4 説得
「私は一旦仕事の方に行きますが……一人で大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。消えてたのは精霊関連の記憶だけですから」
エルドさんに連れられて行ったパスタの店を出た俺達は、そんな会話を交わしていた。
はっきり言って店の味は、おいしかったという漠然とした感想以外は覚えていない。
その代わりに色々と詰め込んだ。これからの行動の為に聞きだした。
「そうですか。ではまた夜に」
そう言ってエルドさんは、これからあの青髪の精霊を捕縛する為の、仲間との作戦会議へと繰り出して行った。
対する俺は、怪我の療養や帰るべき場所が少し遠くにあるからもう少しエルドさんに厄介になるという体で、今日の仕事が終わるまで自由に行動するという事になっている。
だけど帰るべき場所が遠いという事以外は嘘だ。
療養の事も。そもそも暫く厄介になる気すらも無い。
そうする気が無い俺は、食事中の会話で嘘を吐き続けた。
吐き続けた結果、確かに道標が出来あがった。
北西に二十キロ。
そこが俺の目的地であり……そして、夕方にエルドさん達が向かう目的地でもある。
「……よし」
俺はゆっくりとウォーミングアップをする様に走り始める。
怪我がまだ完治していないし陸上部な訳でもないが、体力には自信があった。
ハーフマラソン。二十キロ位なら辛うじて走れるかもしれない。
というか走らないといけない。手段はこれしかないのだから。
そしてせめて街の中位は、止まらず走り抜けないといけない。
ドール化された精霊が何度も視界に入って立ち止まりそうになるが…彼女達が助けるべき存在である事は分かっていても、助け方が分からないのだから。
それでも普段の俺なら見境なく飛びこんでいたかもしれないけれど、今回ばかりはそれは無理だ。
今、助けなければいけないと思う奴が居て、その助け方はできるかどうかはともかく大雑把には理解している。
必ずある筈だがその助け方を知らない誰かを助けることに固執して、助けられる奴を見捨てるのは流石に間違っていると思う。
だから助けるけれど後回しだ……心は痛むけど。
だからまずは……あの、青髪の精霊を助ける。
俺が何もしなければあの精霊は多分捕まってドール化される。
俺を半殺しにする様な力を持つあの精霊がそう簡単に捕まるものかとも思ったが、精霊術を使えるのはあの精霊だけでは無いし、そう簡単に捕まるからこそこんな歪な世界が構築されているのだろう。
だからそうならない為に……行動する。
俺を半殺しにした精霊を助ける為に行動する。
「……」
……そう考えると今の自分の行動が、いつも以上に歪んでしまっているのだと、改めて自覚した。
いくらそれが正しい事だと思っても。
助けられるなら助けた方がいいと思えても。
事情があるとはいえ自分を半殺した相手を助ける為に、こんなに必死になってるのは無茶苦茶にも程があるんじゃないか?
そう考え始めると少しだけ、走るペースがゆるくなった。
多分今まで無茶苦茶な人助けをしてきて、初めての躊躇なんだと思う。
それだけ今回のケースは状況も、俺との関係性も異常だった。
「……ッ」
それでも足が止まることは無かった。ゆっくりとでも、確かに前へと進んでいる。
一体この原動力がどこから来るのか、俺本人でもまるで分からない。
分からないまま俺は助けることが正しいと思っている、自分を半殺しにした相手の元へと急いだ。
やがて街を出た俺はマラソンのペースを極力意地して北西の方向にただただ走り続ける。
止まっている時間は無かった。
ほぼ同じ距離であるハーフマラソンの平均タイムが二時間掛からない位だと、前に誰かが言っていた気がするけども……間違いなく今の俺じゃそんなペースでは走れない。
然るべきトレーニングはしていないし、こっちは怪我人だ。
そんな悪条件の中では下手をすれば時間を掛けたって到達できない可能性だってある。
途中で死にそうなくらいの疲労感と怪我の痛みが襲ってくるが、それでも足は止まらない。
止まってくれない。
途中で通り雨に出くわしても、強い雨が無くなり掛けていた体力を奪いに来ても、それでも止まらなかった。
……なんだって俺はこんなに頑張ってんだ。
いつもの人助けでも納得できないのに……半殺しにして来た相手だぞ。それを、俺はどうしてこんなに必死になっているんだ。
その答えはやはり出てこない。
普段の人助けですら答えが出ないのだから、当然といえば当然だ。
そうしてその問いの答えが出ないまま、俺は辿りつく。
「……着いた」
膝の上に手を突きながら、正面を見据える。
森。一面の森の入口。
この中の何処かに、あの青髪の精霊が居る。
何処かに……つまりまだ歩かなきゃいけない。走らなければいけない。
それは億劫だった。
もう此処で立ち止まっていたかった。
だけど俺は森へと踏み入る。
そうする自分は、本当に馬鹿だと思った。
だけどそれ以上の悪態は出てこない。
どういう訳かこの行為を否定する気にはなれなかった。
そんな複雑な気持ちで、俺は青髪の精霊の探索を開始する。
まずはとにかく、比較的歩きやすい道を選んで森の奥へと進んでいった。
足場の悪い森を歩くのは、平地を歩くよりもキツい。
二十キロのハーフマラソンを終えた今の俺には拷問の様な所業だ。
それでも真っすぐ進んで行った先で……あっさりと彼女は見つかった。
否、見付けられたのはこちらだったのかもしれない。
視界に青髪の精霊が映る直前に、何かが頬を掠めた。
それがなんなのかは分からないが、何かしらの攻撃だった事ははっきりと分かる。
そうして次の瞬間には俺の視界にそれを放った張本人……こちらを待ちかまえる様に掌をこちらに向ける、怯えた女の子がそこにいた。
「また……あなたですか……ッ」
うんざりした様に、青髪の精霊はそう口にする。
きっと俺の言葉なんて何一つ信用されないのだろう。
だけどそれが分かっていたって、俺にやれることなんてたかがしれている。
「一つ、お前に言っておくことがある」
「……ッ」
警戒してこちらの言葉なんて信じるかとでも言わんばかりの視線を向けて来る彼女に、俺は言ってやる。
「今すぐ此処から逃げろ。一体それが何人かは分からねえけど、お前を捕まえる為に街の人間が動きだしてる。夕方頃って言ってたから、多分もうすぐ来るぞ」
この森に到達するまでに随分と時間を費やした。既に日は暮れ始めていて、早く逃げなければ手遅れになる。
だけど、届かない。
「あなたもその一人なんじゃないですか?」
俺の言葉は、届きやしない。
「私をテリトリーから出してして弱体化させて、それで捕まえる気なんでしょう? 知ってますよ、そんな事は」
そのテリトリーという単語は、エルドさんとの会話にも出てこなかったものだ。
だけど言葉からある程度察することができる。
出れば弱体化というならば、つまりそこにいれば強さを保てる様な場所。
それが多分テリトリーだ。
……つまり此処から逃げれば、鉢合わせた時に満足に戦う事が出来なくなってしまう。
でも、だけども此処に居たら駄目だ。多分エルドさん達はテリトリー内で戦う事を想定している。
その為の視察。
つまり弱体化しようがしまいが、多分この精霊はエルドさん達に勝てない。逃げなければ確実に捕えられる。
「此処に居ても、捕まるぞ。だから此処から――」
「前にも言いましたよね。信じられませんよ、人間なんて」
そういう類の返答が返ってくる事は分かってた。必死に走っている時から分かってたんだ。
多分ここから先も、俺が何を言おうと突っぱねられる。その内勝手に地雷原に踏み込んで、前回と同じ様な事になる。
「……分かったよ。お前がどう思おうとお前の勝手だ。大人しく消えてやるよ」
だから俺は説得を諦めた。
これ以上踏み込んで地雷を踏んで、死にかける様な真似はもうできない。
今は絶対にできない。
だから大人しくこの場を去る事にした。
でも立ち去る前に、二つほどやっておきたい事があった。
一つは謝罪だ。
あの時、悪い事を言った事に対する謝罪。
だけどこれは取り止めた。
知らないで済まされる事ではない事を言った。その事の謝罪だ。
ただ上っ面だけで謝っても機嫌を損ねそうだし、何も知らなかったという事情に踏み込んで話せば多分前回の二の舞になる。
だから……取り止めた。
だけどもう一つ。こっちだけは言った方が良い。
というより言いたい。
確かに目の前の女の子に抱いているのは、どちらかといえば悪い印象だ。例えその裏側を知っていても、半殺しにされたという一件はそれほどまでに大きい。
だけど抱いたのが悪い印象だけだなんてのは、間違いだって言える。
そのほんの僅かな好印象に、礼を言いたかった。
俺は彼女に背を向け、一歩踏み出す。
そうしながら彼女に最後の言葉を向ける。
「なあ、最後に一つ、いいか?」
「……」
返事は無い。だけどそんな事は別にどうだっていい。
礼は別に、相手の反応を得る為にする物じゃない。
「あの時も今回も、クズな人間に生きる猶予をくれてありがとう」
はっきり言って人間は精霊にとって害しか齎さない存在だ。
あの時も今回も。発見した時点で殺されていたっておかしく無かった。今回のアレも、威嚇射撃の様な物だったのだろう。
そうやって殺さずに間をおけば、それが原因で窮地に陥る可能性もあるだろうに……それなのに目の前の女の子は、俺なんかを生かそうとしてくれたんだ。
……それがいい印象でない訳が無い。
例えその好印象を半殺しという悪印象が塗りつぶしても、礼は言わなければならない。
そうして俺はその場を後にする。
結局返答は返ってこなかった。
それが少し寂しく思いながらも、俺はゆっくりと森を歩く。
そしてその途中でその足を止めた。
別に何かと鉢合わせた訳でもない。俺は誰かと鉢合う為に、此処に立ち止まった。
「……何やってんだろうな、俺」
これだけ相手にされなくて、悪印象を抱かれて。
俺も差引すると悪印象を抱えている状況で、それでもまだあの子を見捨てることはできなかった。
何度考えても答えは出てこないけれど、俺のこの原動力は一帯どこから沸いてくる?
それは分からないし、果たして此処に立っている事があの子を助ける事に繋がるのかも分からない。
此処を、エルドさん達が通るかどうかも分からない。
だけど運よく通ってくれれば、もう一つの計画を実行する。
あの精霊を説得できないのであれば、エルドさん達を説得する。
それが容易でない事は分かっていた。
そこを通るか分からない以上、立ち位置を決めるのは正解が一つで選択肢が大量なあみだクジを引く様な物で、それで正解を手繰り寄せたとしても、そこで待っているのは、根付いている常識そのものが根本的に違っている、説得難易度があまりにも高すぎる人達への説得。
しかも俺自身、そういう説得とかは未経験。
どう考えたって容易じゃない。
そして相変わらず、その答えが出る前に状況だけが進展する。
「……ッ」
正面の視界に確かに映った。
「エルドさん……ッ」
俺を助けてくれた命の恩人と、その取り巻き三人。そして……エルドさん達に連れられたドール化された精霊が四人。
「エイジ君……どうして此処に」
エルドさんは困惑する様な表情を浮かべる。もしかすると俺の話を聞いているのかもしれない、取り巻きの四人も同じ反応だった。
当然だ。怪我人が二十キロも離れた森。しかもその怪我の原因を作った所に居るとは、誰も思わないよな。
でも……俺は此処にいる。
「あなた達を止める為ですよ、エルドさん」
どこかで返そうと思った恩を仇で返す様に……俺はエルドさん達をしっかりと見据えてそう返答した。
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