25.強敵去りて

 莉子を見失った哭士は塀から降り立ち、元の場所に戻ると、未だに地面に臥しているユーリの前に菊塵が立ち、見下ろしていた。ユーリの意識が戻ったらしい。

「おい、立てるか?」

「はは……、ちょい、無理かな。体、バッキバッキみてぇ」

 体の自由が利かないユーリは、戦闘意欲を無くし、菊塵の質問にも素直に受け答えしている。

ようやく、お前の正体が分かったよ。狗鬼なら必ず、どこかの家柄に属しているはずだからな」

 そう言いながら、菊塵はユーリの目の前にしゃがみこんだ。

「んじゃ、答えを聞こうか」




「さっき、莉子はお前の事を、『朱崎』と呼んでいた。お前のもう一つの名前は『朱崎すざき りゅう』。現存する朱崎一族の中で唯一の狗鬼。まさか、その朱崎家の狗鬼が混血児ハーフだとは知らなかったが」

「……正解。朱崎の家からは狗鬼も籠女も生まれなくなって、もうダメだ、なんて言われてっし、日本名はあんま使わないようにしてたんだけどなぁ」

 諦めたようにユーリは笑って、菊塵に答えた。




「妹は……可哀想な事だったな」

「……あぁ」

 ユーリの目に、憂いの表情が浮かんだ。

「ま、これで俺はあの男、結城に従う理由は無くなったわけだ。結城は、どうしてる?」

 アービュータスの社長の行方については、哭士も知らなかった。

「こちらで捕らえた後は、別の場所で尋問を受けているよ。保守派の一員だからな。出せる情報は全部引き出すつもりだ」

「……そっか」

 フ、と笑うユーリ。




「ところでさ、何で、本家の狗鬼がお前の事知ってんの? しかも兄様って」

 視線だけを動かし、菊塵にユーリが問いかける。

「あぁ、彼女は僕の『元』同僚」

「本家の人間と働いてたのかよ」

 菊塵は、いや、と小さく返答する。

「莉子は、元は本家の人間じゃない。才能を買われ、本家の養子になったんだ。無名の狗鬼の家から、あれだけの力を持つ子が生まれるのは中々いない。所でお前……」

 菊塵が再度口を開きかけた、その時だった。




「ここにいたんだ! 探したよ!」

 桐生だ。走ってきたのだろう。息が切れている。

「マキさんから連絡が入ったもので……。修造さんの手当てをしてきました」

「じじいは、どうなんだ?」

 莉子の服に付いていた返り血は大量ではなかったものの、安否を確認したわけではない。哭士が桐生に問い質す。

「修造さんは肩から出血をして、廊下に倒れていてね。マキさんが適切に止血をしてくれたお陰で命に別状はないよ。ただ、肩の肉が抉られていてね、年齢も年齢だし、僕の診療所に運んで、処置を済ませてきたよ」

「……そうですか」

 えも言われぬ表情を浮かべ、菊塵が頷いた。






「ところで、そこに横になっているのは、狗鬼なのかな?」

 桐生が目敏く、庭に倒れているユーリを見つける。ひょい、と菊塵の背後を覗き見た。

「あぁ、朱崎家の狗鬼です。本家の狗鬼と戦って、負傷しています」

「そっかそっか」

 桐生は白衣の袖をまくりながらユーリに近づいていく。

「わぁ、大分やられたね、君。ちょっと、失礼」

「ちょっと……お前一体何なん……いーででででで!」

 腕をひょいと持ち上げられたユーリが絶叫する。

「ホラホラ、狗鬼は体が丈夫なんだから、大丈夫、大丈夫〜」

 心から絶叫しているユーリに対し、桐生は非常に楽しそうだ。

「わ、流石、本家の狗鬼はすごいなぁ。どこもかしこもボロボロだね。あーあ、ここも大分酷いかもなあ。狗鬼の体をここまで出来るなんて、相当だよ」

 ユーリが怪我で反撃できないのを良いことに、あちこち体を捻(ひね)り回す桐生。




「あーだだだだ! ちょっ……! ちょっと! お前! 見てないで助けろ!」

 完璧に傍観者に回っている哭士に助けを求めるユーリ。

「無理だ」

 桐生にここまで火が付くと、止められないのを哭士は知っている。自分に矛先が行かないように、余計な口出しはしない方が良いと哭士は判断した。

「てめっ……だああああ!」

 恨めしげに哭士を睨んだのもつかの間、急に桐生に仰向けにされ、更に絶叫するユーリ。




「ま、こいつは桐生さんに任せておこう。しかし……彼女から目を離したのは不覚だった。まさかこんなにも早く、本家が色把を取り戻しに来るとは……」

 色把が攫われた事を悔やむ菊塵。

「……俺が本家から取り返して来れば良いのだろう」

 哭士の言葉を聞き、菊塵が目を丸くする。

「意外だな、お前が自ら本家に行くなんて言うとは思わなかった」

「……別に。本家のやり方が気にくわないだけだ」

「はは、そっかそっか」

 菊塵はいつもの表情に笑みを浮かべ、庭から縁側へと歩みを進めた。

「祖父(じじ)様(さま)は、桐生さんの診療所だったな。僕は様子を見てくる」

 菊塵は振り返り哭士にそう言い残すと、屋敷内に消えた。





「いっ……てぇぇぇ!」

 未だに、庭内ではユーリの絶叫が響き渡っている。必死に桐生から逃れようとしているユーリに対し、ひたすら楽しそうな桐生。ほんの少しだけ不憫に思った哭士は桐生の隣に立った。

「こいつも診療所に運んだらどうなんだ?」

 哭士の声に、顔を上げる桐生。

「あぁ、ちょっと難しいみたい。どこもボロッボロでね、診療所に運ぶ為に動かすと、余計に悪化するよこれ」

「てめぇ……! 散々俺の体を弄くりまくってそれかよ!」

 いわずもがな、哭士も同意見だった。

「怪我の現状を把握する為には必要でしたよー。ま、多少はどこか筋が変になっちゃったかもしれないけど、気にしない気にしない。少しなら大丈夫ー」

「……」

 悪びれも無く言い張る桐生の言葉に、唖然とするユーリの表情。無理も無い。

「君、籠女は居ないの? この怪我じゃ、僕の診療所まで連れて行けない。契約をした籠女に簡単な治癒だけして貰えば、こちらで何とかなるんだけど。確か、朱崎家だったよね、君……朱崎家の籠女は……っと」

 そう言って、手帳を取り出してユーリの籠女を調べようとしているらしい桐生。

「ちょっ……俺の籠女だけは呼ぶな! むしろ悪化してもいいから病院連れてってくれよ! マジで! うあっ! イテテ……」

 自身の籠女を呼ばれるのが相当嫌らしい。思わず身を起こしてしまい、苦痛に顔を歪めるユーリ。

「ダメダメ、どっちにしろ君は籠女の血で、仮の治癒をしなきゃ動かせないの。そのくらい酷い怪我なんだから」

 ユーリの意見などは聞くつもりは無いらしい。




「……ふぅーん。ナルホドね。大分面白いねぇ、君。今、連絡取ってくるから待っててねぇ」

「なぁ! シカトか!? 俺の意見完全無視か! 待て! 待てって!」

 ユーリの籠女を突き止めたのか、にっこりと笑む桐生。哭士には何の事か分からず、黙ってその様子を見ていた。桐生はくるりと向きを変え、屋敷の電話を利用しに戻っていった。

 桐生を引きとめようとして持ち上げていたユーリの手が空しく宙を掻いていた。




 遠くから、ドタドタと重い足音が近づいてくる。

「哭士さん!」

 足音の主はマキだった。普段の血色の良い顔とは大きく違い、青ざめた顔で哭士を呼び止めた。

「旦那様が、お呼びです」

 いつになく真剣な面差しのマキに、哭士は頷き、マキの後に続いた。



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