第21話 夢


「本当に !? そんな夢みたいなことができるの? もう! そんなんあるなら早く言いなさいよ! 無駄に落ち込んじゃったじゃない!」


 ラブラは握りこぶしをつくり、フレドの胸をポカポカと叩いた。


「いたっ、お前、力強いんだから手加減を――まあ、ともかく、あれだ。順を追って話そう。……そもそも論の話になるが、ラブラは、強くなって何から仲間たちを守りたいんだ?」


「もちろん、モンスターと、戦争を仕掛けてくる冒涜者からよ」


「ああ。だよな。じゃあ、とりあえず、モンスターは置いておくとして、そもそも何で天使族と冒涜者は争わなければならない?」


「お互いに憎しみあって――いえ、今いいたいのはそういうことじゃないよね? こんな狭い世界で、居場所と食料を取り合ってるから?」


 ラブラは答えかけた内容を修正する。


 フレドとしばらく一緒にいたからか、少しだが彼の考え方というものがわかりはじめている。


「それだ! なら、なぜ、俺たちの世界はこんなに狭い? どうして制限を受けているんだ?」


「そんなの子どもでも知ってるわ。さっきの劇でやってたでしょ。『楽園』にあるっていわれている大穴から、モンスターが無限に湧き出てくるからよ。いくら倒しても、倒しても、意味がない。私たちが強くなれば、それだけモンスターも強くなって、数が増える。だから、私達は常にモンスターと戦いながら、今ある分の世界を必死に守り続けるしかない」


 それは、いわば、ラブラが呼吸をしなければ死んだり、果実がやがて木から落ちたりするのと同じ、この世界のルールだった。


 初めから定められているもの。


 在りて在る存在の前提。


「そうだ。逆にいえば、モンスターが無限に湧いてこなくなれば、俺たちが狭い世界に留まっている理由はない。そういうことになるよな?」


 フレドはにやりと不敵に笑う。


「あんた、まさか――」


「ラブラ。前に俺に聞いたよな。世界を良くするアイデアはないかって。教えてやろう。俺の夢は、この狭い世界を飛び出して、『楽園』の大穴に潜り、モンスターの発生源を片付けることだ!」


 フレドは真顔でそう言い切った。


 それは誰も考えなかった――いや、誰もが一度は考えて、馬鹿らしいと笑い飛ばすような荒唐無稽な夢想。


 英雄願望をも超えた、神に至らんとする不遜だった。


「あんた。本気で言ってるの? それは、神様にもできなかったことなのよ」


 天使族の間に口伝されている神話の種類は色々あるが、いつも最後だけは決まっていた。


『天使族の始祖たる神鳥は、楽園の底にいる災厄の根源たる怪物を討とうと戦いを挑み、惜しくも敗れた』。


 ラブラはそう聞いている。


「ああ。冒涜者の神様とやらも負けたらしい。でも、そもそも神とはなんだ? すごい力を持っていたとしても、所詮、俺たちと同じような、有限の命を持つ存在であったことには変わりないじゃないか。かつて失敗したからといって、また失敗するとは限らない。世界の外には、俺たちと同じように、孤立したコミュニティがいくつも存在し、そして、独自の文明を築いてるはずだ。各地で知識と技術を集め、有志で力を合わせれば、この永遠にも似た悪夢を終わらせることは、決して不可能なことじゃないと、俺は信じている」


 フレドは目を輝かせて、饒舌に語る。


 この目だ。


 この目にラブラは惚れてしまったのだ。


 脆弱な身体しか持たないのに、知恵と技術と努力で、不利を克服してきた冒涜者。


 その極みたるフレドならば、途方もない妄想ですら、不可能ではないと思えてしまう。


 いや、でも、だめだ。


 彼のことを好きならば、突っ込むべきところは突っ込まないと。


「……あんたの言う通り、外には私たちの知らないようなすごい力を持った奴らがいるかもしれないわ。でも、そもそもどうやって、プールを突破するのよ。何万、ひょっとしたら何億もの数のモンスターがいるかもしれないのよ。その全部を戦って倒すっていうの?」


「いや、発想を変えろ。簡単だ。そもそも、戦わなければいい」


「戦わない? そんなことできるの?」


「ああ。スタンピードがあるのは知っているな? その中に、モンスターを率いるボス個体がいることも」


「ええ。モンスターの『王』ね。その地域のプールの熾烈な弱肉強食を勝ち抜いて、頂点に立った最強」


 ラブラは頷く。


 スタンピードの直後、モンスターは爆発的に増えるが、その後、食物連鎖によって収斂され、適度な数に収まる。しかし、それは全く脅威の減少を意味しない。天使族がモンスターを食らい強くなるように、モンスターもまた、自然淘汰の過程で強くなっていく。数が減る代わりに、モンスターの『質』が上がるのだ。すなわち、スタンピードの休止期間とは、一匹の王が死に、次の王が育ち切るまでの準備時間である。


 モンスターの修羅道を勝ち抜いた『王』を殺し、食らうのは、天使族にとっての最高の栄誉でもあった。


「そうだ。そして、ある程度の強さに達したボスモンスターの下には、本能的にモンスターは近づこうとしない。というか、近づこうとしないほど強くなったのがボスモンスターだ。プールとボスモンスターの間。そこに、空白域が産まれる」


「……話が読めてきたわ。その空白域を通って、外に出ようっていうのね」


「そうだ。ボスモンスターが強ければ強いほど、空白域は広い。そして、この先にあるのは――」


「なるほど、『死の山』。『最強の中の最強』ね」


 ただでさえ、強いモンスターが集まる死の山。その中で勝ち抜いたモンスターの皇帝が、火口の奥深くに潜んでいるという。


「そうだ。つまり、この先には、今、最も成功率の高い、世界の外への脱出路がある」


「でも、モンスターが皇帝に近づかないのは、殺されるのが怖いからでしょ? 私たちが皇帝のテリトリーに入ったら、すぐに殺されちゃうんじゃない?」


 ラブラは首を傾げた。


「……それが、『近づいたら殺されるほど強い』のと、『実際に殺されるか』はまた別問題なんだよな。矛盾するようだが、空白域に近づいたモンスターの多くは殺されない。一説には、神話時代に俺たちたちを滅ぼすという共通目標を刷り込みされたモンスターが、スタンピードに必要な戦力を集めるための集合的無意識下の調整機能だとも言われている。弱肉強食を徹底すると、最終的には、最強の一体しか残らないことになるから」


「ごめん。難しくてよくわかんない」


「まあ、なんというか、例えば、ラブラ。外で食事をとっていたら、器にいっぱいハエがたかってくるだろ。その一匹一匹を、いちいち全部殺そうと思うか?」


「しないわ。きりがないし、めんどくさいもの。実害もないし、潰してる時間の方がもったいない」


「そういうことだ。ある一定の強さの脅威が接近するまで、こちらから手を出すような愚かなことをしない限り、ボスモンスターは俺たちを無視する。もちろん、軍隊レベルの戦力を放り込めば、即座に消し炭にされるだろうが、俺たち数人が中に入ったところでボスモンスターは反応しないはずだ」


「そんなに上手くいくかしら。モンスター同士ならともかく、あんたもいった通り、モンスターは私たちに本能的な敵意を抱いているわ。雑魚だとしても、殺したいと思うのが普通よ」


「そこで、俺たちのフネだ。ボクサーは、モンスターに擬態できるような加工をほどこしてある。さらに、戦力をわざと弱くみせるような偽装もな。今までは、天使族の遺骸を使っていたから、かなり不自然なエネルギー反応になってしまっていたんだが、今ならラブラたちが協力してくれているから、自然なカモフラージュができる。実際、道中、ギリギリまで、俺たちのフネの接近にモンスターが全く気付かないことが何度もあっただろ?」


「あれって、他のフネじゃできないの?」


 確かに、すごい隠密性能だとは思っていた。


 このフネに奇襲や暗殺をしかけられたら、天使族もきついだろうに、どうやって対処しているのだろうと思っていたところだ。


「ああ、そうか。ラブラは他のフネを知らないから、比較のしようがないよな。自画自賛になってしまうが、ぶっちゃけ、めちゃくちゃすごい。フネそのものはもちろん、俺の操縦士としての力と、シズの危機察知能力がないと成立しないからな。だからこそ、俺たちは名うてのモンスター狩りになれたんだ」


 フレドが誇らしげに言った。


 その言葉には、自分の築き上げてきた技術と仲間への信頼がつまっている。


「……よくわかったわ。私が後、気になるのは一つだけ。実際に火口の中に入った後、どういうルートを辿るかは決まってるの?」


「ああ。ここに地図があるぞ。火口から地下水脈を通って、外に至るまでの具体的な経路を記したものがな」


 フレドは、やや手間取りながら、二重、三重になっているらしいポケットの奥から、古びた紙を取り出した。


 文字は読めないラブラだが、精緻なその図だけで、どれだけの労力がそこについやされているのかがわかる。


「すごいわね……さっきの皇帝の生態とか、この地図とか、全部自分で調べたの?」


「全部じゃない。ボクサーの加工技術とかは俺のオリジナルだが、元々、冒涜者の間には、この世界を抜け出して新天地を探そうとする『楽園派』と呼ばれる一派があってな。今は政争に敗れて壊滅してしまったが、彼らが残した知識を俺の『師匠』が掘り起こしてブラッシュアップした。ボスモンスターとか脱出経路とかの知識はそっち方面からとってる」


「その師匠は今どこにいるの? 置いていっていいの?」


「いい。っていうか、むしろ置いていかれたのは俺の方だ。師匠は、もう何年も前に、この地図だけを残して出て行ったよ。錬金術で自分の死体を用意して、念入りに事故死を偽装したから、他の誰ももう師匠がこの世にいるとは思っていないけど、俺は無事に外の世界に行ったと信じてる」


 フレドはそこで少しだけ寂しそうに目を細めた。


 本当にそう信じているのか、それとも願望を込めて言っているのか、ラブラには判断がつかない。


「……全部計画してたのね。私たちに会う、ずっとずっと前から」


 もはや、ラブラにフレドの夢を否定することはできなかった。


 ラブラの抱いている漠然とした夢と違って、フレドは幼い頃から、ずっと考え続けてきたのだろう。あの途方もない目標を、現実のものとするために。


 大それた夢を抱く者は多い。だけど、その実現のために一歩一歩努力できる者はとても少ない。ラブラにはよくわかる。辛いからだ。目標が遠ければ遠いほど、やるべきことは多く、現実は障害となり、襲い掛かってくる。常識という圧力が、時には悪意をもって、時には善意の形で、夢をあきらめさせようとしてくるのだ。


 それでも、フレドはめげなかったのだ。


 たった一回の、チャンスを実現するために。


「そうだ。一つしかない命をかける以上、できる限りの準備はしないとな。で、あとはリエとカインをどう救うかという話だが――」


「言わなくてもわかるわよ。初めは、私じゃなくて、カインとリエだけを協力させるつもりだったんでしょ」


 さすがにラブラもここまでくれば察することができた。


 駆け落ちした行き場のない二人に、フレドは共に生きる未来を提示してあげるつもりだったのだ。


「ああ。そうだ。はっきり言って、ラブラたちには期待していなかった。今回、俺のパートナーになる天使族が信頼できる存在かどうか、全くわからなかったからな。楽観的な観測で計画は立てられない」


「まあ当然よね。私も、はっきり言って怖かったわよ。カタハネって馬鹿にされている私と釣りあうと思われている冒涜者ってどんな奴だろうって。しかも都合よく羽までくれるって言うしさ。――でも、私がフレドと一緒に行って問題ないの? あのフネには六人も乗る余裕はないでしょ」


「ああ、それは問題ない。リエが軍から持ち出したフネをちょっとモンスターに偽装するだけだ。あらかじめ予備パーツもしっかり準備してあるから、すぐに加工はできる。フネが一体から二体になったところで、誤差レベルだからな」


 フレドが鷹揚に頷く。


「ふうー。なるほど、そんなところまで、全部計算済みって訳ね」


 ラブラは感心してため息をつく。


 冒涜者というのは、いつもこうやって先の先まで読んで生きているのだろうか。


 ラブラが真似をしようとすれば、すぐに頭がパンクして熱が出てしまいそうだ。


「ああ。でも、俺にも計算外はあったけどな」


「へえ。どんな?」


「決まってるだろ。俺が恋をするなんて、一生ありえないと思っていた。最も興味の薄い分野だったからな」


 フレドがラブラの手を握って微笑む。


「フレド……」


 ラブラもそっとその手を握り返した。


 しばし、二人無言で見つめ合う。


「――さあ。俺は全部話した。ラブラは、どうしたい? 俺と一緒に来てくれるか?」


 やがて、ラブラからそっと離れたフレドが、緊張の面持ちで尋ねる。


「私は……。私は、行きたい。フレドと一緒なら、私の夢もより良い形で叶えられると思うから」


 ラブラはしっかりと言葉を紡ぐ。


 それが、今のラブラの偽らざる想いだった。


 もし、今、世界を覆っているモンスターがいなくなれば、天使族と冒涜者は争う理由がなくなる。


 それでも、アホ共は戦い続けるかもしれないけど、他の所に行きたい奴は行けるようになるだろう。


 外にラブラたちとは違う文化を持った者たちがいるなら、そちらとの交流もできてくるだろうし、少なくともこの永遠に続くような、不毛で息苦しい世界は変わる。


 完璧じゃなくても、今よりも、みんな幸せになることは疑いようもない。


「そうか。じゃあ――」


「で、でも、まだ待って。私一人じゃ決められないわ。私にはずっと、支えてくれたイネルスがいる。あの子とも相談しないと、本当の答えは出せないわ」


 喜色を浮かべるフレドに、ラブラは慌ててそう付け加える。


 イネルスは、ラブラが守ってあげなければならない大切な存在だ。


 もし、ラブラが外に出るのを嫌がったら、どうすればいいのだろう。


 ラブラだけフレドと一緒に世界の外に出てしまえば、イネルスは他の天使族から責められて、苦しい立場に置かれることは間違いない。


 殺されるか、奴隷のように扱われるか、よくても他の天使族の従者に回されるはずだ。


 最良のケースでも、ドジなところが多いあの子が、他の天使族に満足に仕えられるとは思えないし、今よりもひどい状況に追いやってしまうことになる。


(もしそうなったら、私は選べるかしら)


「そうか。そうだよな。正直に言って、俺はイネルスのことをよく知らないが、お前が信頼できる相手だというなら、その決断を俺は信用しよう。よく考えてから決めるといい。でも、絶対に作戦のことは口外しないようにイネルスによく言い含めてくれよ。今、このことを知っているのは、俺とシズとお前だけだ」


 フレドは一瞬がっかりしたような顔になったが、すぐに微笑みを浮かべ、そう言ってくれた。


「わかったわ」


 フレドの忠告に、ラブラは深く頷いた。


 不安だが、今あれこれ考えてもしょうがない。


 実際イネルスに話してみれば、案外あっさりついてきてくれるということになるかもしれないし。


 そんなことを考えていると、再び観客席側が暗くなり、舞台のクモが晴れていく。


「第二幕が始まるな。ふう。まあ、あれやこれやは忘れて、今は純粋に劇を楽しもうぜ」


「ええ。そうね」


 ラブラは頷いて、再び、視線を横のフレドから前へと移した。

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