では、どうぞ、ごゆっくり

 


 花咲き乱れる花畑にアドルフがひとりで立っている夢を未悠は見ていた。


 帰らなくちゃな、と寂しげなその姿になんとなく思ったが、激しく鳴るスマホに叩き起こされた。


 厄介な代物だな、こういうの、と思いながら、それに出る。


 タモンの側にもずっと置いておいてやったら、永遠に目を覚ましているだろうか。


 いや……すべては夢なんだったな、と思いながら、


「……あい」

と出ると、


『社長より遅く来るような秘書は辞めてしまえっ』

と怒鳴る駿の声がした。


『車取ってくるから支度しておけよっ』

と言う雄叫びのあとに、電話はすぐに切れた。


 いや……。


 近所迷惑でしょう、社長。


 微かにだが、下から駿の怒鳴り声が、スマホを通さずに聞こえてきていた。


 二階だからな。


 のそのそと起きて、窓際に寄ると、走って自分のマンションに戻っていく駿の姿が小さく見えた。


 自宅、すぐ側だからな。


 マンションのグレードが全然違うが……。


 迎えに来たとき、支度が終わってなかったら、殴り殺されそうだ、と思いながら、未悠は身支度を始める。


 コルセットをつけたりしなくていい代わりに、誰も着替えを手伝ってくれないし、見立ててくれない。


 服は、たくさんクローゼットに並んでいるのに、なんだか着るものがない。


 さっとその日に身につけるものを装身具まですべて用意しておいてくれるエリザベートやシリオのありがたみがよくわかった。


 そして、食堂に行ったら、豪華な朝食があるわけでもない……。


 キッチンで珈琲を沸かしながら、焼いてもいない食パンをなにもつけないままかじり、栄養偏ってるな、と思いながら、ヨーグルトを一口だけ食べ、あとは夜に食べよう、と冷蔵庫にしまう。


 全部、間で髪をかしたりしながらの作業だ。


 こんな日常を繰り返していたら、あの長い夢のこともすぐに忘れてしまうのだろうな、と寂しく思ったが。


 何故か、花畑にひとり佇むアドルフの姿だけは、いつまでも胸に残った。





「俺が社長だぞ。

 なんで俺が秘書を送り迎えしなきゃいけないんだっ」


 運転してくれながら、駿はずっと文句を言っていた。


 いや、じゃあ、放っときゃいいんじゃないですかね?


 こんな使えない秘書のことなど、と助手席で未悠は思う。


 まあ、口は悪いが、よく気のつく人だからな。


 面倒見ずにはいられない体質なのだろう、と思う。


 最初は、助手席を遠慮して、後ろに乗ろうと思った。


 こんな早朝、秘書が助手席に乗っているのを、あの見合い相手の人にでも見られたらまずいだろうと思ったので。


 だが、駿に、

「後ろに乗るとか、お前が王様かっ」

と怒鳴られたので、結局、助手席に乗ることになったのだ。


 王様。

 そういえば、王様には結局、出会わなかったな。


 またあの夢の続きを見ることがあったら、ぜひ、お会いしてみたいものだ、と笑って、


「なに笑ってるんだ、早くしろっ」

とまた怒鳴られた。


 いや……運転してるの、貴方なんで、私、なにも早くは出来ないんですけど……と思ったが、反論したら、めんどくさいことになるのはわかっていたので、黙っていた。





「未悠は何処に行ったんだ!」


 その頃、アドルフはタモンに詰め寄っていた。


 いやあ、とタモンは緊張感のない顔で困っている。


「私が魔法が使える使えないという話になって。

 よくわからないが、未悠が朝、アイロン? を切ったかどうかずっと気になっていると言い出して。


 パチンと指を鳴らしたら、元の世界に戻れるとかあるといいな、と私が笑って、パチンと指を鳴らしたら、消えたんだ」


 何故、そういう余計なことをする……。


 そう思いながら、アドルフが、

「お前は魔法が使えたのか」

とタモンに問うと、


「言わなかったか?

 魔法というほどのものではないが、気を使ったりは出来る。


 手のひらをこう、温かくして」

と両手の間を少し開き、じっとしていたタモンはそのうち、見えない玉でもあるかのように指先を折り曲げ始めた。


「シリオ」

と呼ぶ。


 なんですか、と前に出たシリオに後ろを向かせ、その両肩にタモンは手のひらをふわりと近づけた。


「あ……っ!


 あったかい……っ。


 あったかいですぞ、王子っ!

 まるで湯治に行っているかのようですっ」

とシリオは呑気なことを言い出した。


「これを冷え性の女性たちにやると喜ぶのだ」

とタモンが言ったので、シリオがぜひ、やり方を教えてくれとせがみ始めた。


「待て。

 今、そんな場合か?」

とシリオの肩をつかんで言うと、


「そうでしたな。


 失礼。

 未悠は何処の世界に飛ぼうとも大丈夫なような気がして」


 つい、呑気に構えておりました、と言ってくる。


 確かに、何処でも逞しく生きていきそうだ、と思う。


 この世界に来てすぐ、年を偽ってまで、働き口を見つけ。


 酒場で働いていたかと思ったら、あっという間に、王子妃になるまで、上り詰めていたように。


 シリオがタモンに問うていた。


「タモン様、未悠を向こうの世界に送り返せたのなら、呼び戻すことも出来るのでしょう?」


 だが、タモンは沈黙している。


 おい……。


 このまま此処で話してもらちがあかない気がしてきたので、

「ちょっと出てくる」

と言うと、


「何処行くんですか、王子っ」

とシリオが言ってくるので。


「森に行く。

 未悠と出会った場所に」

と言うと、


「森は危ないですぞ、あの森には悪魔が……」

と言いかけ、タモンを振り向き、


「……悪魔はこっち来てたんでしたな。

 では、どうぞ、ごゆっくり」

と言ってくる。


 悪魔の森、悪魔の塔は、そのあるじを失った。


 っていうか、此処が悪魔の城になってないか? と思いながら、アドルフは城を後にした。





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