夜の自主トレは心が洗われる。

俺、退場になったから今日でクビになったのかな?だからみんな優しいのかな?


そう思ってしまうくらい、年齢の上下を問わず気を使われて腹がいっぱいになった食事は終わり、デザートのアイスをまたしてもいただいた俺は、シュシュっと外出することにした。


負けたから、外出禁止なんだけどね。


でも関係ないね。俺は途中で退場になったから、関係ございませーん。


こんな夜はね、タクシーかっ飛ばして、可愛いお姉ちゃんがいるきらびやかなお店で1杯引っかけでもしないと、やってられませんよ。


ようやくまともな給料もたんまりと入ったわけだしね。


せっかくの横浜遠征ですから、楽しみましょう。


さて、行きましょう、行きましょう。


お出かけの準備を終えた俺は、よっこらしょっと荷物を持って、ホテルの正面ロビーから堂々と外へ出ていく。


回転ドアを通る直前、横目でちらっと見えた宮森ちゃんは、さすがに信じられないといった表情でお出かけしようとする俺をガン見していた。


しかし、いつもようにギャーギャー喚きながら止めることはしてこなかった。




ただ俺を見ているだけ。ツンとした顔で、本当にどうなっても、私は知りませんとばかりにそのまま俺をスルーした。



それが少しばかり寂しかった。







ホテルならではの回転ドアを自分もクルクルクルクルしながら通過した俺は、ホテルの外へ。


ビクトリーズの選手がこのホテルに泊まっているという情報が流れているのだろうか。


それを狙って、何台かのタクシーがホテルのロータリーに並んでいた。


そして俺が出て来て、先頭にいたタクシーの後部座席がバゴッと開いたが、タクシードライバーは、あれ? っと思ったことだろう。


出てきた野球選手は、ジャージ姿にバットを1本担いだだけの男だったのだから。



とても夜の街へ繰り出そうとする雰囲気ではない。


俺はタクシードライバーのおじさんに手を振ると、そのおじさんもちょっと苦笑いするようして開いた後部座席のドアを閉めた。


俺はそれを見ながら、タクシーを通り過ぎ、ホテルのすぐ側にある公園へと足を向けた。


滑り台と砂場。


それくらいしかない小さな公園だが、ホテルやその外観の明かりでちょうどいい素振りスポットになっていた。


俺はその公園に入り、コート1枚の下に、裸でおもちゃを仕込んでいるような痴女がいないことにがっかりしながら、ウォーミングアップがてら、バットの両端を両手で持ってぐるりんとして体を伸ばす。



そして、無心でバットを振り始める。


今日の試合を頭から振り返りながら、ただひたすらにバットを振り始めた。





暗く静まり返った、横浜の夜。向こうに大きな幹線道路でも通っているのだろうか。


遠くを走る大型車やバイクのエンジン音だけが微かに聞こえる。


俺が立つこの公園だけはまるで遠い別世界のよう。そんな空間で俺の感覚は、時間が過ぎる度に、研ぎ澄まされていく。そんな気分になった。


高く掲げたバット。左足を上げながら、バットを右肩に下ろしてボールを待ち受ける。今日対戦したピッチャーを思い浮かべながら。新鮮な残像を目の前で具現化させるように。



たまに目を閉じるようにしながら、迫り来るボールをイメージする。


左肩に壁を作るように。体を開かない。決してボールを迎えには行かない。



タメにタメて最後の最後までボールを見極める。



それが出来るから、流し打ちとは素晴らしいのだ。確かに飛距離は出にくいし、ノーパワーなんて言われてしまうのも仕方ない。



だからこそ俺はその流し打ちにこだわっている。



この打ち方こそ、俺がプロ野球で生き残る為の唯一の武器である。



いや、俺はこれしか出来ない。そう言った方が正しいだろう。


小学生の時打った初めてのヒットも。中学の地区大会の決勝で打ったサヨナラヒットも。


高校時代の気になる女の子が見ていた練習試合での会心のヒットも。


大阪で打ったプロ初ヒットも。



今思えば全部、流し打ちのヒットだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る