相棒よ、ゆっくり休んでくれ。
「やった!」
「よっしゃあ!」
「ナイスバッティング!」
俺よりも、アンダー社の3人の方がこの1本のヒットという結果が嬉しいようだ。
ベンチの中は邪魔になるからと、俺が貸したビクトリーズカラーのジャンバーを着てバックネット裏の簡易スタンドに移動した彼らは、俺がヒットを打った瞬間、思わずその場で立ち上がるようにして喜びを露にした。
端からみれば、俺の身内か追っかけ3人組人見えてしまう。
そりゃあ、嬉しいでしょう、そうでしょう。
今回野球用品にも着手していくということで当然社運が懸かっているといっていいそのバットで、今シーズン141本のヒットを放ったルーキーがそのままのいい手応えで結果を残したのだから。
たかが秋キャンプの1軍半レベルのピッチャーの失投気味のボールとはいえ、これで俺がいいよー、年間契約するよーと、首を縦に振る可能性が増えたのだから。
これを打ち損じたりして、このバットは何か違うなあ。汎用バットのが使いやすいなあみたいな展開になったりしたら、彼らにとってはなかなかの地獄だ。
そう考えても、今日わざわざバットの開発者と綺麗目なお姉ちゃんを引き連れてまで、群馬の山奥の野球場に来た甲斐があるってもの。
そんな形になりながらも、俺も誰かの役に少しは立っているのかなあと、妙な充実感を得てしまっていたりもする。
「……走った!!」
少し肌寒い秋の乾いた風が吹き抜ける山奥の球場に、守っている野手陣の声が響く。
打順は先攻組の3番、高田さんに回ったところ。
その初球。
ピッチャーの間合い、セットポジションに入ってからの首の動かし方。足の上げ方。
それら色々なものを見極めて、俺は2塁ベースに向かって勢いよく駆け出した。
リードの距離も十分、タイミングも十分。何より、後攻チームの相手バッテリーが俺の盗塁など無警戒だった。
それもそう。今シーズンの盗塁がゼロであるどころか、盗塁企図すらもゼロ。
鈍足外国助っ人並みのゼロ感。
ときたまで、2アウトのランナーとしている時に、ベンチから行けたら行ってもいいよのサインが出たことはあったが、企画しようとはしなかった。
そんな俺が秋キャンプの実戦練習になった途端、突然のスチール敢行。これにはチームメイトである後攻チームも、マジかよといった表情。
こんな自分がたまらない。
「よっしゃ! セーフ!!」
キャッチャーの送球は少し上に逸れて、ジャンプして捕球したショートのグラブが俺の足を叩いたのはベースについてから。
見事盗塁成功だ。
かなりピッチャーの間合いやモーションを盗んだ感覚だったわりには、結構ギリギリでしたが。
バットもさることながら、グラブもアンダーさんが持って来てくれたものを左手にはめる。
今シーズン使っていたのは、何を隠そう高校時代かねピッチャー用のものと、社会人時代のオールラウンド用。
そこそこ年季の入った、12年、10年もののグラブを1年間使い回していた。
黒色をベースとしながら、ビクトリーズカラーのピンクをウェブやベルトや指カバーなどに施したスタイリッシュなデザイン。
外野手用グラブとしての機能を保ちつつ、全体を軽くコンパクトに仕上げて、ダッシュ時や球際での使用感を向上させている。
カアンッ!!
早速、後攻チームの1番バッターの打球が左中間へ。
スライスしながら俺の方向へと迫ってくる打球に俺はスライディングを試みる。
芝生に足から滑り込み、体の左側にグラブを構え、地面にバウンドするギリギリでボールにグラブを差し出す。
しっかりグラブの真ん中に打球が入った感覚があった。
「オッケイ、ナイスキャッチ!!」
背後をカバーに走っていた柴ちゃんからお褒めの言葉が飛ぶ。
スライディングした勢いでそのまま軽やかに立ち上がり、ボールを内野に返す。
いい感触だ。
やはりグラブは、使いなれたものの方がいいかもと思っていたが、問題なさそう。
今はもういないじいちゃんに買ってもらったグラブを卒業する時が来てしまったようだ。
俺と青春を必死に追いかけた、汗と苦労と涙が染み込んだグラブ。
今までありがとな。
実戦練習の最後のバッターの最後の打席。その最後のスイング。
外角のボールゾーンに逃げる変化球を引っ掛けた形になり、ワンバウンド、ツーバウンドでセカンド正面へのゴロ。
これを今年、セカンドのレギュラーを獲得したといっていい守谷ちゃんが丁寧に捌いて無難に1塁へ送球してアウト。
午前の部の練習が全て終了した。
「よーし、みんなでグラウンド整備をして昼飯だー」
「「ういー!!」」
投手陣、野手陣みんな集まってトンボを持ち、腹を鳴らしながら、わっしゃわっしゃと荒れた内野グラウンドをきれいにする。
今日はシーズン中と違ってスタッフが少ない。普段はお任せしている雑用や片付けも選手達で分担して行い、午後の守備練習の準備も整えて、手洗いうがいをして食堂へ向かう。
いいオイニーが漂う食堂の隅。4人掛けのテーブルを確保して、食事も4人分用意して、アンダー社の3人をお招きした。
「ささ、皆さん。こちらにどうぞ。外の人でも選手と一緒なら食べられますので」
俺はそう言って、少したじろぐ3人を呼び寄せて、テーブルに縛り付けた。
「「それじゃー、いただきまーす!!」」
両手を合わせて、色々なものに感謝をしながら、まずはおおぶりなエビの乗ったシューマイを口に運んだ。
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