28 日常の裏側 上

「……は?」


 何一つ状況が理解できなかった。

 聞こえてきたのはエルの微かなうめき声。

 そして視界に捉えたのは、ただでさえ酷かったエルに新たに生まれた傷。流れでる血液。

 それだけで。その現実を認識しただけで、頭より先に体が動き出した。

 まともに動く力など無かった筈なのに。それでもその体を動かさせる程に、怒りの感情が土御門陽介へと向いていた。

 分かったのは自分の中のそういう感情位。

 気が付いた時には俺は誠一の兄貴に殴りかかっていた。

 きっともう力なんてのが殆ど籠っていないその一撃。それは躱される事もなく防がれる事もなく、そのまま誠一の兄貴の顔面に叩き込まれた。

 勢いよくとは言わない。そんな力など込められていない。それでも誠一の兄貴は地面に転がり、俺の体は自然と誠一の兄貴を追撃する為に動いていた。

 少しだけ頭が回りだして、力の代わりに言葉を拳に乗せて。


「なにしやがんだてめえェェェェェェェェェッ!」


 そう叫んで跳びかかろうとした所を誰かに背後から羽交い絞めされて止められる。


「落着け瀬戸君!」


 羽交い絞めにしてきたのは神崎さんだ。少なくとも消耗しきった今の俺では振り解けない程の強い力でこちらの動きを阻んできている。

 だけどそんな事は知るか。


「うるせえ離せよ! ソイツはエルを!」


 エルを撃ったんだ。

 それが天野宗也のやった事ならまだ少しは受け入れられたかもしれない。

 だけど誠一の兄貴がそれをやればもう裏切りみたいなものだろう。


「だから少し落ち着けって言ってるだろ! 自分の手の甲を見てみろ! その手にあるのは何だ! その子はまだ生きているだろ! 今自分が何をすべきか考えてくれ!」


「……ッ!」


 その言葉で。そして右手の甲に刻まれた刻印を見て少しだけ冷静になれた。

 やるべき事に再び意識を持っていく事はできた。


「すんません……エルを治さないと」


 俺がその言葉を呟いた瞬間、羽交い締めが弱くなった様に思えた。俺は神崎さんの手を振り切りエルの前へ再び屈みこみ、回復術を発動させる。


「……ッ」


 そして一度そうして冷静になれば、怒りの感情はあるにしても色々と察することができた。

 ……別に誠一の兄貴はエルを殺そうとしたわけでは無いのだろう。

 だとすれば天野を止める必要も無かったから。

 だとすれば抵抗できないエルがこうしてまだ生きている筈が無いから。

 ……つまりこれが助ける手段なのか?

 ……こんなものが助ける手段なのか?


「おい土御門。これはどういう事だ。お前はその精霊を助けるつもりだったんじゃないのか?」


 天野が俺達の元へとやって来て、倒れている誠一の兄貴に問う。

 そして誠一の兄貴は顔面を押さえながらゆっくりと体を起こしてゆっくりと立ち上がりながら、天野の問いに。俺の疑問に言葉を返す。


「……そのつもりだ。まあまったくそうは見えねえだろうよ。俺だって端から見たらそうは思わねえ。事前に説明受けてても止めるかもしれねえ……だが今のが俺が今唯一手にしている打開の策だ。殴られても仕方がねえ代物ではあったが」


「今の銃弾か」


「ご明察。その通りだ。あの銃弾は精霊の暴走を抑える為に作られた代物だ。つまりはエルを元に戻す為の手段になり得る」


 どういう原理なのかは今の俺には察しも付かない。

 だけどエルの暴走を止める為の手段があの銃弾を打ち込む事なら、それはまさにその通りの効力を示すのだろう。

 でも、そういう風に暴走を止める為の何かを作る技術があるのなら。


「……なんでこんな物騒な物なんだよ」


 なんでそんな希望が殺傷能力を秘めている。


「薬とか……色々やり様があるだろ。寧ろ直感的に考えればそっちの方が簡単だろ。なのになんでこんな酷い方法なんだ。なんで銃弾なんだよ! なんでエルがまた痛い思いをしなくちゃならないんだよ!」


 その問いに返ってくる答えは至極真っ当な答えだ。

 誠一の兄はこちらに再び歩み寄りながら答える。


「言っただろ。今のは本来暴走する精霊に対して使う代物だ。戦場で運用する事が前提の代物なんだよ。だとすればそれこそ飲み薬や注射での投薬なんて悠長な真似はしてられねえ。もしもエルに使う事前提で作ってたら飲み薬とか注射とか、そういうので済ませられるようにする」


 そんな至極真っ当な答え。それは良く理解できた。

 確かに暴走している精霊相手にそういう飲み薬だとかを投与できる程の余裕は現実的に考えてないだろう。だからそれが銃弾である事はある意味必然だったのだろう。

 だけどその先の言葉は。脳が理解を拒んだ。


「だから今までだってそうしてきた」


 ……今まで。


「おい、ちょっと待て……今までってどういう事だよ」


 その言葉は受け入れがたい。


「それじゃあまるでエルが今までそういう治療を受けてきたみたいじゃねえかよ!」


 もうエルはとっくの前に危険な状態で。

 もう薬のおかげで平静を保っていられただけで。

 俺をずっと支えてくれたエルが、本当はもうずっとどうしようもない事になっていた。

 まるで、そう告げられているみたいだった。

 そして俺の言葉に誠一の兄貴は答える。


「そうだな。お前の言う通りだよ」


「……ッ!?」


「エルはもう半月前の段階で限界が来ていた。今日までエルの自我が残っていたのは全部薬のおかげだよ」


 聞きたくなかったそんな言葉を。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る