30 巻き込む覚悟を 上

 精霊達のいる空間から離れた俺は肉体強化の精霊術を使わずに走り出した。

 当然肉体強化を発動させた方が速度は出る。だが体力の消耗が圧倒的に激しい精霊術を使うよりは、長距離走行に限っては結果的に普通の状態の方が効率がいい。


 ……いいのか? 本当に?


 いや、効率がいいのは間違いない。長距離を走るなら素の状態で走るべきだ。

 だけど無茶苦茶な事かも知れないけれど、肉体強化の精霊術を使って走り続ける事さえできればその方が遥かに到着が早くなる。

 ……今は時間がないんだ。

 例え非効率でも無茶苦茶な事でも、肉体強化を使って走るべきなんじゃないか?


「……よし」


 やるだけやってみようか。

 無理なら無理で止めればいい。そこからは普通に走ればいい。

 いや……無理でもやり通す。

 その覚悟で走り抜けろ。

 そう考えて肉体強化の精霊術を使おうとした時だった。


「ちょっと待ってストップ!」


 後方から俺を止める様な声が聞こえたかと思うと、その声の主は猛スピードで俺を飛び越えて俺の章麺に躍り出る。

 結果的に道を塞がれる形となり、俺は足を止めてその禍々しい雰囲気を身に纏う精霊の名前を呼んだ。


「レベッカ……」


「アンタが目覚ましたって……聞いたから慌てて……追ってきた……」


 そう言ったレベッカは息を粗くしながらその禍々しい雰囲気を消す。

 本当に全速力で負ってきたのだろう。

 呼吸を整えるのが精一杯という様子で中々次の言葉が出てこない。

 だけどやがてレベッカは俺に向けて言う。


「聞いたよ……エルを助けに、行くんだってね」


「ああ」


 俺はレベッカの言葉に頷く。

 するとレベッカから思いもよらない言葉が飛んできた。


「アンタ……本当に助ける気あるの?」


「……は?」


 思わずそんな声が出てきた。

 それを言うのが特別親しくもない精霊だったら納得できる。ルナリアとかだったら、そういう言葉が出てきてもおかしくはないと思う。

 だけどレベッカからは。

 目の前の精霊からは少なくともそういう疑いを掛けられるとは思わなかった。

 俺は動揺しながらレベッカに言う。


「あ、あるに決まってんだろ! あるからこうして動いてんだろうが!」


「一人で走って? 人間に連れ去られたしたら距離もある。そして敵が強大な事位分かってるわよね?」


 少し冷めた様な目つきでレベッカは言う。


「アンタのやろうとしている事、ただの自殺よ」


 そこまで言われてレベッカが何を言いたいのかはなんとなく理解できた。

 多分、俺が無謀な事をやろうとしているのを止めようとしてくれているんだと思う。

 だけど無謀だろうとなんだろうと、俺がやる事は変わらない。


「……だったらなんだよ。確かにやる事は自殺紛いな事かもしれねえけど、だからってそれでエルを助けるのを諦めるのか? 違うだろ? 例え死ぬような目にあってでもエルを助け出さないといけない。だからそんな事で助ける為の意思は折れねえ」


 だからどんな絶望的な状況だとしても、助ける気はあるんだ。無くなるわけがない。無くせる訳がない。

 だけど俺の言葉に対し、レベッカは少し呆れるようにため息を付く。


「いや、別にウチが言いたいのってそういう事じゃないんだけど」


 レベッカは一拍明けてから言う。


「そうだね。助ける気持ちは間違いなくあると思う。だから動いてる。だから自殺紛いな事をやってでも助けに行こうとしている。それは間違いない」


「だったらお前は一体何が言いたいんだよ!」


「分からないかな? 自分で言ってるじゃん。自殺紛いだって。そんな端から失敗する事前提みたいなやり方を取ろうとしている時点でアンタのやろうとしている事は自己満足だよ。助ける気持ちはあるかもしれない。でも助ける気があるのかって言われれば無いと言わざるをえないよ」


 ……その言葉に自然と怒りが沸いてきた。

 分かってる。俺のやろうとしている事は自殺紛いだ。

 自殺紛いでそして可能性がとても希薄な賭けだ。助ける気はあっても助ける為の作戦としては愚の骨頂もいい所で、そんな作戦を取ろうとしている時点でそれは助ける気がないと思われてもおかしくないのかもしれない。

 ……だけどだ。


「……だったらどうしろってんだよ」


「……」


「それしか手段がねえ! それしか手段がねえからそうするんだろうが! やらなきゃ可能性はゼロだ! だけど動けばほんの少しだけ可能性が生まれてくる! エルを助けられるかもしれないんだ! それをやるのが間違いなんだったら、他にどうすればいいんだよ!」


「……まずそれしかないって考えが間違いなんだよ」


 レベッカは言う。


「なんで自分一人で解決しようとしてるの? 此処には戦う力がある精霊が大勢いるのに」


「そりゃお前……」


「巻き込みたくないから、とか?」


 言おうとしたことを先読みされる。

 ハスカ達からは向こうからそれができない事を告げられた。だけどそれを言われようと言われまいと、ハスカ達にそれを頼む事はしなかっただろう。

 巻き込むから。頼み込んだうちの何人もが犠牲になるのが分かりきっているから。

 エルを助けられる可能性を上げるには無理矢理に出も引き込む事が正解なのは分かっていても、それはもう超えてはならない一線だと思ったから。

 そして俺は図星とも取れる反応を見せてしまったのかもしれない。

 レベッカは言う。


「やっぱりね。アンタはウチの思った通り優しい人間。でも――」


「でもなんだよ。お前はアイツら巻き込めって言いたいのか」


 その先の言葉が読めてしまい、感情的に言葉を紡ぐ。


「ハスカにエルを助けに行くのを止められた。その過程でアイツらがエルを助けに行く俺についていく事はできないって言ってた。でも仮に言われなくたって無理だろ巻き込むなんて。エルを助ける為にみんないなくなるぞ。この先俺が進まなきゃならねえ道はそういう所なんだよ! 無理と言われようが言われまいが、それは越えちゃならない一線だろうが!」


「それ超えないと話にならないって言ってんの!」


「……ッ」


 レベッカの強い言葉に俺が押し黙ると、畳みかけるようにレベッカは言う。


「アンタが行かないといけないのはそういう所じゃないの?」


「……そうだよ。分かってる」


 俺はその言葉を認めて頷く。

 多分レベッカの言っている事は正論だ。

 ……きっと、それは超えてはいけない何かを超えないと話にならない事なんだ。


「俺一人にできる事なんてそれ程ねえよ。今俺が生きてるのだってエルやお前にあの枷を渡したシオン。それに誠一……俺の世界にいる親友とか、とにかく色んな人に支えられて此処にいる。俺一人じゃ碌に何もできたためしがねえんだよ。間違いなく今回だって俺一人でどうこうできる問題じゃねえ。分かってんだよそんな事は」


 だけど……それが分かっていても。


「それでも俺には……アイツらを巻き込む事なんてできない」


 多分これは逃げだ。

 エルの為なら全てを捨てる覚悟はできた。他の関係のない誰かを踏みにじってでも前に進む覚悟も決めたつもりでいた。


 だけどいざそういう状況に立ってみればこうだった。


 エルの為に死ぬ覚悟はできて。他の誰かを勝手に天秤に掛ける事も出来ても天野との戦いで実際にできていて。

 それでも関係のない誰かを明確に自分達の利益の為だけに死の淵に追いやる様な真似は出来なかった。

 対策局からエルを連れだした時に誠一と行った滅茶苦茶な作戦だって、あれは誠一が発案し誠一が強く押してくれたからできた事で、仮に俺が同様の作戦を思いついた所で実行に移す事は出来なかっただろう。

 ……とにかく、俺は逃げているんだ。

 自分の手で誰かを傷付ける事から逃げているんだ。

 そしてそんな俺にレベッカは問いかけてくる。


「でもエルと他の精霊、どっちが大事?」


「そりゃエルに決まって……」


 途中までそう言いかけて、その問いが文字通り他の精霊からの問いかけだという事に気付いて押し黙る。

 だけどそんな俺に諭す様にレベッカは言う。


「そう決まってるなら、自分勝手に関係ない物全部巻き込んででも助けないと。それが正しいのかどうかって言われたらすっごく間違ってるかもしんないけど、今のアンタにはそれが必要」


 ……ああ、そうだ。分かってる。

 やれないけれど分かってるんだ。


「……分かってるよ。それが間違いで、だけどやらなきゃいけない事だってのは」


 そしてそう答えた俺を暫く見つめた後、レベッカは言う。


「でも結局その意思は曲げられないって感じかな。アンタがそんな感じじゃ無理矢理説得させてもハスカ達が動く様な事は無いだろうし、他の精霊は元々どう足掻いたって可能性はないかな、うん」


 レベッカはどこか諦めた様な口調でそう言った後、一拍明けてから言う。


「じゃあ乗りこむのは二人で確定か」


「……ちょっと待て、二人?」


 俺は思わずそう聞き返す。

 真剣に何を言いたいのか分からなかった。

 だけどそれが一体どういう事なのかが見えてくるとほぼ同時にレベッカは言う。


「ウチも行く。二人じゃ戦力的にはちっぽけだけど、一人よりもずっとマシでしょ?」

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