緊張しないで、新井さん。

カンッ!!


ストレートのタイミングで打ちにいった相手バッターが泳ぐようにして、バットに当てにいく。


しかし、バットの先で引っ掛けるのか精一杯だった。


力ない打球が、ピッチャーへの前へと転がる。


「ホーム!!」


打球をキャッチした奥田さんが左手に握り変えて、ホームへと送球。


それを受けたキャッチャーがホームベースを踏んで1塁へと転送した。


「アウト!」


見事なホームゲッツーが完成し、スタンドから拍手と歓声が上がった。


グラウンドの選手達が笑顔で走って戻ってくる。


「よーし、いいぞ!!」


ヘッドコーチとピッチングコーチも最後に戻ってきたピッチャーの奥田さんと握手を交わして、完璧な火消しを労っていた。


「1点取り行きましょう、1点!」


「先頭出ろよ、先頭! 頼むぞ!!」


8回ウラ。表のピンチを凌いで、俄然攻撃に気合いが入るムードになり、7番からの打順で代打が告げられようとしていた。





「北関東ビクトリーズ、バッター伊垣に代わりまして、田邊。バッターは、田邊!背番号34」


代打に起用されたのは、7年目25歳の田邊。ルーキーイヤーに10本のホームランを放ったパワーヒッターだ。


おっしゃあ! 1発たのんまっせ!! などと声を出す俺の背後に、知らんコーチが忍び寄る。


「おい、新井!」


せっかく盛り上がって声を出しているのに、わざわざ肩を叩いて水を差すコーチに歯向かう俺。


なんすか! ちゃんと声出してますよ! と適当な返事を返す。


「なんだ、お前。試合に出たくないのか? このままいったら、この回の攻撃が最後だぞ。試合に出たいなら後ろでバット振っとけ」


は!せや!リードしてるから、9回ウラがないじゃないか! 騙しやがって!!


俺は慌ててバットを持って、ベンチ裏へと引っ込んだ。




バットを握ってベンチ裏へと下がり、少し行った先に、前方左右に3面の鏡ゾーンがある。


3人くらいは同時にバットが振れるその真ん中の床に落ちているバットの先につける重りやマスコットバットは今代打で出て行った田邊のものだろう。


俺はそれを片付けて、自分しか写っていない大鏡を見つめながら、バットを構えてみる。


そこには、バットを構えただけで力んでいるのが分かる、高揚した様子の自分に気付く。


いかん、いかん。緊張してる、緊張してる。



俺は一旦バットを下ろして、改めて深呼吸した。


そして、また構え、顔を上げてみる。


「なんや。新井君、試合に出るんか」


俺の背後にいつの間にか、関西弁のトレーニングコーチが立っていた。


腕組みをして、ニヤニヤしながら俺を見ている。


「いつになってもトレーニングに来んなあ思たら、こんなとこで素振りしとるんやもんなあ。びっくりするわ」


関西弁のトレーニングコーチは、少し俺をからかう様子で笑っている。


それに対して、俺だって野球選手だ。どうしても試合に出なくちゃいけない時もあるんだと言い返す。


しかし、それを聞いても彼の俺をバカにしている目付きが変わることはない。



「一生懸命素振りしてるとこ悪いけど、新井君は、試合に出ないで、じっくり体づくりするんちゃうんか? 俺はそう聞いてたで」


だから、男にはどうしても打席に立たなきゃいけない時があるんだよ。


そもそも、高校卒業したばかりの選手じゃないんだから俺は。


「なんや。あんたがトレーニングに来んかったら、なんや暇やなあ」


今年で28よ? 8月で28になるんだぜ?


体づくりしてる場合じゃないんだよ。


あっという間に30になって引退だわ。


「おい、新井!」


知らんコーチがベンチの方から現れ、俺を呼ぶ。


「2番の桃白のところで行くぞ! 準備しろ!!」


知らんコーチにいよいよそう言われると、ドクンと心臓が大きく鳴った。


背番号64と書かれたシールを貼ったヘルメットをかぶり、新品のバッティンググローブをはめる。


そして、バットを握りもう1度深く深呼吸する。



そして、鏡を見ると、ピンクのストライプのユニフォームに身を包んだ俺がいる。


よし、一応野球選手に見えるぞ。


俺は肩を揺らし、軽くジャンプするように歩いてベンチを通り、試合が行われているグラウンドへと飛び出した。

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