その顔でそのセリフは禁句です


 シリオとエリザベートは居なくなり、未悠はひとり、王子の部屋に残された。


 落ち着かなく辺りを見回している間、アドルフは腕を組み、じっとこちらを見ている。


 間を持て余した未悠は、へらりと笑い、

「す、すみません。

 では、私もこの辺で」

と行こうとした。


「待て」

と腕をつかまれる。


「何処へ行く気だ」


「お、お話も終わったようですし。

 部屋へ帰ろうかと――」


 すると、

「お前の部屋はもうない」

と言われる。


「王子の妃になろうかというものが、あんな簡素な部屋に寝泊まりせずとも良い」


「で、では、一度、酒場に帰って、結婚の報告を」


「それは私も共に行く。

 今帰って来られても、酒場の者たちも迷惑だろう」


 そ、それはそうですよねー。


 こんな時間に帰っていっても、村の人たち、もうみんな寝てますよねー。


 遅くまで呑んで帰ったら、こんな時間に帰るくらいなら、朝帰りしろと家族に怒られたという話を聞いたことがありますよー。


 などと考えていると、

「花嫁が何故、私の寝室から逃げようとする」

と言われる。


「いやっ。

 まだ結婚してませんしっ」

と往生際悪く叫んでみたが、


「未悠」

と呼ばれて、壁に押し付けられてしまった。


 苦手な顔が間近にある。


 未悠は引きつりながらもアドルフを見上げ、言ってみた。


「あのー、王子は壁ドン、ご存知なんですか?」


 カベドン? と訊き返された。


 いやー、そういうイントネーションだと怪獣の一種みたいなんだが……と思っていると、アドルフは、

「壁ドンとはなんだ?」

と壁ドンしたまま、訊いてくる。


「えーと。

 そうやって、女性が殿方に壁に押し付けられたりすることです。


 好みの男性だと、女性は喜ぶものなのだそうですよ」

と言うと、


「では、お前も今、喜んでいるか?」

と大真面目な顔で問われた。


 いやいやいや。

 喜んでいるように見えますか?


「いえ、私はちょっと……怖いです」

と正直なところを言うと、そうか、と言って、アドルフは離してくれた。


「お、王子。

 あの、私は、結婚までは清くあるべきだと思うのですが」


 そう言ってみたのだが、アドルフは、

「いや、結婚までは待てんな」

と言い放つ。


 聞きようによっては情熱的なのだが、アドルフによると、

「式がいつになるかわからないから待てない」

ということらしい。


「え、いつになるかわからないってどういうことですか?」

と訊くと、


「式は、一族の者がそろわなければ執り行えないのだが、戦だ、避暑だなんだと、みな滅多に城には帰ってこないのだ」


「そ、そうなのですか」


 式がなかなか行えそうにないこと自体はいいことなのだが。


 とりあえず、今、逃げる理由がなくなってしまったな、と未悠は思う。


「ではあの、せめて、ご両親にだけでも、こちらから出向いて、ご挨拶をしてから」

と逃げの口上を言ってみたのだが、


「遊び歩いている母上に挨拶なぞよい」

とアドルフは言う。


「では、お父上に」


「死にに行く気か、戦場に居る」


 すげなくそう言い捨てたあとで、

「未悠。

 お前は数々の戦いを勝ち抜いて、今、此処に居るのではないか。


 妬みや嫉み、すべての争いごとをはね除け、勝者となって此処に居るのだろう」


 いや、人によっては、結構和やかでしたけどね~と親子でにこやかに手を振ってくれていたあの貴族の家族を思い出しながら思っていた。


「お前も勝ち抜いた歴戦の勇者なら、見事、戦利品を手に入れろっ!」


 貴様、それでも軍人かっ、くらいの勢いで怒鳴られたが、私は別に軍人ではない。


 なんだろう……。


 ジャンケン大会の商品がショボい変な人形だったとしても、断れないのに似ているな、と未悠は思った。


 いや、仮にも王子なのだから、ショボいなどと言ってはいけないのだが。


 確かに惚れ惚れするような男前だし、王子だが。


 望んでもいないのに、目の前に押し付けられて、さあどうぞ、と言われても引く。


 この顔だしな……と思いながら、固まったままでいると、アドルフは、

「未悠。

 私も男だからな。


 お前が妃に決まったとはいえ、このままずっと、なにもさせないままだと、そのうち、浮気するかもしれないぞ」

と脅すように言い出した。


「……アドルフ王子」


 未悠は俯き、かつてないくらい低い声でその名を呼んだ。


「貴方は今、言ってはならぬことを言いました……」


 うん? と不穏な気配を感じて、アドルフが自分を見下ろす。


「貴方は今、決して、その顔で言ってはならないセリフを言いました」


 そう言い様、未悠はおもむろにドレスの裾をめくる。


 王子へのサービスではない。


 白い腿にガーターベルトで引っ掛けていた短剣を取ると、その鞘を落とし、王子に向けた。


「ま、待て、未悠っ。


 浮気とか、冗談だ、莫迦っ。

 殺す気かっ。


 お前に本気なのに、私が浮気などするわけないだろうっ!」

とアドルフは必死に叫ぶ。


 だが、未悠は聞いていない。


「……大丈夫ですよー、王子。

 痛くないですよー」

と遠い目をして、子どもに言い聞かせるように呟く。


「痛くないし、眠るだけとシリオ様もおっしゃってたじゃないですかー」


 ははは、と笑う未悠に、

「……目が据わってるぞ、未悠」

と怯えたようにアドルフが言う。


 いや、貴方がその顔で、浮気とか言うからですよ、と古傷をえぐられた未悠は、抜き身の短剣を持ったまま、ジリジリと前へ出る。


 王子もまたその切っ先を見つめたまま、ジリジリと後退していく。


 未悠は王子を追い詰めながら思っていた。


 それにしても、この城の警備体制はどうなってるんだ。


 王子がピンチなのに誰も来ないが、大丈夫か? と自分でピンチにしておきながら、思う。


 未悠は王子に壁ドンしながら、その喉許に切っ先を突きつける。


「往生際悪いですよ、王子……。


 貴方が悪いんですよ」

とシリオが聞いていたら、いや、完全にお前が悪役だろう、と言ってきそうなセリフを呟く。


「貴方がおかしなことを言い出すからです。

 またその顔で浮気とか」

と言って、


「またってなんだ?」

と言われてしまう。


 その顔でそう問われ、じんわり泣きそうになった。


「……私、貴方にそっくりな人が好きだったんです。


 想いは通じ合っていると思っていたのに、浮気されて、捨てられました。


 だから、貴方の顔が嫌いです。


 どんなに綺麗でも」


 理不尽ですよね、すみません、と未悠は短剣の先を向けたまま言った。


 この人を刺しても、あの人に復讐した気にはなれないだろうと思いながらも。


 だって、自分の中では、もう完全にこの二人は別人になっているから。


「だが、お前、それはなにかの勘違いじゃないのか」

とアドルフは言い出した。


「お前を振る男など、この世に居るはずもない」


 ……いやー、なんだかんだで、王子だなあ、と少し冷静になりながら、未悠は思った。


 そんなセリフを恥ずかしげもなく言うとはな。


 そう思いながらも、未悠は短剣を王子に向けるのはやめた。


 今の王子の言葉に、酔いつぶれたときのことをもう一度思い返してみようと思ったのもある。


 鞘にそれをしまいながら、

「すみません。

 今日はやっぱり帰ります」

と言うと、


「待て。

 帰る場所などもうないと言ったろう」

と言われてしまった。


 また、なんだか泣きそうになる。


 帰る場所などない、という言葉に、此処へ来てからのことをいろいろと思い出してしまったからだ。


 剣で脅したり、泣いたり忙しい女だな、と思っているだろうと思ったのだが、そんな情緒不安定な未悠に呆れることなく、アドルフは、

「……わかった」

と言ってきた。


「今日はなにもしないから。

 来い、未悠」


 抱っこしてやる、と言い、アドルフは未悠の腕をつかむと、おのれに向かい、引き寄せた。


 そっと未悠を抱きしめてくれる。


 泣いて駆け寄ってきた幼子にそうするように。


 ……なんだろう。

 落ち着くな。


 素直に目を閉じ、未悠は思っていた。


 あの人とは違う。

 華やかな匂いがするのに。


 周りに居る人々の香水の香りが移ったのだろう。

 雑多だが、艶やかな香りが王子からはした。


 初めて会った森の花畑を思わせる――。


 目を閉じ、アドルフの胸に身を寄せていた未悠だったが、大きく息を吸うと、アドルフから離れて言った。


 どうした? とアドルフが自分を見下ろす。


「王子。

 ありがとうございます。


 今度は私が抱っこしてあげますよ」

と笑って両手を広げてみせると、


「……なんでだ」

とアドルフは少し赤くなり、言ってきた。


「人に寂しいだろうから、抱っこしてやろうってすぐに言う人間は、きっと自分がそうして欲しい人だからです」


 アドルフは苦笑した。


 なるほど、と言い、未悠に一歩近づく。


 アドルフの大きな身体を未悠はそっと抱きしめた。


 ……あの人にもこうしてあげればよかったかな、とちょっと思いながら。


 しばらくそうして、ただ抱きしめていたが、そのうち、アドルフがそっとキスしてこようとした。


「いやいやいや」


 調子に乗りすぎです、アドルフ様っ、と未悠はアドルフの形のいい鼻をつまみ、上へと持ち向けた。


「いやいやいや。

 お前、私の妃だろう。


 おやすみのキスくらいいいんじゃないのか?」


「いやいやいや。

 さっきしませんでしたっけ?」


「まだしてないぞ」


「いやいや、会場でしましたよ」


 いやいやいや、いやいやいや、と夜が更けてもまだ、二人で言い合っていた。






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