VS寮長のおっちゃん。
とは言っても、気持ち的に何かを掴みかけていた今日は試合して、1本だけでもいいからヒットを記録して楽になりたかったのだが、雨では仕方ない。
しかし、いくら強い雨とはいえ、体を休めるという名目で1日家でダラダラしているのはもったいないので、俺は外出することにした。
ハーフジーンズに青のポロティー。
長靴を履いて、ジャージを入れたリュックサックを背負って、傘を差しながら俺は家を出た。
あるいてバス停まで行き、宇都宮駅方面ではなく、郊外の市民会館方面へ。
その途中の住宅街近くで、俺はバスを降りた。
よくある閑静な住宅街だが、バス停から少し歩いたところに、2軍の寮と隣接する室内練習場がある。
今日はクラブハウスとビクトリーズスタジアムは開いてないだろうから。
たまには気分を変えて、1軍よりは質素な施設で自主練習に励もうと思ったわけだ。
「こんちはー! おっちゃん、久しぶりー」
俺は寮の管理室を覗き込み声をかけた。
すると、管理室の奥で、椅子に座ってスポーツ新聞を読んでいたおっちゃんが顔を上げた。
「おー、新井くんじゃないか! どうしたー」
寮長のおっちゃん。白髪混じりの細身な体型な60歳前後。名前は知らん。
そんなおっちゃんは俺に気付くと、驚きながらの中に少し嬉しそうにしながら、椅子から立ち上がって老眼鏡を外した。
「どうした? メシ食いにきたのか?」
「あっはっはっ。そこまでがめつくないっすよ。もうバリバリの1軍選手のつもりなんですから。………まあ、今日はこんな雨なんで外で出来ないんで、ここの室内練習場を借りようと……。なんとなく掴みかけたものもありましてね」
「ああ、そうか。1軍は中止になっちまったもんなぁ。今、カギ開けてやるから待ってろ」
おっちゃんは振り返って、キーボックスの中から、白いタグ付きのカギを取り、管理人室を出てきた。
「いやー、カギだけ貸してもらえれば大丈夫っすよ。1時間くらいで帰るんで……」
俺は悪いと思いそう言ったのだが、おっちゃんは首を横に振り、玄関でアップシューズに履き替えた。なんだかご機嫌だ。
「いいんだよ。2軍の連中は、夜に遠征から帰ってきたからまだ誰も部屋から出てこなくてどうせ暇だからよ。………ちょっとバッティングやりたいんだろ? ……俺が投げてやるよ」
おっちゃんはそう言って、年季の入った茶色のグローブを取り出し、雨が降りしきる中、ちゃっちゃか走って、寮の玄関から飛び出していった。
元気なおっちゃんだなあ。
俺はそう思って、おっちゃんの後を追うように、雨を凌ぎながら室内練習場に向かった。
雨がトタン屋根を強く叩く室内練習場。
風が吹けば時折横殴りに降ってくるせいで、窓を開けることも出ない。ジメッとした独特の微睡むような匂いに砂ぼこりの渇きが混じる。
徐々に高まる不快指数を感じながら、まずは軽いダッシュとストレッチ。20メートルくらいの距離でのキャッチボールを済ませると、おっちゃんが防球ネットとヘルメットを2つ。
さらに、ボールがいっぱい詰まったカゴも用意した。
「バッティングやりたいだろ? 投げてやるよ」
およそ15メートルほど先で、おっちゃんがヘルメットを被る。若干薄くなった頭皮に躊躇わずに、ヘルメットを被る。
「本当に投げれんすか?」
「たわけ! こう見えても35年前は宇都宮大学のエースとしてバリバリ投げとったわ!」
「マジで? 無理しないでよ!」
本当か嘘か、半信半疑、雨あられだが。おっちゃんは右肩をぐるんぐるん回し、カゴの中のボールを懐かしそうに握る。
「いくぞー、新井くん!」
「おう!きやがれ、うすらハゲ親父!」
「うすらは余計じゃー!!そりゃー!」
おっちゃんはセットポジションの格好になって、小さく足を上げ、ピョイっと投げてきた。
お! ナイスコントロール。
カンッ!
真ん中低め。
打ち返した打球がおっちゃんのうすら頭を越えて、後ろのネットに当たった。
「お、ナイスバットコントロールだ。次はアウトコースだ!」
そう言いながらおっちゃんがボールを放る。
本当にアウトコースにきた。
しかも、低めギリギリ。
俺は後ろに体重を残すことを意識しながら、右に流し打つ。
カアンッ!
よし。1、2塁間のライナーヒットだ。
「次は内側だ! そりゃ!!」
俺のこれからの課題は、インコースの捌き方。
俺のあまりにも右に偏りすぎているヒットゾーンを見れば、当然相手はインコースを攻めてくる。
そのインコースのボール。特に速いボールに対してどう対応するかが、俺がプロ野球でやっていけるかどうかの分岐点になる。
そう考えていた。その考え方は間違いではないと思う。
コーチもチームメイトの先輩達も口を揃えて同じこと言うし。
偉そうに。
そのためには、インコースを捌く技術とパワー。これが絶対に必要だ。
インコースを攻められたら、それを引っ張ってきっちり打ち返す。あわよくば長打に出来るようなバッティングが出来れば、執拗にインコースを攻められることも無くなるだろう。
後半戦始まったばかりの俺はそんな思考に至っていたのだが、これが大きな間違い。
そういうことではなかった。
俺はそんなバッティングが出来る選手ではなかったのだ。
過去に、流し打ちに定評があった右バッターの映像を見てみたが、俺と比較的似たタイプの選手の何人かは、インコースのボールだって、きっちり右方向にヒットにしていたのだ。
左足を引くようにして、それでもおへそがピッチャーよりも右の方向に向けるようにしながら右打ちしていたのだ。
アウトコースはとにかく流し打ち!それが俺のバッティング! みたいに言って、図に乗ってた俺が、じゃあインコースもコースに逆らわずにレフトに引っ張ってやろう!
という考えに至っていたのが、実に短絡的であり、正直自分自身を何も分かっちゃいないただの大馬鹿野郎だったのだ。
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