ex 笑顔の悪魔

「……」


 うまく想像が付かなかった。

 そんな無茶苦茶な倫理観をしている人間の存在が。

 正当な、向けられるべくして向けられる悪意ならば理解できる。

 自分達精霊がこの世界の人間に向けている様に、そんなのはいくらだって理解できる。

 ……だけどその精霊が言うこの地獄の主については、あまりに現実味が無いように感じてしまう。


(……勘違いじゃないですかね、それ)


 理不尽な行動がではない。

 その人間が精霊の事をまともな存在として見ているという事がだ。


(……でも)


 だけど牢の向こうの精霊はその人間自身が精霊が人間と変わらないと、そう言ったのだと言っていた。

 それが本当なのだとすれば、例えその言葉が虚言だとしても精霊の見方はこの世界の普通の人間とはまるで違う証明になる。

 虚言だとしても、それは人間と同じに見ていないだけだろうから。


「……信じられないって顔してるね。アレかな、多分アンタ自身が優しいんだろうね。そういう無茶苦茶な奴のイメージがパッと浮かんで来ない位には」


「……別に優しい訳じゃないですよ」


「……まあその辺、自分じゃ分かんないからね。というか自称してる奴にろくな奴いないよ」


 そう言ってその精霊は笑った後、一拍空けてからエルに言う。


「……まあここの人間の話はもう止めようか。話したところで良いことなんて何もない。どうせそのうち分かるし、するならもっと楽しい話をしよう」


 確かにここの主について話すことは、目の前の精霊にとって不快な事ではあるのだろう。

 ……そして、実際そのうち嫌でも分かるというのは間違いなさそうで、そういう意味では別の話を。できることなら楽しい話でもしていた方がいいのかもしれない。


「……楽しい話、ですか」


「そう、楽しい話」


 もっとも此処の主についてそのうち嫌でも分かるという状況に立たされている今、そんな明るい話ができる余裕は正直無いのだが。

 だがそんなエルの心境に構うことなくその精霊は言葉を続ける。


「……とりあえず自己紹介がまだだったね。私の名前はエマ。アンタは?」


「エルです」


「……そっか、エルか。これからよろしく、エル」


 そう言って自己紹介を終えたエマは、生気の籠っていない笑みを浮かべる。

 ……そんな表情を見せられると余計に笑えない。

 そして一人そんな壊れた笑みを浮かべるエマはエルに問いかける。


「……ねぇ、エル。よかったら教えてよ、アンタの事。まともな人間と接した事があるんだったら、なんか色々楽しい話が聞ける気がする」


「……まあ、いいですけど」


 なんとなく先程の悪意云々の話もあってか、エマの身の上事情を聞いても気が重くなるような気しかしなかった。

 だから自分の身の上事情を話していた方が精神衛生上よろしい気がする。

 ……少なくとも自分の記憶は辛い事はあっても、多分他のどの精霊よりも幸せだと思える程、良い事も沢山あったから。

 ……これからだってあるんだって思うことができるほど、明るい話だから。


 だからそれから少し、今までの事を話した。

 瀬戸栄治という人間と出会った話。自身の隣りにいる金髪の精霊と、その契約者の人間と出会った時の話。精霊加工工場を襲撃した時の話。絶界の楽園と呼ばれていた場所へと向かった話。

 そして……地球という世界の話。

 その世界の人間の話。

 そんな話を、徐々に徐々に促されるようにエマへと語った。

 すると、全てを聞き終えたエマは静かに言う。


「……なんか羨ましいな」


 本当に、心底羨ましそうに。


「……アンタ、すっごく恵まれてるよ。私がゴミみたいな生き方してる裏側で、そんないい思いしてたんだ」


 そして向けられている感情は嫉妬の様にも思える。

 というか間違いなくそうだと思えるほどに、そんな感情が伝わってきた。

 教えてくれと言われたから教えたのに、そんな反応をされるのは少し理不尽だとは思うが、同時にそれも仕方がない事だと思う。

 ……それだけ、精霊という存在にも関わらず恵まれた生き方をしてきたから。

 今こんな立場に置かれている精霊にそんな感情を向けられるのは寧ろ当然の事なのかもしれない。

 だけど、ここまで身の上を話した今だからこそ、目の前の精霊に掛けられる言葉があった。


「……だったらエマさんも行きますか?」


「……え?」


 これまでエマという精霊が歩んできた、本人曰くゴミみたいな生き方は過ぎた過去でもう変えられなくて。

 だけどこれから先の未来はまだきっと変えられる。

 エマという精霊はエルのこの二か月に対して、幸せと辛い事の両方が詰まった二か月に対して嫉妬を覚えた。覚える程に素晴らしい物だと思った。

 そしてその二か月と同等かそれ以上の生活は、決して手が届かない物じゃない。


「……多分ですけど、エイジさん……私と契約している人間が助けに来てくれるかなって思います。多分周り皆が止めても無理矢理にでも乗りこんでくると思うんです。正直危険な事なのは分かってるから複雑な気持ちですけど……そうなったら一緒に此処から出ましょう」


 そして。


「そしたら最終的にエマさんも地球に行けばいいんです。多分そしたら、今までよりずっといい事がある筈ですから。私でよければ少し位なら案内だってできますよ」


「……」


 エルの言葉にエマは一瞬呆けた様に黙り込む。

 だけど複雑な表情で、それでも少しはまともな表情でエマは言う。


「……なるほど、やっぱりアンタは優しいんだ」


「……別に、そんな事思われる様な事言ってないと思うんですけど」


「……でもやっぱり分かる。アンタは優しいよ。だから色々な人に助けてもらえる」


 そう言ったエマは少しだけ優しい表情を浮かべてエルに言う。

 今度は嫉妬の様な感情が感じられない、純粋な願いを込める様な言葉で。


「……助け、来るといいね」


 そう言って優しい表情を浮かべた。


 その時だった。


 遠くから、軽い足音が聞こえてきた。


(……誰か来る)


 それは初めて聞くエルにとっては、先程金髪の精霊を連れてきた男の足音と殆ど変わらない程度のものだ。

 だけどそれは聞きなれた者からすれば、圧倒的に違う何かだったのかもしれない。


「ひ……ッ」


 エマが、露骨に何かに怯える様に、そんな声を上げて……目に見えて震え出した。

 その震え方は尋常ではなくて、そうさせるだけの何かが近づいているという事は嫌でも理解できた。

 ……そして、その誰かとは一体誰なのか。


 その答えはすぐに出て来た。


 きっとこの地獄の主がそこに居る。

 そしてやがてエルと向こうの牢の間の通路で、一人の人間が足を止めた。

 見た所エイジや茜と同い年程の、白衣を身に纏った少女。

 そしてその少女を見た瞬間に、エマの表情がより怯えたものとなった事から、間違いなく目の前の人間がこの地獄の主なのだろう。


 エマ曰く、精霊の事を資源として見ない人間。

 ……にもかかわらず精霊に理不尽な仕打ちをする人間。


 そしてその人間はエルの方へと視線を向けた。

 この世界の人間特有の、資源を見る目ではない。


 向こうの世界の人間に。

 エイジ達に見られるのと同じような、そんな視線。

 そんな視線で、目の前の地獄の主はエルに言う。


「やあやあおはよう、目が覚めた?」


 そんな異世界の人間が精霊に向ける筈の無いような言葉を。

 そして彼女は曇りの無い満面の笑みを浮かべて言う。


「ウェルカム! ようこそ私の研究所へ! 私の名前はルミア・マルティネス。これからよろしくね」 


 そんな明るい自己紹介の様な事を。

 精霊に対して良識があれば、少なくとも喜々として伝える様な事が無いような、この場所の事を。

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