37.弊履の族

「がァァァッ!」

 空気を震わす程の叫びを上げたのは、哭士ではなく恒河沙の方だった。

 鎖を持っていた恒河沙の右手に、「ヒビ」が入っていた。

「……勿論、知っているだろう? 金属は電気も通す。……熱も、な」

 哭士の左腕に絡んだ鎖は、当然仕掛けた恒河沙の右手に繋がっている。哭士は、恒河沙が自分に攻撃する事に気を取られている間に、鎖を通じてじわじわと恒河沙の右手の熱量を奪っていた。

 熱量を奪われた恒河沙の腕は、水分が凝固して、すなわち「凍った」状態になる。凍った事で痛覚が無くなり、自分の右手の変化に気が付かなかったようだ。自らが放った電撃の強さに、右手に損傷を与えてしまったのだ。



 恒河沙は自らの右手を押さえながら咆哮を上げた。

 哭士は右足を大きく踏み出し、裏拳で恒河沙の右腕を狙う。凍った右腕を左腕で咄嗟にガードし、体を捻って避ける恒河沙。少し掠った衝撃で、指先が脆く崩れている。

「あと、何秒だ。次の電撃は」

 鎖を外しながら哭士が言い放った言葉に、明らかに狼狽の色を見せる恒河沙。

「お前の能力は連発出来ないようだな、次に力を溜めるまで……あと少し時間がある」

 哭士は見抜いていた。一回電撃を放った後、十数秒の間隔を置いてから次の電撃を放っている事に。

一回の力を溜める時間は、秒数としては、およそ三十秒。


 完全に受け手に回っていた哭士から、思いもよらぬ指摘を返され、一瞬恒河沙の表情が険しくなる。だが、その表情もつかの間、顔には邪悪な笑みが宿った。

「そうだよなぁ? やっぱこうじゃなきゃ、楽しくねぇよなぁ?」

 とがった犬歯を剥き出し、大きく開いた口で高笑いを上げる恒河沙。

 恒河沙の右腕にダメージを与えた事で、三度目の電撃を避けることが出来た哭士。体に残っていた痺れも少しずつ抜け、動く事は問題なさそうだった。恒河沙の攻撃に備え身構える。

「普段なら、弱らして嬲り殺すんだがな、こうまでされちゃあ、俺のプライドに関わる。……全力でぶっ潰す!」




 瞬間、飛び上がった恒河沙が哭士の目の前に現れ、蹴りを繰り出してきた。

 速い。哭士は体を折り曲げ、恒河沙の足をかろうじてかわす。だが、その避けた哭士の首を恒河沙が捕らえ、床に叩きつけた。先程の恒河沙の動きとは明らかに違う。激しい振動が部屋に響き渡る。

 口の中が切れたようだ、鉄の味が口内に広がる。やはり、恒河沙は電撃を放ってこない。

 恒河沙の見た目は先程と変わらない。だが哭士の視力をもってしても、今の恒河沙の動きを捉えるのは難しくなっている。

 思わず哭士は、恒河沙を凝視する。

「なんで急に動けるようになった……? そんな顔してるぜ、早池峰」

 恒河沙が繰り出す拳を、手の平でうけとめた。重い衝撃が手の平に返ってくる。突然強さを増したこの拳はまともに食らうと、二度の電撃でボロボロになっている身にこたえる。戦闘は長引くと不利だ。

 哭士は素早く身を屈め、恒河沙の脇に回り、顔面を狙う。

 目の前から突然消えた哭士を、恒河沙の双眸が素早く探る。目の前に迫っていた哭士の拳に気づき、恒河沙は慌てた様子で顔を引く。鼻先をかすめ、当たらない。寸でのところで避けられてしまった。

 だが、俊敏に脇に移動した哭士の動きを捉えていたわけでは無いようだ。

 哭士に向かって攻撃を放つ恒河沙の体から、一瞬、火花が飛び散る。

「お前」

 恒河沙の動きと動きの間に、不自然な動作が目立つ。そこで、哭士は一つの憶測に辿り着く。

 恒河沙は何らかの力で強制的に限界以上の力を発揮させているのではないか、と。

「……気づいたみたいだな。確かに、俺の能力は最大出力なら数十秒、力を溜めなきゃなんねぇ。だが、さほど大きくない電圧であれば連発は可能だ。筋肉に電流を与えりゃ、強制的に力を引き出せる」

 人間の筋肉は、脳からの弱い電気信号で動いている。限界以上の力を出さないようにセーブされながら、である。恒河沙はその脳からの電気信号以上の強い電流を自らの筋肉に流し、限界を突破した力を引き出していたのだ。



 だが、電圧による負荷をかけ続ければ、その体もただでは済まないだろう。現に恒河沙の額から脂汗が流れ落ちている。いくら強靭な身体を持つ狗鬼であれど、身体に負荷をかけ続ければ、それなりのダメージを受ける。

「……体がもたないぞ」

「百も承知だぜ、だが早池峰の血筋に勝てりゃ、俺の体はどうなったって構わねぇ!」

 恒河沙が吠える。恒河沙の虹彩が真っ赤に染まっている。本気だ。

 瞬間、哭士の体に大きな衝撃が襲いかかる。

 建物全体が揺れたのではないかと思うほどの大きな轟音を立て、哭士は壁に弾き飛ばされた。勢いで木と漆喰の壁を突き破る。パラパラと崩れ落ちる木屑と埃。思わず哭士が噎せ返る。

 間髪をいれず、立ち込める砂埃の間を恒河沙が割り込んで追撃を仕掛ける。氷の壁でガードをするも、砂埃で不純物が増している氷は、増大している恒河沙の筋力に、脆くも打ち砕かれた。





「……恒河沙って名、妙な名だろ? 恒河沙ってのは、ただの役回りの名前さ。本家にこき使われる狗鬼は、弊履へいりの族って言われてんだ」

 弊履とは、『不要な物』の意味である。恒河沙の様に、本家の狗鬼としてではなく、本家の下で使われている狗鬼達は、あまり良い待遇をされていないらしい。

「弊履の奴らは、数を表す名前で呼ばれる……。恒河沙って名は俺のもんじゃねぇ。ただの『区別』の『記号』なんだよ! 人間とも狗鬼とも認められない、本家に死ぬまで飼われる哀れな狗だ! 俺はそんなの御免だね! こんなんで人生終わらせて堪るかってんだ! てめぇみたいな血統だけでのさばってる野郎共をぶち殺して、俺がのし上がってやる!」

 恒河沙の拳に一層力が強まる。腹部に突き入れられた恒河沙の攻撃は、哭士の強靭な肉体にもダメージを強く残す。内臓のどこかが負傷したらしい、更に濃くなる鉄の味に、吐き出した唾はやはり赤かった。





 振り下ろされる恒河沙の手を横に避け、その瞬間に下から腹部を蹴り上げた。

 どこにそのような体力が残っていたのかと、思わぬ強さの反撃に、恒河沙は目を見開く。

 飛びずさった恒河沙。哭士は距離を詰める事は無く、その場に起き上がった。

「血統など……こんな血、誰が望んで欲するものか」

 独り言のように呟く哭士。

「何?」

 気が一瞬それた恒河沙。天井がミシリと音を立てる。

 恒河沙の足が止まったその一瞬だった。

 バキバキと激しい音を立て、部屋の天井の太い梁が恒河沙に向けて落下してきた。

 恒河沙が哭士の攻撃に気を取られている間に、哭士は自身の能力で梁の端々を侵食し、落下させたのだ。

「こんなちゃちなモンで俺に攻撃を仕掛けようとして……」

 恒河沙の表情が一瞬にして引きつる。

 足が氷によって床に固定されていた。剥がす事など狗鬼の力であれば造作ない。だが、落下している梁が接近している今、一瞬のこの動作が命取りになる。

「畜生がぁぁ!!」

 激しい轟音と、恒河沙の叫びが同時に部屋の中に響き渡った。



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