応援コメント

第8話、神仏分離よって増えた神社」への応援コメント


  • 編集済

    苦手な日本史の勉強になりました。


    民間信仰系陰陽師をルーツに持ちますが、

    元禄くらいの時期に幾つかの家族の集団でやって来て(土御門の免状を持っていたとか。今も傘?のついた墓が残ります)
    藩の許可を得て県南部一帯で祟りとか病人を見舞う憑き物系の拝み屋(どこが陰陽師なのかと…)
    をしていたようです。
    そして戦後には溶け込み、
    高齢親族が陰陽師がルーツと言っていたくらいでほぼ名残もなく。

    明治政府の神仏分離令の影響を受けていたのかも、と今思いました。


  • 編集済

    今の我々は神社とお寺、神様と仏様は同じようなものだけど別物だと考えていますが、「同じようなもの」と思うのと、「同じとみなす」では全く違いますもんね。
    神仏習合や神仏分離って考え方としてはわかりますが、人々がどこまで本気で信じていたんだろうって気になります。

    寺社の遍歴に関してちゃんと考えたことがなかったので知識がなく、このお話を聞いて気になったことが。
    神様は仏の仮の姿であり、公的機関としてお寺の方が立場が上で神社が下という時代が千年も続けば、神社側も本物の仏を祀ったり、全部お寺に置き換えたりしていてもおかしくないと思ったのですが、そうなっていないのはどういう流れだったのでしょうか。
    お寺側が特権を維持するためにあえて神社を潰さなかったのか、潰す気はあったけど無理だったのか、単に公務員と民間みたいな立場の違いでしか無かったのか。

    興味深い内容で考えれば考えるほど気になることが生まれて、長文になってしまい申し訳ないです。

    追記

    ご丁寧な返信ありがとうございます。
    なるほど、単純に「天皇家が滅んでないんだから神社だって残ってる」と考えてしまえば良いのかもしれませんね。
    やはり当時の一般の人々がどれだけ神様と仏様を区別して信仰していたのか気になります。
    案外今と変わらなかったりするのかもしれませんが。

    作者からの返信

    いずもさん、コメントありがとうございます。

    質問に答えようとしていたので、返信が遅れってしまってごめんなさい。


    まず、私の考察がメインという事は、ご了承ください。

    公的機関としてのお寺の方が立場が上で、神社がお寺に置き換わらなかったのか? という事ですが、私の解説の中にもあるように、お寺の発展に大きく貢献したのは、主に侍や戦国武将です。

    細かい事は省きますが、毘沙門天や勝軍地蔵といった仏や、八幡大菩薩といった神仏習合の仏(神様)が、戦で勝つ神様として武士や武将のあいだで人気になり、お寺や神宮寺が増えていくのでお寺と武士の繋がりは深かかったのです。

    鎌倉から江戸にかけては、源家(北条家)、足利家、徳川家などの武家が覇権を握る時代なので必然的にお寺も力を付けていくし、比叡山延暦寺という特に力を持っていたお寺は武装化し、独裁国家状態だったといわれています。

    さて、武将達は征夷大将軍の称号を貰って実権を握っていましたが、まず征夷大将軍の称号をもらうには天皇に認めてもらわなければいけません。
    しかも、征夷大将軍になるには天皇家の血筋じゃないとなれなかったのです。
    武士に実権があったといっても、国の中心はあくまでも天皇なのです。

    そして神社のトップは皇室であり、神主のリーダーは天皇です。これは今でも同じです。天皇=神官です。

    もし歴史の途中で神社のトップである天皇家がなくなっていたら、現代の神社はもっと違っていたかもしれませんが、神道や八百万の神々というのは私達日本人に深く根付いているので、お寺が力をもった時代だったとして、信仰は消えなかったのかもしれません。

  • 興味深く読んでいます。面白いです。


  • 編集済


     また、高圧的な態度や、高額なお葬式を強制させるなどをしていたので、民衆は不満をつのらせていました。

    誰がお寺に強制したんですか?
    お寺が信者に強制したんでしょ!?  「高額なお葬式を強制する」と書いてくださいませね。
    「させる」と「する」では、行為の主体が違います!

    それと「権現」が「権化」に化けてますよぉ!