18.不要な狗

 色把が出て行った先を見送った。気配が遠ざかるのと同時に、大きく息を吐き出した。

 頭が締め付けられるように痛い。体の自由が失われ、全身を疲労にも似た倦怠感が包み込む。力が入らない。起こしていた上半身は支えきれずに、ばさりと布団へ倒れこんだ。

 身体が契約を拒むといつもこうなる。



――狗鬼の出来損ないめ



 かつて本家に住まう狗鬼の一族がやってきた時に、哭士に放った言葉がこれだった。契約を仕損じる度、哭士の脳裏にこの言葉が浮かんでくる。



 早池峰の家に生まれる狗鬼は、強大な力を持つ。それ故に、古来から続いてきた狗鬼達の中でも、早池峰の血を引く狗鬼は特別視されてきた。

 哭士が一度としてまみえる事の無かった実兄じっけい、早池峰友禅は、早池峰家の長男として、生まれてからすぐに狗鬼一族の本家へと引き移っていったそうだ。

 力が高い狗鬼と籠女は、本家へ集められ、幼少時代を過ごす。その中で、能力の高い狗鬼と籠女を引き合わせ、より良い血を残す。実兄も、早池峰家の『血』を残す器として、古から続く狗鬼の『しきたり』に巻き取られていったのだ。

 こうして、哭士と友禅との間には、形だけの『兄弟』という関係だけが残り、出会う機会も無く終わるはずであった。



 だが、五年前、その兄が行方不明になった事で、哭士の周囲は大きく変わった。

 早池峰の血をどうしても欲しいと、弟の哭士に白羽が立ったのだ。



 しかし、本家の者達は、哭士が籠女と契約を結ぶ事ができないと知るや否や、哭士に蔑んだまなざしを向け、口々に哭士を貶したのだ。

 歳が十二を過ぎた位の頃である。大人たちが放つ言葉。十七になった今でも、数々の言葉達が哭士の脳裏を蝕み続けている。

 そして、脳内で、ぐるぐると大人たちの暴言が回り、忘れる事のできない記憶が強制的に蘇ってくる。



――本当に狗鬼なのか


――早池峰家の家に生まれながら……


――出来損ないめが



 自分より大きな大人達が自分を見下す。

「うるせぇ……黙れ……」

 脳内の大人たちの声は止まない。思わず口に出すも、意味を成さずに哭士の内部をじわじわと蝕む。

 そして大人たちの言葉の中に、一際大きな言葉が響き渡る。




――契約が出来ぬ狗などいらぬ




 こちらを見つめている老婆。不要なものを見つめる目で、一言吐き捨てる。



――狗鬼の恥じさらしじゃ、絞め殺してしまえ





 上から伸びる様々な手、手、手……。

 幼い頃から見続けている悪夢は、こうして哭士の内部を侵し、一先ずの終焉しゅうえんを迎える。








――貴方を助けたいんです







 一瞬にして、大人たちの言葉が消え、心が凪いでいく。声を失った少女が口にした言葉だ。

 先ほどもそうであった。感じた事のなかった心地。飲み込まれそうな自分が急に恐ろしくなって、咄嗟に少女を拒んだ。

 目を覆っていた手を下すと不恰好な包帯が目に付く。拒まれても、それでも必死に自分へと関わり、救おうとする。今まで自分にこんな事をした人間などいなかった。

自分に安堵など、平穏など必要ない。求めてはいけない。望まなければ、失う事はない。

 いつしか、そう思うようになっていた。どうせあと僅かで消えてしまう命ならば、命が消える瞬間が分かっているのであれば、この世に未練を残したくは無かった。何も望まず、何も感じないまま、このつまらない人生に楽に終止符を打てる。

 そう、思ったまま、命が燃え尽きてしまえばよかった。なのに。





 それなのに





 自分の前に、あの、少女が現れてしまったのだ。



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