第31話 イネルス(3)
イネルスはもちろん、ラブラから聞いた通り、フレドたちが火口から、『皇帝』のテリトリーを通り、外に出ようとしていることを、天使族の上層部に報告している。
だが、どうやら、ここにいる冒涜者は、フレドたちが世界の外に逃げ出そうとしているということ自体は知っていても、その具体的方策までは知らないようだ。
どうやら天使族は、冒涜者に情報を出し渋っていたらしい。
(まだ、諦めるには早いか。無能どもも一つくらいは良いことをする)
イネルスの頭は再び急速に回転を始めた。
この冒涜者たちは雑魚も雑魚だが、こちらの方が情報的に優位にあるなら、まだできることは残っている。
(役立たずでも、導火線くらいには使えるな)
それは、破滅的なアイデア。
一○○%フレドたちの逃亡を阻止する代わりに、天使族も、冒涜者も、多くが死に、世界に甚大な被害が及ぶだろう。
(だが、それがどうした?)
そもそも、世界がイネルスに何をしてくれたというのだ。
生まれてから、今の今まで世界というやつはイネルスに苦しみしかもたらさなかった。
どいつもこいつも、自分を侮る。
弱さを隠したいが故に虚勢を張り、いきりちらす冒涜者は、愚かだが理解できる。さっきの天使族の戦士のように直接馬鹿にしてくる奴はまだわかりやすい。イネルスが嫌いなのは、カインのような哀れみの視線を向けてくる強者だ。奴らは、無自覚にイネルスのような弱者を下に見ている。極め付きは、あのお嬢様だ。ラブラのように恵まれた立場に甘えながら、上から目線で『守ってやる』とほざく輩には虫唾が走る。
天使族も、冒涜者も、みんな死ねばいい。
持たざる者の苦しみを知り、苦しんで死ね。
(生き残るのはオレだけでいい)
このまま任務に失敗すれば、待つのは確実な死である。
しかし、今イネルスが頭の中に思い浮かべている作戦が上手くいけば、ラブラを消すという最低限のミッションは達成できる。
少なくともしばらくは世界が混乱し、イネルスの処分どころではなくなるだろう。
その隙に逃げてもいい。もしくは、対立と戦乱に乗じて様子見をしていれば、またいつか出世や名誉挽回の機会も訪れるかもしれない。
「逃走ルートは、火口ですよぉー。なんかぁ、フレドの師匠? とかいう奴がー、見つけた抜け道みたいですぅー」
イネルスは一瞬で思考を組み立てると、息を吐くが如く虚言を弄する。
いや、虚言ともいえない。
イネルスが今言った言葉は全て事実だ。
ただ、言うべき重要な事実を、一つスキップしているだけにすぎない。
「フレドの師匠? ――『万能』か。死んだと聞いていたが、あの化け物なら、そのような道を知っていたとしても、あり得なくはないな……」
隊長と呼ばれていた男のフネから、思案げな声が漏れる。
「はいー。それでぇー。お言葉ですけどぉー、あの火口を全部封鎖するなんて今の戦力でできるんですかぁー?」
「くっ……短時間であの巨大な火口を封鎖するほどの戦力も兵装もない」
「あのー。でしたら、提案なんですけどー、封鎖なんて消極的な手段を使わずに、あいつらを殺しちゃいましょうよー。そうすればー、時間稼ぎどころか大手柄ですよねぇ」
イネルスは、甘い声で囁く。
「殺す? 馬鹿を言うな! そんなことができるはずがない!」
「そうですかぁー? 正面からなら無理でも、奇襲をかければ分かりませんよぉー。奴らが天使族と戦っている今なら、私たちの方が先に火口に入って、待ち伏せができますぅー。私が案内しますからぁー」
「奇襲をかけたとしても、奴らは一騎当千の強者だぞ。倒せる確率は限りなく低い」
そう言いながらも、声音には先ほどのような強硬な否定の色はない。
もう一押しか。
「そこはー、ほら、天然の援軍がいるじゃないですかぁー。最悪、こちらの最初の一撃で、奴らの存在をモンスターに気が付かせるだけでいいんですよぉ。要は、あいつらのカモフラージュを解いてやるだけでいいんですからぁー」
「……なるほど。モンスターに襲わせるか。火口付近のモンスターは強い。上手くいけば殺せる。そうでなくとも、時間は稼げるな」
「そうですー。そうですー」
イネルスは我が意を得たりとばかりに何度も頷く。
「それにしても、随分都合のいい話だ。まさか、我々を騙そうとしているんではなかろうな?」
「えぇー。任務に失敗したら、殺されるのは私も同じなんですよぉー? 嘘をついて何の得があるんですかぁー。私だって必死なんですぅー。仲間からも馬鹿にされてぇー、少しでも出世のチャンスを見つけようと頑張っているだけなのにぃー」
疑念を孕んだ問いに、イネルスはそう言って、泣き真似してみせた。
「ちっ。まあ、いい。先頭はお前だ。俺たちに協力させる以上、リスクは負え」
「わかりましたぁー」
イネルスは従順に頷いて、フレドたちがいるのとは逆方向――火口へと進路を取った。
道中、さらに一、二機の脱落者は出すが、先ほどよりはずっと兵士のフネの動きがマシになっていた。
死兵というのだろうか。
後がないだけあって、実力以上の集中力を発揮しているようだ。
やがて、噴煙立ち上る火口へと辿り着く。
「あの穴ですぅー」
イネルスはいくつも空いた横穴の中から、煮えたぎるマグマから一メートルほど上にある洞穴を指さした。
「お前が先に行け」
「はぁーい」
火口を飛び立つ。
羽が焼けるほどの強烈な熱気。
ジャバッ。
(っつ!)
溶岩から飛び出してきた熱魚の吐き出してきた鉄砲溶岩を水の魔法で相殺する――しかし、なお防ぎきれず腕の一部が焼けた。
それでも何とか、穴の中に体を滑り込ませることに成功する。
「お前ら覚悟を決めろ! 先についた奴は友軍の援護だ」
火口から順繰りに冒涜者のフネが飛び立ってくる。
モンスターの犠牲になり、またさらに二割ほどの冒涜者が死んだ。
(こっからは、運試しか)
実のところ、イネルスはこれ以降の具体的な進路を把握していない。
ラブラは詳細な地図をフレドから見せられたというが、イネルスにそれを確認している時間はなかった。
「こっちですぅー」
しかし、そんな事情はおくびにも出さずイネルスは自信満々に冒涜者を導く。
「なんてことだ。信じられん。プールが近いのに、モンスターがこれほど少ないとは……」
隊長らしき冒涜者の男がぼそりと呟く。
実際、奥に行けばいくほど、モンスターとの遭遇率は下がっていった。
目標はすぐそこのはずだが……。
(クソっ。どこが『当たり』だ?)
いくらイネルスの感知能力が弱いとはいえ、『皇帝』クラスほどの強いモンスターの気配となれば、察知することはできる。
近くにいる。
近くにいるが、気配が大きすぎて逆に場所を特定できない。
(早くしろ。早くしてくれ)
『皇帝』にとっては、イネルスたちなど、羽虫も同然であることは分かってる。
だが、いくら羽虫でも、一○○匹が一気にたかってくれば、鬱陶しく思い、手で払いのけるくらいはするはずじゃないか?
「……おい。貴様。さっきから、同じところを周回していないか?」
「そんな訳ないじゃないですかぁー。きっと勘違いですよぉー。ほら、地下では方向感覚が狂いやすぃって言いますしぃー」
「――誤魔化すな! 一体何をたくらんでいる」
パンッ。
隊長が威嚇するように放った弾丸が、イネルスの頬を掠めた。
パンッ。
パンッ。
パンッ。
こだまする銃声と跳弾が、静寂の洞穴にやけに大きく響く。
(アホが! だが今はよくやった! こんなところで銃を撃てば――)
ザンッ!
運命を分けたのは一瞬。
つまる所、イネルスがそれを回避できたのは、『知っていた』からにすぎない。
目の前の空間が、冒涜者の半数ほどを巻き込んで、地面ごと消失する。
突出する四角い台地。
いや、これは、ドラゴンの口の一部だ。
「な、なんだ!」
「ち、地竜だ! この反応! 軽く破滅級を超えているぞ!」
突如出現した脅威に、慌てふためく冒涜者たち。
(よしっ。死ね! 死んでオレが逃げる時間を稼げ!)
イネルスは脱兎のごとく逃げ出した。
メイド服を裏返し、最弱のモンスターと呼ばれる、火ネズミの皮でできた布を表にして被る。
元々、イネルスは弱い。
それは、冒涜者に弄ばれている天使族の遺骸よりもだ。
彼らが動力源に使っている遺骸は、大幅にその力を減じたとしても、元は戦士だったのである。
そして、羽なし共はイネルスをただのメイドだと思っているだろうが、あいにく隠密はこちらの得意技だ。
自身を矮小化し、奴らを大きく見せる。
そうすれば、皇帝が初めに襲うのは、より強力な力を放つ冒涜者共だ。
「うああああああああああああ!」
「助けてくれえええええええええええええ!」
冒涜者共の断末魔の悲鳴と、無意味な銃声を聞きながら、イネルスはほくそ笑んだ。
(地竜か。想定していたほど強くない――ようやくオレにも運が回ってきたか!)
地竜は、強靭な鱗による防御力と、無尽蔵にも思える体力、必殺の牙に、大地を自在に操る魔法をもつかいこなす、厄介なモンスターだ。
しかしそれでも、『皇帝』の格として考えるならば、『弱い』。
本来のスタンピードの時期より、幾分早く覚醒させられたからだろうか。
もしかしたら、育ち切っていなかったのかもしれない。
羽を持たない地竜からならば、きっとイネルスでも逃げ切れる。
(それでも、十分だ)
あのクラスなら、天使族では名家が師団クラスの軍勢を引っ張り出さないと倒せない相手だ。
いくらフレドたちが強くとも、あの程度の戦力では地竜を突破できまい。
迷うことなく来た道を引き返す。
潜入は、イネルスの得意分野だった。
いくらさび付いたとはいっても、一度通った道を誤るほど、間抜けではない――と思っていたのだが。
(出口が、ない?)
火口へとつながる穴があったはずの場所を、イネルスは呆然と見つめた。
土砂崩れなどがあった様子もないのに、当たり前のように目の前には壁がある。
確かめるように、壁に手を振れた瞬間――ボロボロボロ、と。
土壁が剥がれる。
やがて露わになるのは、毒蟲にも似た紫色の血管。
「ひっ」
目の前の壁は、おぞましいほどの肉感と熱をともなっていた。
やがて立ち上る腐臭。
古くなった皮膚を擦り落とすかのように、洞穴が狭まる。
「くそが! くそが! くそが! くそが! くそがあああああああああああああ!」
全身を悪寒がかけぬける。
生を確保するため、わずかな隙間を目がけて、決死のジャンプを繰り返すが、そうしている間にも、どんどんイネルスの存在できる空間は狭くなっていく。
やがて、その僅かな安堵すらも奪うように突き出てくる無数の顎。
さきほどの地竜が、上からも、下からも、横からも、無限に這い出してきて、ごちそうのように、剥がれ落ちた土壁を――いや、『何か』の皮膚を食らっている。
「お、おい、もしかして、まさか、そんな――」
イネルスの脳裏を最悪の想像がよぎる。
もしかしたら、この穴は、『皇帝』にとって毛穴の一つのようなもので。
先ほど、イネルスが、皇帝だと勘違いしていた地竜が、毛穴に巣食うダニのようなものに過ぎないのだとしたら――。
(ああ。これが本当の『絶望』か)
自分は死ぬ。
だが、世界も死ぬだろう。
自分を見下してきたアホ共も、その身をもってようやく知るのだ。
『理不尽』を。
前菜を食らい終え、さらなる食欲を満たさんと、こちらへと群がってくる地竜。
(へっ。これでようやく終われるぜ)
不思議なほどの満足感を抱きながら、イネルスは、その最期を、抗うことなく受け入れた。
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