24.本家の使者

 ふと哭士が、こちらに近づいてくる気配を感じ取った。

「そこまで!」

 女の高い声がその場に響き渡る。同時に、その場に居た狗鬼三人の身体の自由が突如として奪われた。

「……何……だ!」

 体が重い。地面に引きずられるように、哭士、菊塵、ユーリは地面に手を付いた。

 色把は、何も影響を受けていないらしく、目を丸くしおののいていた。近くにいる菊塵に手を伸ばそうとした、その瞬間だった。



 大きな影が色把を遮り、庭の中心に色把を連れ出した。

 重い体を必死に持ち上げると、一人の若い男が、色把を羽交い絞めにしていた。男は派手な赤い髪を短く刈り込み、両耳、鼻、唇には大きなピアスが付いている。色把が身じろぎするたび、男の腰から下げられている金属のアクセサリーがジャラジャラと音を立てる。哭士たちを殺気立った目で睨んでいる男の脇には、ほっそりとした小柄な少女、白いパーカーを羽織っていた。猫を思わせる顔立ちに、髪は顔の横くらいまで切りそろえられている。

 少女は、三人の伏せている狗鬼達を見下ろす。先程の声の主はこの少女のようだ。哭士には覚えの無い人物だった。

「色把……!」

 羽交い絞めにされている色把を見、思わず哭士は彼女の名を呼んだ。だが、色把は怯えた目をして哭士を見つめているのみだった。ピアスの男は哭士を見、挑発的に色把の頬の横に、顔を近づけた。

 その様子に、哭士の心中がざわめく。だが、体は依然として鉛にでもなってしまったかのように動かない。




「喧嘩はここでお仕舞い。さぁ、大人しく話を聞きなさい」

 少女の声、言葉に、菊塵は驚いた表情を見せる。

莉子りこ……!」

 菊塵は少女を知っているようだった。菊塵も状況は哭士と同じらしく、必死に重い身体を支えている。

「お久しぶりね、菊兄様きくにいさま

 莉子と呼ばれた少女はにこやかに、菊塵に笑顔を向けた。

「早池峰哭士、貴方とは初めてだったわね。私は黒古志くろこし 莉子りこ、本家当主を守る狗鬼。今、貴方達の体には、体重の十数倍の負荷をかけているわ。下手に動かない事ね」

 この少女は、物の質量を自在に操るらしい。哭士、菊塵、ユーリの三人は重力に負けぬよう、食いしばるのが精一杯であった。



「待てよ! なんで本家の奴がここに来るんだよ!」

 叫ぶユーリに、莉子は一瞥(いちべつ)を返す。

「一介の狗鬼が口出しをしないで。私は本家、当主様の命令を受けてここに来ているの。アンタが時間を稼いでいる間に、籠女の少女を手に入れるように……ってね」

 左手で胸の出血を押さえているユーリを見下ろす莉子。

「アンタは、籠女の少女を手に入れ、あわよくばアービュータスの社長、結城ゆうき 啓二けいじを取り返そうと思っているのでしょう? 人質に囚われていた、妹の為に?」

 フン、と鼻で笑う莉子。ピクリと、ユーリが反応する。




「当主様から聞いているわ、ユーリ・ヴァルナー。哀れなアンタに一つ教えてあげる」

 ユーリの前に立ちはだかる莉子。ユーリは絶え間なく襲い掛かる重力に耐え、莉子に視線を上げた。莉子はよこしまな笑みをたたえ、ゆっくりと、大きく口を開いた。

「アンタの妹はもうとっくの昔に死んでるの。比良野の籠女を無事に連れ去れば、人質に取られていた妹を解放して貰えるんだったわよね。焦ったでしょう。社長の結城もろとも、籠女がコイツ等に攫われてしまったんだからね」

 淡々と話す莉子に、わなわなとユーリの肩が震える。

「救うべき妹はこの世に居ないのだから、アンタが比良野の籠女を連れ去る必要は無いの。籠女はこちらで戴いて行く。アンタは用済みよ」

 莉子の言葉に、ユーリは咆え声を上げる。ユーリの声が、屋敷内の空気を切り裂く。

「デタラメを……言うなァッ!」

 負傷しているのにも関わらず、ユーリは力を振り絞り莉子の前に飛び出した。

「下流の血の狗鬼が、私に勝てるとでも思っているの!」

 ユーリを見つめている莉子が目を見開く。

「止せ!」

 菊塵が叫ぶが、遅かった。




 ユーリの口から短い息が吐き出される。身体を庇(かば)う余裕も無く、そのまま胸から地面に墜落した。細い身体が落下したとは思えない、ズン、という音が響き渡り、地面を重く揺るがす衝撃が、哭士の方にまで伝わってきた。

「身体……が」

 体を起き上がらせようとしているが、ユーリの身体は中々動かす事が出来ない様子だった。

「今、アンタの体の負荷を上げたわ。無理に動くと肺が潰れるわよ」

言い放つと、また更に莉子はユーリの負荷を増強させたらしい。ユーリは短く唸ると、そのまま気を失ったようだった。




 動かなくなったユーリから目を離し、菊塵、哭士に向き直った。その瞬間、哭士と菊塵にかけられていた負荷が解除された。身体が急に軽くなり、哭士は地面から跳ね起きた。

「さ、これで邪魔者は全部大人しくなった。ここのお爺様も、中々手ごわかったわ。お陰で服が汚れちゃった」

 そう言いながら、莉子は服に付いた返り血を手で払う。

「まさか貴様……! 祖父様を!」

 感情をあらわにする菊塵、目の色がみるみる変わってゆく。狗鬼は高揚すると瞳の色が赤く変わる。菊塵がこのような表情を見せるのは滅多に無い事だ。

「大丈夫よ、早池峰 修造は生きてるわ。比良野の籠女の居場所をなかなか吐かないから、つい、ね」

 今、少女の注意は菊塵に向いている。とにかく、色把をこちらに引き寄せておかなければならない。哭士は、身を屈め、臨戦態勢に入る。少女の背後の色把を奪取しようと莉子の背後の男に焦点を合わせた。




 哭士の動きに気づいた莉子が、一言叫んだ。

「動くな! 早池峰 哭士!」

「!!」

 哭士の身体がびくん、と大きく波打ち、息が詰まる。

 今まで受け続けてきた祖父の言葉のように、哭士の脳へ命令が直撃した。

「うっ……」

 身体が動かない、いや、動かせないのだ。




「お爺様を黙らせた時にね、私、こんなのも見つけちゃった」

 悪戯っぽい表情を浮かべた少女が前に差し出した右手、人差し指と中指の間に挟まれている小さな石。

「……そいつは……!」

「そうよ。菊兄様。これは狗石こうせき。狗鬼が生まれながらに持っていて、手にした者は その狗鬼を自在に操れる石。見ての通り、この狗石は早池峰 哭士のものよ、早池峰 修造の肩に埋め込まれていたの」

 薄笑いを浮かべ、指先で、狗石をもてあそぶ莉子。

「……」

 哭士は、莉子の指先から目が離せなかった。祖父の体内にあったという自分の石、目の前の少女の手の内にある。早く取り返さなくては、という本能的な衝動に駆られた。だが、身体がいうことをきかない。

「クソっ……」

 菊塵が舌打ちをした。菊塵が思うまでもなく、現在の状況は明らかに不利だ。

「凄いね。狗石って、自分以外のは初めて見たけど、こんなに効果があるものだとは知らなかった」

二人の様子を見て、ころころと笑う莉子。




「……返して貰うぞ!」

 楽しげな莉子に、菊塵が隙を突いて飛び掛った。それに気づいた莉子は、その様子に臆する事無く、石を掲げながら、哭士に言い放つ。

「早池峰 哭士、菊兄様を拘束して」

 莉子の言葉に体が反応してしまう。空中に飛び上がった菊塵の身体を、哭士は地面に叩き付けた。菊塵の周囲に激しく砂塵が舞う。そのまま菊塵の腕を後ろに回し、ねじり上げた。

「くっ……」

 痛みを噛みしめながら、菊塵が声を漏らす。

「てめぇ……」

 年端のいかない少女に、いいように操られている。自尊心が傷つけられた哭士は、ぶるぶると腕が震えている。必死に自分の行動を制御しようとしているが、抗う事は出来なかった。

「こいつに押さえられちゃ、どうしようもない、か……」

 菊塵は長年の経験から、哭士の力には敵わない事を知っている。諦観ていかん自嘲じちょうめいた笑いを浮かべ、菊塵は大人しくなった。

 色把は、哭士の様子を見、悲痛な表情を浮かべている。必死に、自分を捕らえている男の腕を外そうとしているが、男の腕は微動だにしない。




「べつに、これ以上どうこうしようという訳じゃないから安心して頂戴。大人しく話を聞いて欲しかっただけよ」

 組み合っている哭士と菊塵の前に立ちはだかる莉子。

「私は本家の主の命を受けて、籠女の少女の奪還だっかんと、本家の意向の伝言を目的に来た。早池峰 哭士、そのまま菊兄様を押さえていて」

 奥歯を噛みしめる哭士の本心とは裏腹に、身体はきつく菊塵の腕を締め上げる。

「まず、比良野家から色把が攫われたのはこの男、ユーリ・ヴァルナーが属する保守派の一部の人間の行動が発端ね。その後は貴方達革新派により、早池峰家への拉致。これはちょっと穏やかじゃない。だから、狗鬼、籠女を統べる本家の当主が、彼女を今後どうするべきかを取り決める事になったってワケ」

「本家の奴等……そう来たか……」

 菊塵は莉子の言い放つ言葉に、歯軋りをした。

「まずは当主の命令で、比良野家の籠女を本家で保護させて貰うことにした」

 後ろに控えている色把を見て、莉子は説明する。



「そして、早池峰 哭士。貴方も本家に来てもらう事になるわ」

「何だと」

 哭士の表情が強張る。数年前に、自分を放棄した本家の者たち。自分に罵声を浴びせ、手にかけようとした者達の言葉が今も焼き付いている。その本家が、今になって何故自分を要するというのだろう。

「本家の当主が数年前に変わったのはご存知? その当主は、貴方に興味を持っているわ。比良野の息女を連れてくると同時に、貴方も本家へ招待するように。そう言われてここに来たの」

 哭士の心境を読み解いたかのように、莉子は説明をした。

「本家の門をくぐれるのは限られた家の狗鬼のみ。曽根越そねごえや、そこにいる朱崎すざきの家では駄目。早池峰の姓氏せいしを背負っている貴方しか、本家に入る事は許されない」

「朱崎……?」

 ユーリを指して、莉子は朱崎と言い放った。菊塵は、その事に考えをめぐらせているようだ。

「先に、籠女は本家に連れて行くわ。明日、早池峰哭士は本家に来る事。これは本家当主の命令。分かった?」

 そう問われて、素直に答える哭士ではない。哭士は莉子を睨み付けた。

「って、従うわけないよねー。じゃ、交換条件。貴方が明日本家に来るまで、この狗石は預かっておくわ。返して欲しかったら来る事、じゃね!」

 莉子は後ろの男に目配せをすると、素早い動きで屋敷から去っていった。莉子が居なくなった瞬間に、哭士の身体は呪縛から解き放たれたように楽になった。

「野郎……!」

 哭士は莉子を追おうと、屋敷の塀の上まで追いかけたが、最早其処そこに莉子の姿は無かった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る