最後は真顔で去る新井さん

まるで時が止まったかのようだった。


ワンバウンドのボールを掬い上げて、バットを投げ出しながら1塁へ走り出す俺。


ボールを投げ終わった体勢で、はっとした表情で打球を見上げるピッチャー。


打球に向かって後ろに足を踏み出すサード。その打球の落下点。3塁線に向かって勢いよく走り出すショート。


その向こうでレフトの選手もこちらに向かってダッシュしてきている。



2塁ランナーの柴ちゃんは当然3塁に向かって走り出す。


ベンチから身を乗り出するチームメイト達。息を飲んで打球の行方を目で追いかける両チームのファン。揺れるポニテちゃんの胸。テレビの前で祈るようにして手を合わせるみのりん。その横で缶ビールを煽るギャル美。


そこまで見えた。


それくらいの余裕があった。




「打った!………あっ、打球は3塁線だ!……サードバックする! バックする! 落ちた! ライン際、フェアーだー!!………柴崎が3塁を回る!回ってくる!!……追い付いたショートからの送球!


ワンバウンド、送球逸れた! 柴崎ヘッドスライディング!ホームイーン!! サヨナラー!! ………あーっ、打った新井が1塁を踏んで、チームメイトを押し退けてベンチへ猛ダッシュだ!そのままどこかへ消えていきました! さよーならー!!」









真顔。



ワンバウンドを打っちゃうとか無茶苦茶なバッティングだったけれど、ヒットはヒット。1点は1点だ。


サヨナラになると分かり、1塁ベースを踏んだ後にホームベースの方を振り返って柴ちゃんがヘッドスライディングでホームインした瞬間から、俺は真顔だった。


水の入ったペットボトルや紙コップを持って、ベンチから飛び出してくるチームメイト達にラリアットをかますような勢いですれ違うようにして、俺は真顔でベンチに駆け込む。


一瞬だけ目のあった、やったぁ!サヨナラだぁ!みたいな顔をしていた萩山監督に向かっても、右手を上げて、ほな!さいなら!とだけ言ってベンチ裏に消える。



約束は守ったからね。俺のバットで勝利を手繰り寄せたからね。何も文句はないはず。


そんな気持ちのダッシュ中に、宮森ちゃんと出くわす。


「新井さん、やりましたね! 今日のヒーローインタビューは新井さんですよ! ついに初めてのお立ち台ですね!!」


宮森ちゃんはそう言いながら、まるで自分のことのように嬉しそうな表情をする。


しかし、そんなものは関係ない。


「ごめん、宮森ちゃん。ちょっとヤボ用があるから、ヒーローインタビューは別の誰かでよろしくやっといて! 今度またご飯ご馳走するから! そんじゃ、バイビー!!」


「ええー!? ちょっと、新井さーん!?」








宮森ちゃんの悲痛な叫びを背中で受け止めながら、ウォーミングアップエリアの小さい棚の中にこっそりと隠しておいた財布とスマホだけを持ち、スパイクからスニーカーに履き替えて、俺は外へ向かう通路を激走。


途中、警備のおっちゃんに悪球打ちでサヨナラだね!?などとびっくりされながら、俺は通用口の扉を開けて、スタジアムの外へ。


そして試合前に電話で打ち合わせていた通りに待機していたタクシーに、ユニフォーム姿のまま乗り込む。



「新井さん、お待ちしておりました!」


とは言いつつも、タクシードライバーのおじさんも驚いている様子。


ラジオで試合の経過を確認していたようで2分前にサヨナラタイムリーを打った人間が自分の運転するタクシーに乗り込んできたのだから、それはビビるのも無理はない。



つまりはあまり時間もない。



挨拶もそこそこにすぐにタクシーを発進させてもらった。



「ポニテ大学までやっちゃってちょうだい」



俺が後部座席に乗り込み、シートベルトを閉めながらそう告げると、ドライバーさんはギアを入れ、ハンドルを回した。


「かしこまりました!」



タクシーはすごい勢いでぶいーんと走り出し、スタジアム内の敷地を疾走。すぐに国道へ出て、ポニテ大学に向かって、法定速度ギリギリで宇都宮の街をひたすらに走り抜けていく。








「到着致しましたよ、新井さん!」


「どーも。お釣りは取っておいて下さい」


ビクトリーズスタジアムからタクシーで20分ほど。


ポニテちゃんが通うポニテ大学に到着。学園際!と、豪華に飾り付けされた正門前にタクシーで乗り付け、支払いを終えた俺は大学の敷地内に、ユニフォーム姿で堂々と足を踏み入れる。


ふう。なんとか閉門までには間に合ったな。


目の前には大きくてきれいなキャンパス。まるで仮装大会みたいに自作のさまざまな衣装に身を包んだたくさんの学生。


たくさんの活気に溢れた男女が問わず入り乱れるようにして楽しそうにしており、イベントスペースや立ち並ぶ屋台には一般のお客さん達で大いに賑わっている。


こうして大学に来たのなんて初めて。高卒の俺にとってはなんだかとても新鮮だ。



しかし、そうのんびりもしていられない。早くポニテちゃんの学部がやっているというオリジナルカレー屋を見つけなければ。



俺は四つん這いに地面を這いつくばってクンクンと鼻を利かせる。



むむっ!? 向かって右の屋台群から少し汗をかいたポニテちゃんのいい匂いがするぞ!


俺はその匂いがする方へ、格好なんて構っていられない、そのままの4本足スタイルで一目散に向かった。

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