第32話 びしょ濡れ

 菫の帰り道は、運良く翼と同じ方向だった。


「ということは佐藤は俺よりももっと向こうに行ったところにあるんだ」

「そうだね。全然知らなかった」

「俺も」


 菫の家は学校から四十分、翼の家からは二十分の距離のところにあるらしい。

 まさか菫がこんなにもご近所だったとは。目から鱗である。


 二人はできるだけ濡れないように固まり、歩く。


 傘は男子の未空が持ち、傘に入れてもらっているのだから私が持つと菫は言ってきたが、傘を持つのは背が低い人よりも高い人が持つ方が合理的なので、翼が持つことにした。


 菫は申し訳さそうにしていたが、最後は翼の厚意に甘えた。


「佐藤、右肩は濡れてないか」

「うん、大丈夫」


 翼は右手で傘を持っていて、その右側に菫がいるので右側は濡れていないか翼は心配をする。

 菫は平気そうな顔をしているが、やはり二人では狭いらしく、少し右肩が濡れている。


「嘘付け。濡れてるだろ」

「でも、これ以上は……」


 思わず翼が大声を上げると、菫は申し訳なさそうにシュンと肩をすぼめる。


 まるで飼い主に怒られた子犬のようだった。


「もう少しくっつけるだろ。もっとこっちに来い」


 翼は親切心で菫に言う。そこに下心はなく、雨に濡れて風邪を引かないかという心配しかなかった。

 菫は顔を少し赤くしながら、もう少し翼の方へ近づく。


 すると完全に翼の腕と菫の肩が触れ合う。


「ひゃぅ」


 肩に触れ合った瞬間、菫は間抜けな悲鳴を上げる。


「どうしたんだ、佐藤」

「……いえ、なんでもありません」


 翼があまりにもいつも通りだったので、菫は平常心を心がけて言葉を返す。


 一方、翼はなぜ菫が悲鳴を上げたのか分からないでいた。


 肩と腕を触れ合わせながら、二人は帰る。

 後ろから見れば完全にカップルの光景に、二人は気づいていない。


「……今日はありがとうございます、桐谷君。傘に入れてもらって」


 しばらく歩いた後、不意に菫が翼にお礼を言う。


「別に、これぐらいなんでもないよ」


 翼自身、特別なことをしているつもりはないので、ぶっきらぼうに答える。


「私、実は友達が一人もいないので、こうして傘に入れてもらえる友達もいなかったので」


 翼といて少し安心したのか、急にディープな話をし始めた。

 あまりにもディープすぎたので、どんな反応をすれば良いか分からず無言で頷くことしかできなかった。


「でも今日桐谷君に声をかけてもらえて嬉しかった。もし桐谷君に声をかけてもらわなかったら私、一人で帰っていたと思う。本当にありがとうございます」


 菫の態度を見る限り、あそこで菫に声をかけたのは正解だったらしい。


 男ならなおさら、可愛い子が困っていたら助けたくなる生き物である。


 お礼を言う菫は微かに笑っていた。


 その笑顔は桜のように儚くも綺麗な笑顔だった。


 この笑顔が見られただけでも翼は満足だ。


「俺も今日佐藤と一緒に帰れて楽しいよ。やっぱり一人で帰るより友達と帰った方が楽しい」

「そうだよね。私、初めて友達と一緒に帰るんだけど、とても楽しい」


 翼と菫は傘の中で笑い合う。

 まるでその空間だけ、世界から切り取られて二人だけの世界になっている。

 傘に当たって奏でる雨音も、急いで帰る鳥の鳴き声も、車が通る時出る音も聞こえない、二人だけの空間だった。


 それがいけなかった。


 後ろから猛スピードでやって来た車に気づかずに水溜りの横を通りかかる。

 その瞬間、車が水溜りを通過し、水がはね、翼と菫の体に襲い掛かる。


 傘は上は防げるが、横は防げない。


 あの車のせいで翼たちは体全体水浸しになった。


「うわっ、最悪」

「うぅ~、びしょ濡れ~」


 翼は通りすぎていった車を睨みつけ、菫はずぶ濡れの全身を見て涙目になる。

 いくら六月といえども水浸しのままいれば風邪を引く。


 幸い後二分ぐらいで翼の家には到着する。


 さすがにこのまま菫だけを家に帰すことは憚られる。


 風邪でも引かれたら後味も悪い。


「大丈夫か菫……って聞いても大丈夫じゃないよな」

「うん、全然大丈夫じゃないよ」


 菫の全身を見ると、体中びしょ濡れで翼が見ても全然大丈夫ではなさそうだった。


「このまま家に帰ると風邪を引くかもしれないから、一旦俺の家に寄っていくか」

「……えっ」


 翼が菫の体のことを思い提案するが、菫は最初なにを言われているのか分からなかったらしい。


 首を傾げてキョトンとしている。


「俺の家もうすぐそこだから、寄っていかないか。そのまま帰って次の日風邪でも引いたら大変だろ」


 翼に二度説明されて、ようやく菫は納得した表情になる。


「でもご迷惑じゃない」

「大丈夫。俺の他には妹しかいないし、両親は基本家には帰ってこない」


 菫はきっと翼の家族のことを心配しているのだろう。

 でもその心配はないはないことを菫に伝える。


「ではお言葉に甘えても良いですか。水に濡れて少し寒い」


 菫も了承してくれたことなので、一旦、翼の家に向かう。

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