




「アルグ!」

「何ですか? 追加なら結構です」

「いや大変だっ!」


 もうこれ以上仕事は要らないよ?


 駆け込んで来た筋肉王子が息を切らしている。


 そこまで慌てるとは……国王が腹上死でもしたの?


「ノイエが城下で倒れた!」

「へっ?」

「だから倒れたんだ」

「えぇえっ!」




 城下に放たれている密偵がノイエを運んで来てくれたらしい。

 外傷も何も無いのに……目を閉じたまま開かないとの報告だ。


 何で? どうして?


「ノイエっ!」

「……はい」

「だぁあっ!」


 夫婦の寝室に飛び込むなり膝から崩れ落ちた。


 起きてるやん。原因不明の病かもって話はどこに行った?


「大丈夫?」

「……」

「分かる?」

「アルグ様」

「うん正解」


 ある意味いつも通りのノイエだ。


「で、何があったの?」

「……子供」

「子供?」

「子供……欲しい」

「……」


 お嫁さんからの物凄い要求がっ!

 もう少しだからね? 現在引っ越しの準備中だからね?


 ベッドに上がり彼女の横に座る。


 そもそも祝福『治癒』持ちの彼女が病気とかあり得ないんだよな。


「子供。暖かい。お腹。空いた」

「……」


 その連想ゲームは僕には解けそうにないよ?


「お腹空いたの?」


 コクッと小さく頷く。


「誰か~。何でも良いから食べ物持って来て~」


 部屋の外で待機しているメイドさんが果物を持って来た。

 でもノイエが動かない。


「ノイエ?」

「……」


 あれ? これって?


「もしかして……祝福の使い過ぎで体力が枯渇してるの?」


 コクッと小さく頷いた。

 

 それで倒れたのか……良かった~。

 って、子供の話はどう繋がるの?




(c) 甲斐八雲

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