真実を話しましょう
あの人の子どもならいいな、と思っていた。
だから、その噂を否定しなかった——。
人払いをした王妃、ユーリアが、タモンの前に立つのを未悠は見ていた。
黙ってタモンを見下ろす彼女は、どんな思いで、そうしているんだろうな、と他人事ながら感傷的になっていた。
だが、ユーリアは、
「……刺されているのですってね。
見せてください」
と淡々とタモンに言っている。
同じように無言でユーリアを見上げていたタモンは、マントの前をはだけて見せた。
固まった血のこびりついたタモンの服をユーリアは見下ろしていたが。
いきなり、むんずとタモンの腹に刺さっている剣をつかんだ。
次の瞬間、聞いたこともないような悲鳴が響き渡った。
剣は既にユーリアの手にある。
剣が腹からなくなったあとも、タモンは延々と叫び続けていた。
「なにを騒いでいるのです。
昔、おっしゃっていたではないですか。
自分は既に死んでいるようなものだと」
いやあの……めっちゃ死にたくないみたいなんですけど、と思いながら、未悠は、叫び続けるタモンを見た。
「タモン様、その辺で」
と未悠が声をかける。
ユーリアとエリザベートはなにも言いそうにはなかったし、アドルフとシリオは呆れていたからだ。
未悠の呼びかけで、タモンは恐る恐る、おのれの腹を見下ろしていた。
穴が空いているようだが、特にどうということもないようだった。
「そのうち、閉じるんじゃないですか?」
とユーリアは冷ややかにそう言ったあとで、
「これで着替えができますわね」
と言う。
……そ、そういう問題だろうか、と未悠たちは、まだ、血のついた剣を持つユーリアを見て固まっていた。
今にもその剣をもう一度突き刺しそうな気がしたからだ。
だが、彼女は、剣を手にしたまま、タモンを見下ろし言った。
「貴方の子どもならいいと思っていました。
望まぬ結婚でしたから。
でも、今は——
王の子であればいいと思っています」
きっぱりとしたその口調に、タモンは目を伏せ、笑って言った。
「ならば、アドルフは王の子だろう。
母親がそう望むのなら、それが真実だ」
……ところで、とタモンは少し身構えるようにして、ユーリアに訊く。
「寝ていた私を刺したのは誰だ」
その態度にユーリアは、
「私だと思っていましたか?
私はあれから塔には近づいておりません。
おそらく、エリザベートも」
とエリザベートを振り向く。
そ、そうか、と言うタモンをユーリアは冷たい目で見て言った。
「どうせ、他にもいろいろあるのでしょうから。
いろいろなお方に刺されたのではないですか?」
いろいろなお方に刺されていたら、蜂の巣状態だと思うのですが……と思いながら、見ていた未悠を振り向き、ユーリアが呼ぶ。
「貴女、ちょっといらっしゃい。
ひとりでよ」
促されるまま、未悠は、タモンやアドルフを置いて、王妃の間へと向かった。
アドルフの部屋はいいものが置いてはあるが、何処か、質実剛健な雰囲気を漂わせていたが。
王妃の部屋は女性らしい柔らかさがあった。
繊細な感じはしなかったが……。
「座りなさい、未悠」
と窓際の椅子をユーリアに勧められた。
白と金を基調とした美しい椅子に、汚したらどうしよう……と思いながら、未悠は腰かける。
前に座ったユーリアは、いつかのエリザベートのように、窓の外から、あの塔を見つめていた。
タモン自身はこの城の中に居るが、彼女たちにとって、そこが思い出の場所だからなのだろう。
「あの人の子どもならいいな、と思っていたのよ」
外を見たまま、ぽつりユーリアはそう言った。
「だから、あの噂を否定しなかった——。
噂というものは、騒がず受け流す方が早く沈静化すると知っていたからというのもあるけど」
アドルフには辛い思いをさせました、とユーリアは言う。
「王妃様、アドルフ王子は王様のお子なのですか?」
ユーリアはそこで黙る。
「森の中を歩いていたら、美しい花畑があったのです」
えっ、と未悠はユーリアの顔を見た。
「私たちは内緒で、その花畑へと何度も出かけました。
そこが禁忌の地である塔の近くとわかっていたけれど。
私は望まぬ結婚を控えていて、なにか気を紛らわすことが必要だった。
そんなある日、帰る道を間違え、私とエリザベートはあの塔の前に出たのです」
その偶然が、エリサベートとユーリアの人生を変えてしまった。
今のユーリアの目にもまた、タモンはただの若造に見えているのかもしれないが、彼が二人の運命を変えた人物であることは確かだ。
「アドルフがタモンの子どもであるということはありません。
私たちの間にはなにもなかったのですから」
「えっ、でも、タモン様は……」
「あの人はなにかあったと思っているようだけど。
なかったの。
なにもなかったことが悔しくて、私は否定しなかった。
親友であるエリザベートを出し抜いてまで、タモン様のお側に行ったのにね」
好きな相手となにも間違いが起こらなかったことが悔しくて。
好きでもない相手とそのまま結婚してしまうことが悔しくて。
「塔の前で発見されてしばらくして、私の妊娠がわかって。
妙な噂など相手にしない方がよい、という態度を取りながら、その実、噂が広まればいいと思っていたわ。
アドルフが生まれるまでは。
あの子が生まれてからは、悪い噂があの子の身に害を及ぼさなければいいなと思っていたけど。
それでも、私は、やはりなにも言わなかった。
だって、言ったでしょう?
なにも言わない方が噂が沈静化すると知っていたから」
「あのー、アドルフ様には、はっきり言ってもよかったんじゃないですか?」
「だって、根も葉もない噂だと私は振舞っているのに、わざわざ否定するのもおかしいじゃない。
それに、貴女なら信じる?
浮気していたかもしれない母親が、貴方はお父様の子なのよと言ったところで」
「……あの、ちょっといいですか?
あまり城にいらっしゃらないのは、アドルフ王子が他の人の子どもかもしれないということで、家庭が崩壊しているからというわけでは」
「なにも崩壊してないわよ。
私はやりたいことをやりたいようにやっているだけ。
アドルフだって、いい年して、母親にずっとベッタリされてるのも嫌でしょう」
「……そう言ってあげてくださいよ、アドルフ様に」
と言ったあとで、未悠は言った。
「でもちょっとそうかな、とは思っていました。
子が親に似ていないことは
タモン様に似ていることはもっとありうる。
だって、あの方、かつての王のご兄弟なんですよね?
じゃあ、アドルフ様のご先祖様じゃないですか。
アドルフ様は、きっと、ただの先祖返りなんですよね。
隔世遺伝みたいな」
と言うと、ユーリアは、
「貴女は莫迦ではないようね」
と言い出した。
「でも嫁って、姑からすると、莫迦でもムカつくし、賢すぎてもムカつくものなのよ」
うっ。
そうかもしれませんね、と思っていると、
「まあ、貴女も息子を持てばわかるわ」
と少し笑って言ってくる。
「貴女、アドルフのことを好きかどうか自信がないようだけど。
私の目から見れば、貴女はアドルフを好きなように見えるわ」
「どっ、どうしてですかっ?」
あの顔に引っかかりがあるせいで、アドルフ自身を見られないでいる未悠は思わず、身を乗り出し、訊いた。
路上で易者の意見を聞こうとするように。
「貴女とアドルフが私の前でもめていたとき、私にはいちゃついているようにしか見えなかったの。
ムカッと来たから間違いないわ。
姑の勘を信じなさい」
そ、そうですか……。
「アドルフは今、絶対、貴女を心配して、扉の向こうでウロウロしているわ。
わかるのよ、母親だから。
そして、ムカつくのよ、母親だから」
畳みかけるようにそう言ってくる。
そ、そうですか……。
「未悠、私のこのムカつく気持ちを抑えたいのなら、さっさと孫の顔をお見せなさい。
そしたら、まあ、この女も可愛い孫の母親だから、この世に必要ね、と思えるから」
……では、可愛い孫の母親でなければ、この世に必要ないのでしょうか、と青ざめながら、話を聞いていると、
「冗談よ」
と今度は、まったく笑わず、ユーリアは言う。
いや……そこはぜひ、笑ってください、と思っていると、
「息子をよその女に取られるというのは、母親にとって、そのくらいの衝撃があるということなのよ」
とユーリアは言ってきた。
「だから、アドルフを大事にしてね。
まあ、長く夫を大事にしてこなかった私が言えた義理ではないけどね」
と自分で言う。
「でも、今は
滅多に出会わないから、お互い、その場だけ、最高の夫や妻を演じられるの」
そ、そうなんですか……。
「お互いのアラが見えてこないから、なかなかいいわよ。
貴女も結婚しても、別居してみたら?」
そ、そうなんですか……。
いえ、私はそういうのはちょっと、と心の中だけで返事をする。
「さあ、お行きなさい。
アドルフが待っているわよ」
そう言ったユーリアは立ち上がり、部屋を出て行くよう、未悠を促す。
「ありがとうございます、王妃様」
と自らの秘密を話してくれたユーリアに丁寧にお辞儀をしたが、
「貴女のお辞儀、アデリナとそっくりね」
と言われてしまった。
未悠は、まだ頭を下げたまま、さすがだ……と思っていた。
ただの人真似なことがわかっているらしいと思ったが、ユーリアは、
「いいのよ。
そうして身につけていくものよ。
礼儀作法も美しい動きも」
そう言ってくれる。
いろいろと釘も刺されたが、嫁となるかもしれない自分には、真実を話しておこうと思って呼んだのだろうな、と思う。
息子の最も近くで、息子を守ってくれるはずの存在である嫁に。
そんなことを考えながら扉の外に出ると、ユーリアの予言通り、アドルフがウロウロしながら待っていた。
ちょっと笑ってしまう。
「やっぱり、『お母さん』ってすごいですよね。
普段、側に居なくても」
と言うと、
「なんの話だ」
と言われてしまったが。
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