ギネス新井さん

37歳のおじさんが毎日、我が子のように可愛がっている真っ黒のバット。松ヤニスプレーでベッタベタのバットの芯にボールがぶち当たる。



決して打てないボールじゃない。柴ちゃんと俺の打席をよく観察していたキャプテンはしっかり狙いを絞って、初球を迷うことなく振り抜いた。



激しくシバき叩かれた白球が宇都宮の夜空に上がる。


思わず反射的にマウンド上のピッチャーが打球に振り返り、キャッチャーも遠ざかる打球を見ながら、構えていたミットを下ろす。


打った阿久津さんはゆっくり歩き出しながらバットをポーンとファウルグラウンドに投げ捨てながら打球を見上げる。


ボールはスタジアムの照明に照らされながらグングンと伸びていき、レフトスタンドへ。追いかけていたレフトが諦めた打球はレッドイーグルファンで埋まる客席のど真ん中。


楽々と中段まで飛んでいった。



その瞬間、1塁ベンチがやったあ! と、盛り上がる。





軽やかな足取りで阿久津さんがダイヤモンドを1周する間に、ビクトリーズファンから阿久津コールが鳴り響く。



それは阿久津さんが3塁を回っても、ホームインしても終わることはなく、ベンチ前でのハイタッチを終えて、ヘルメットを取りながら阿久津さんがライトスタンドに手を上げるとようやく大きな拍手に変わった。










という展開でビクトリーズファンが喜んでいたのは次の回までだった。


3回表には4連敗中のレッドイーグルス打線が奮起。


うちの先発、碧山君の甘く入った変化球を見逃さずに、8番からピッチャーのバントを挟んでの実質4連打であっさり逆転。碧山君をマウンドから引きずり下ろした。



うちも3回裏に守谷ちゃんのホームランで1点を返し2ー3とするも、負けじとレッドイーグルスも2番手千林君から2本のホームランを放ち2ー5。



3点ビハインドで6回裏。俺に第3打席が回ってきた。



1打席目はライトフライ。2打席目はセカンドゴロ。



ともに早いカウントから打ちにいってしまって、相手バッテリーの術中にハマってしまった感じだ。もっとボールを見極めて、好球必打でいかないと。


3度も同じやられ方はせんぞ。今日はなんだかホームラン祭りになりつつあるから、俺もそろそろ1発かまさないと。



という作戦で4球投げさせて1度もバットを振らずにカウントは2ボール2ストライク。


さあ、ここで決め球を投げてくるだろうというところで、ボールがど真ん中にきた。


しかも、ビュイン! と速いボールではなく、変化球の投げ損ないの力のないボール。



もちろんこれは見逃すはずがない。








あとは打ち損じをしないように、レベルスイングできっちりバットの芯にボールを当てるだけ。ホームランなんてムリムリなんだから。最終戦だからって、色気を出す必要はない。




力まず、騒がず、自分の出来ることを。


トップの位置から振り出したバットに負けないように腰を回転させて、しっかり頭を後ろに残してうらぁ! と、バットを振り抜く。


ボールの真ん中をしっかり捉えた打球は珍しく三遊間へ。


しかも、サードとショートが1歩も動けないくらいに見事に真っ二つ。若干ドライブがかかった打球がインフィールドラインで強くバウンドしながらレフト前に抜けていく。



そんな気持ちいい打球を見ながら俺はニッコリ、ゆっくりと1塁ベースに到達した。



すると…………。



「北関東ビクトリーズ、選手の交代をお知らせします。ファーストランナー、新井に代わりまして杉井。ファーストランナーは杉井」



代走を出された。



足の速い杉井君がヘルメットをかぶりながら1塁ベンチから飛び出してくる。



そんな彼が俺の側まできてこう言った。



「新井さん。ギネス記録おめでとうございます」



「は?ギネス記録?」



何言ってんねん、こいつ。



そう思っていたら、杉井君がさらにバックスクリーンを指差した。






〈ビクトリーズ新井時人選手、シーズン連続420打席無三振のギネス記録おめでとうございます!!〉


と、俺が放ったヒットのリプレイシーンをぶっつりと切って、そうデカデカと表示されていた。せっかくのきれいなヒットシーンだったのに。



そしてピチピチツヤツヤな短パン姿の小綺麗なお姉ちゃんが2人現れ、使い回しが利く造花の花束と420無三振ギネス記録! と書かれた俺のイラスト入りのデカイボードを俺に手渡す。


リハーサルは万全といった感じの慣れたビジネススマイルだ。



そしてチームメイト。うちの監督、コーチ。スタンドのお客さんも。グラウンドの相手選手も。


なんだかパチパチパチパチと祝福ムードになったので、花束とボードを両手で掲げながら、俺はゆっくりとベンチへ下がった。




「おめでとう、新井」



「おめでとう」



「おめでとうございます」



「おめでとう」



「新井さん、おめでとう」



ベンチに戻ると、すっとんきょうな顔をした俺にコーチやチームメイトはそう言うがなんだかピンとこない。



これがホームランのシーズン記録とかそんなんなら、俺もそれ相応の喜び方やリアクションが取れるのだが。



急に無三振のギネス記録とか言われてもねえ。
















あれ? 俺って1回も三振してなかったの?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る