ex あなたの為なら

 話を聞いている内に、思考が白くなりかけたのが分かった。

 エイジを蝕んでいるのは毒ではない。それは呪いというあまりにも想定外の存在で、そしてそれをこの場で解呪する術がない。

 そう聞いてしまったら、だったら一体どうすればいいって。

一体何をすれば助けられるんだって。

 頭の中がぐちゃぐちゃになりそうで。

 だけど、解決策は提示された。


 術を掛けた人間か精霊を殺してしまえばいい。


 それはとても分かりやすいやり方で。

 ぐちゃぐちゃになっていた思考が纏まって、少しだけ冷静になるには十分な情報だった。


「……アリスさん、回復術、変わってもらっていいですか」


 目の前で共にエイジを治療しようとしてくれたアリスにそう声を掛け、エルは立ち上がり拳を握り絞めた。

 ……分かってる。今から自分がやろうとしている事がどれだけ難しい事かなんて。

 だがら手は震えていた。握り絞めた拳が震えて仕方がない。

 ……それでも、やるしかない。やらないと駄目だと。そう思った。


(……今動かないとエイジさんが持たない)


 刻印から今のエイジの容体がどれだけ悪いかなんてのは伝わってくるし、それがどれだけの速度で悪化していっているのかも。

 ……このまま回復術で延命措置を続けたとして、大雑把にではあるが後どれぐらいの時間が残されているのかも。

 だから確信を持って言える。

 このまま動かなければそれで終いだ。


 多分、エイジを刺した人間は戦場の後方へ退却している。

 前線に立ち命を落とす様な事があれば、エイジにかけられた、一人で十数人分の戦闘能力を持つ凶悪なテロリストに掛けられた死の呪いが解ける事になる。

 だから最善の策として後方に下がるべきだ。

 ……おそらく確実に瀬戸栄治というテロリストが死に至るまで、敵の精霊の攻撃が及ばない様に守りを固めて。

 そうなればこの先戦況がこちら側に傾き攻めてきた人間全員を殺すような結果になっても間に合わない。

 ……そして他の精霊に。例えハスカ達でも、持ち場を放棄させてまでその人間がいるであろう地点まで突撃するような作戦を協力させる事も現実的に考えても無理だし、賛同してくれても多分それだけの人数を纏めている時間もない。


 だから、今動かないと駄目なのだ。


 例え自分一人でもその人間の元に辿りつき、息の根を止める。

 それが無茶な作戦だとしても、それでもやらないといけない。

 そんな戦いに臨まなければならない。


 そうしないとエイジを助ける事ができないのだから。


「待て……エル……ッ!」


 エイジが絞り出した様な声を上げて、アリスの静止を振り払う様にゆっくりと立ち上がった。

 今まで続けてきた回復術によって、一時的に立ち上がる体力だけは戻っていてくれたのかもしれない。

 だけどそれでも、なんとか立ち上がれる力があっただけだ。

 なんとか立ち上がった次の瞬間には、エルが支えようと動く前に膝を付き、そんなエイジの視線は酷く虚ろだ。

 一体どこまで見えているのかも分からない。

 そしてそのまま崩れ落ちる様にうつ伏せで倒れてしまう。

 それでもエルを止める様に、エイジの手がゆっくりとエルに向けて伸ばされる。


 そんなエイジに対して一体何をしてあげるのが正解だったのか。

 それは分からない。

 だけど。だけどほんの少しでも安心させてあげられたらいいなとは思った。


「大丈夫ですよ、エイジさん」


 エイジの前にしゃがみ込んで、伸ばされた手を包むように握った。

 握って、頑張って笑顔を作った。

 エイジの手を握る両手は震えていて、自分自身が今からやろうとしている事が怖くて仕方がなくて。

 そして、目の前で大切な人の命が失われてしまうかもしれないと思うとそれが不安で仕方がなくて。

 だからきっとその笑顔はぎこちなくて、余計な不安を与える結果になってしまったのかもしれない。


「……駄目だ」


 エイジが再び声を絞り出した。


「それじゃ……エルが、死ぬ」


 知っている。

 瀬戸栄治という人間が自らの誇りを踏みにじってまで。

 自らの命を投げ捨てようとしてまで自分を守ろうとしてくれて。

 今も変わらず守ろうとしてくれる様な存在だという事も。

 だから、きっとエルのやろうとしている事を何としてでも止めようと、そんな声を出してくる。

 ……だけど。それが分かっていても。止まるわけにはいかない。


「大丈夫です。死にませんよ。いなくなったりなんてしません」


 少しでも安心してもらえる様にそう言ったけど、きっとそれも効果はなくて。

 そしてエル自身の声も手の震えは止まってはくれない。

 実際エイジの言う通り……下手をすれば命を落とす。

 いや、そうじゃない。

 相当うまく立ち回り運が味方しなければ。

 それだけの条件が揃わなければ、捕まるか命を落とすか。

 待っているのはその二つのどちらかだ。

 だけど……それでも。


「二人で帰るって約束しましたしね」


 自分一人だけが生き残るわけにはいかない。

 二人で生き残って、二人で帰るべき場所へと帰る。

 だから……エイジの静止を振りきってでも。自身の不安を押し殺してでも。


 ……立ちあがって。戦って。

 そして勝ち取らないといけない。


 そして、気が付けばエイジの手に力が無くなっているのが分かった。

 もう意識がそこにあるのか。自分がまだ此処にいる事が伝わっているのかすらも分からない。

 エイジからはもう静止の言葉も帰ってこなかった。


(……もう、行かないと)


 ゆっくりとエイジの手を地面へと置いた。

 そしてまた此処に帰ってくる為に、エイジに言葉を残す。


「行ってきます、エイジさん」


 そしてエルは立ち上がった。

 そして踵を返す。

 足取りは重い。

 感覚的に言えば、今から投身自殺でもしようとしている様にも感じられた。

 そしてそんなエルを引き留める様に、背後から声が聞こえる。

 それはエイジの声ではない。

 もうその声は帰ってこない。

 多分もう、そこに意識は残っていないだろう。

 声を掛けたのはエルに変わって延命措置の回復術を使ってくれているアリスだった。


「……本当にやるつもりっすか?」


「ええ」


「……無茶っすよ」


 アリスは言う。


「もうその相手がどこにいるかも分からないんじゃないっすか? それにそれが分かったって……」


「……そうですね」


 アリスの言う通りだ。

 もう戦況を見渡す為の精霊術を使える精霊は此処にはおらず、相手の位置情報はおおよその予測しかできない。

 そして辿り着いた所で多人数。いや、まだそれならいい。

 あの結界の剣を作りだす人間がそこにいれば、突破できる可能性はもはや奇跡とも言える確立だ。

 だから、本当に無茶なのだ。

 無茶だから怖くて仕方がないんだ。

 それでも、止まる意思はなかった。


「でも、それでもやるんです」


 エルはそう言うとすぐさま肉体強化の精霊術を発動させ、止めようとするアリスの声を振りきって地を蹴った。

 エイジの為に。エイジを助ける為に。

 超高確率で命を落とす戦場に足を踏み入れた。


 踏み入れて……そして一つ答えを得た。


 アルダリアスの地下を脱出した時、エイジの為に何でもできるかと言われれば首を振るかもしれないと答えた。できない事も沢山あるだろうという答えを出した。

 精霊加工工場に突入するときは実際に足が動かなくなり掛けた。それでも動かす事ができたのは自身がエイジに深く依存していたからだ。

 エイジがいなければ生きていく事ができないからだ。


 では、今はどうだろうか。

 精霊加工工場に突入する。その時以上に酷い状況で今自分はどうして動けているのだろうか?


 当然、エル自身どうしようもない程に瀬戸栄治という人間に依存している。

 他の何を失っても彼だけは失えないから。

 精霊加工工場の時の様にそれは彼女を動かす原動力になり得る。

 だけど……今は。

 今はきっと、今はその時とは違う気がして。


(……ああ、そうか)


 何よりも、何よりも、瀬戸栄治という人間を助けてあげたいという思いが強くて。

 二人で帰るといいながらも、自分の事はどうなってもいいからという思いが確かにあって。

 だから、理解した。


『あーうん、なるほど。これはアレかな? あの人の為なら何だってできるって奴かな?』


 昨日、そんなレベッカの問いになんだってしてあげたいと答えた。

 それが例え危険な事でもしてあげたいという意思を答えた。

 そしてその意思は、願望ではなく現実だった。


(私、エイジさんの為だったら、なんだってできるんだ)


 ……そうだ。なんだってできる。

 瀬戸栄治の人間の為なら、命だって投げ捨てられる。




 ……だけど、死ぬわけにはいかない。

 だってそうだ。

 怖くて仕方がない。手が震えて仕方がない。死にたくない。そんな思いは当然あって。

 そしてそれ以上に……今のエイジを一人になんてできないから。


 自分がずっと支えてもらっているように、エイジを隣りで支えないといけないから。

 自惚れかもしれないけれど、きっとそれができるのは自分だけの筈だから。


 だから死ねない。

 生きてエイジの元へと戻って約束を果たす。


 ……その為に。


「はあああああああああああああああああああああああああッ!」


 目の前に跳び出してきた人間に向けて風の槍を作りだし、突き刺し殺して駆け抜ける。

 目指すべきはエイジを刺した相手。


 この戦場の最深部。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る